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諏訪春雄通信


842回 (2019年2月4日更新)



近著 『台湾から日本を見る』 (30) 

「台湾原住民は日本人に先行する倭人である」という視点に立つと、日本だけでは解けなかった日本古代史、日本文化の多くの難問が解決できます。今回考えたいのは、近代の日本です。

 

長い間温めてきた拙稿『台湾から日本を見る 原住民神話に登場する日本人』がようやく勉誠出版から刊行されることになりました。次はその宣伝用のチラシのために執筆したキャッチフレーズと要旨です。


キャッチフレーズ 

十数回の台湾現地調査の成果が本書に結実

台湾原住民こそ唯一の歴史証言の有資格者

日本人の真実が台湾原住民の神話に登場する

台湾から見る日本こそ誇ることのできる日本人

台湾の近代化のために尽力し命を捨てた多くの日本人がここにいる


 

 要旨

台湾の山地や海岸地帯に先住民が住んでいる。原住民が自称である。彼らの神話に、日本人が兄弟、同胞として登場する。同じ台湾統治国でも、オランダや中国が原住民神話に登場してくるときは、敵対者、対立者である。

多様な神々を信じる台湾原住民の神話は歴史の反映である。

日本の台湾統治は、日清戦争終了から第二次世界大戦が終わるまでの半世紀間つづいた。先行する二百年を超える中国(清)の統治に比較したときに、日本の統治はみごとであった。

 清の統治時代、官吏の腐敗で百件を超える騒乱があった。台湾のために命をささげた人たちも数多く出た日本の統治との違いは大きかった。この本質的違いが、台湾人の日本びいきを生み、台湾の原住民神話に日本人が、祖先、同胞として登場してくる最大の理由なのである。

台湾の歴史を正しく評価できる人たちは他民族による政治支配を受け、その盛衰を見続けてきた原住民だけである。だから、私は本書で、執拗に彼らの声に耳を傾け、本書に書きとどめたのである。

台湾から見える日本こそが真実の日本なのである。

 

次は新しく執筆したあとがきの前半部分です。


 

 あとがき

 

一九八八年の春休み、はじめて中国調査を行なった私は各地を廻ったのち南京市にも入り、一九八五年に設立されたばかりの南京虐殺記念館へも訪れた。

当時の記念館は規模も小さく、観客もまばらであった。市民の関心も薄く、私と一緒に見てまわった上海や北京から来た中国の知識人たちも、日本人の私を南京の日本ゆかりの観光施設に案内しただけで、彼らじしんが、それほど興味を示した様子はなかった。

そののち、一九九〇年代の初めにも数回南京を訪れた。そのころ、日本で始まったカラオケが中国にも伝わり、カラオケ(卡拉OKと記す)そのままの名で広まっていた。南京でも夕食後にカラオケ館へ連れていかれた。入口を入ると、日本の戦時中の軍歌が大音量で大広間に流れており、私も数曲軍歌を選曲して歌った。同行の中国人がその歌に関心を持った様子はまったくなかった。当時、私が調査で回った中国の各地で、急速に普及しはじめていた地方のカラオケ館でも、定番として日本の軍歌と「北国の春」が流れていた。

このようなのんびりした中国の対日感情が一変したのは、一九九三年に江沢民(こうたくみん)が国家主席として登場してからであった。鄧小平(とうしょうへい)の引立てを受け、文化大革命、さらに天安門事変で足元がゆらぎ、不安定になった共産党政権を、再度、安定させるつよい使命を託されての就任であった。

小学校から反日教育が実施され、南京虐殺記念館も大改造されて規模をひろげ、それまでまったく触れていなかった三〇万人大虐殺が表に掲げられた。カラオケ館で日本の軍歌をうたうことなど考えられない時代がきた。それは、日本人の歴史認識などとは無関係な、中国の国内政治事情の激変が理由であったのである。

 

本書「Ⅴ 3日本統治時代の売買春」で日本人と台湾人の売春婦の数値を比較したのちに、「この数値をどのようにみるか。あくまでも台湾総督府の統計資料を信頼したかぎりでの判断という条件付きであるが、この数値によるかぎり、日本統治下の台湾で、現地女性を《強制的に》従軍慰安婦に仕立てたという事実は存在しなかったと判断することができるのではないか」と結んだ。

私がそのように判断した理由を以下にのべる。

 時代は現代。二〇一六年三月八日、台北市内の迪化街(てきかがい)で慰安婦記念館「おばあちゃんの家」(英語名AMAミュージアム)の除幕式が行なわれた。式典には、当時の馬英九総統、存命する台湾人元慰安婦三名も出席した。設立母体は婦女救援基金会((婦援会)であった。この会の調査によって「被害」の証言が確認された台湾人元慰安婦は五十九人で現時点の生存者は出席した三名だけという。

この事実だけを取り上げれば、台湾でも強制従軍慰安婦が存在したとみられることになる。しかし、婦女救援基金会(婦援会)の主張は、中国や韓国とかなりちがうニュアンスを伝えている。

婦援会の執行長康淑華氏は会の活動方針を次のように説明している。

 

慰安婦問題は「反日」を主張するための政治問題か、それとも人権やジェンダーの問題か、様々な解釈がありますが、私たちの認識は後者です。台湾人として自国の女性が過去に苦しい目に遭った事実への名誉の回復を求めています。賠償よりも日本政府から彼女たちへの謝罪が欲しい……慰安婦に限らず、私たちは一切の買春行為や戦時性暴力に反対しています。例えばIS(イスラム国)の性奴隷制度も、韓国軍によるベトナム戦争中のレイプ問題も、過去の中華民国軍の「軍中楽園」((慰安婦制度)も、すべて問題だと考えています。(安田峰俊「台湾の『尖閣抗議団』と『慰安婦団体』が反日ではないのはなぜなのか」)

 

これより先、二〇〇八年十一月十一日の「共同通信」は、台湾の立法院(国会)が、この日、第二次大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐって、日本政府による公式謝罪と被害者への賠償などを求める決議案を全会一致で採択した、と伝えていた。

決議案は超党派の立法委員(国会議員)らが提出。同委員の一人は「決議が現在の日台関係に影響するとは思わない。慰安婦だった女性はいずれも高齢で、一日も早く日本政府に謝罪してほしい」とのべた。さきの婦援会の主張は、この決議の流れのうえにあったことが分かる。

この一連の動きから見えてくるのは、台湾では日本の統治時代の慰安婦問題を表面に立てて問題化しようという意図がまったくないことである。確認された元慰安婦の数が五十九人で、生存者が二〇一六年現在で三名にすぎないということも、さきの統計数値の信憑性を保証している。   (以下略)

 

次は1990年代に数回訪れた台湾南投県九族文化村の紹介です。

 

      左アミ族住居   右アミ族小米撞き場

 


 

 

           左ヤミ族住居    右タイヤル族住居

 

 


  

     左パイワン族屋内の墓   右ルカイ族巨石信仰

  


 

下台湾原住民(プヌン)の住居の典型 『台湾原住民 人族的文化旅程』遠足文化事業有限公司、より

 


  
  


 


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