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諏訪春雄通信


858回 (2019年6月日更新



私のホームページの容量の関係で、これまで続けてきた「アジア調査の記憶」をしばらく休載します。「諏訪春雄通信」は分量を減らし、「民族文化の会」はこれまで通りに連載します。



 「女性祭祀が日本を救う」 (15)

 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。


Ⅶ 女性と演技 

 

狂言小舞 狂言の演技の基本にも舞

 

狂言は相対的には写実的せりふ劇であるが歌謡を挿入することも多く、現行曲の六割以上に歌舞の要素を含む。また狂言師の演技は、せりふやしぐさの稽古から入るのではなく、謡による声の訓練、舞いによる体の動きの基礎が作られる。狂言のなかでうたわれる謡の総称を狂言謡といい、狂言方が舞う舞いを小舞または狂言小舞という。小舞は狂言の中の酒宴の場面などで相手に求められて舞うことが多いが、狂言のなかではなく、能の仕舞と同じように紋付、袴で登場し、地謡に合わせて舞う短い舞をも小舞という。『能・狂言事典』


 

女歌舞伎の狂言師の演技を継承した和事

 

阿国の一座には、狂言師が参加していた。女歌舞伎が風俗を乱すということで禁止されて女たちは舞台に立つことができなくなったが、その男たちは舞台に立っていた。狂言師たちは、その後も生き続けて、元禄へ流れこんでいった。彼らは全て女装して女役をやっていた。阿国が男装して男役をやったのに対比される。そしてその狂言師たちが狂言から身につけた演技で扮した女の役が、そのまま上方歌舞伎の和事を生んでいった。初代の坂田藤十郎が完成した和事はいわゆる傾城買い狂言だけで演じられたのではなく、上方歌舞伎の基本的な流れは、男の演じた女の演技であった。


 

大地に執着する日本人の舞踊

   

日本舞踊五流派の若柳流・藤間流・花柳流・西川流・坂東流も舞いが基本である。

 

さかのぼって縄文人の芸能の基本はカチャーシー(かき回し、即興乱舞)である。両手をかざし、手首を回しながら左右に振る踊りで、天を憧憬しながら基本は大地への執着である。日本の舞踊史を貫く所作である。

 

シベリア少数民族とアイヌの熊祭りもカチャーシーと同じ所作をくり返す。

 

 写真はシベリア少数民族の熊祭り




 

 

江戸時代お蔭参りの踊り「ええじゃないか」を見ても、日本人の基本の踊りはカチャーシー型であったことが分かる。

 

日本の舞台は天の神ではなく大地の神を招く場所である。中国では地獄も天の神(玉皇)の支配を受けるのに対し日本人の地獄観にその観念はない。

 

中国や朝鮮の舞踊所作の基本が天に向かって身体を開くのに対し、日本の舞踊所作の決まりのポーズはカチャーシーや日本舞踊に見られるように地に向かって身体を収斂する。

世界の神々の体系は、大地母神中心から天空男性神中心へと大きく推移した。その際に、エジプトや中国少数民族社会のように多神信仰の段階に止まった信仰圏と、キリスト教やイスラム教世界に代表されるように、男性神中心の一神教に移行した信仰圏が存在した。日本人は大地母神への信仰をそのままに保存してきた稀有の民族である。

 

日本の地母神の特質は 

      

 死・出産・大地・地下・洞窟・海・山・豊穣・分身・動物

 

などをあげることができる。日本の固有芸能・国風芸能には、この地母神の信仰がしっかりと息づいている。

 

天に向かって身体を開放する韓国金梅子舞踊団

 




 Ⅷ 女祭りにおける男女の役割分担

―日本の祭りから女性が排除されたのはなぜか―

 

 

 

現在、日本本土の神社祭祀で神職の役割は男性が独占している。各地の民間の祭りでは、いまだに女性の関与をタブーとしてきびしく禁じているところも多い。しかし、他方で、沖縄の祭りのほとんどは女性の神女(ノロ)主宰で、男性は補助者の地位にとどまっている。

 

このような現象について、これまでの学説は、本来、祭りは女性が主宰するものであったが、男性中心社会が到来し、しかも仏教や儒教の女性蔑視思想の影響のもとに、男性が祭祀権を女性からうばって独占するようになったと説明している。そうした説明法の成立に、祭祀における女性差別を赤不浄=血の穢れとして説明した柳田民俗学の学説も大きな役割をはたしている。

 

女性の穢れを考えるうえで参考になるのが伊勢の斎宮である。古代から中世にかけて、伊勢神宮に未婚の内親王または女王が斎王(いつきのひめみこ)(斎宮(いつきのみや)ともいう)として派遣され奉仕した。天皇の即位直後に斎王がえらばれ、一代に一人が伊勢で神につかえるというこの制度のはじまりは、天武天皇の代の大伯皇女(おおくのひめみこ)であり、後醍醐天皇の祥子内親王を最後に廃絶した。

斎宮は決定後の一年間は宮城内の初斎院で、ついで宮城外の野宮でさらに一年間の潔斎の生活をおくる。そののち大勢の官人にまもられ、盛大な行列をくんで伊勢にむかう。これを斎王群行といった。それ以降は多気の斎宮で精進潔斎の生活をつづけた。

しかし、斎宮の実際の神事関与は、神宮のもっとも大切な祭りで三節祭とよばれる、六月・十二月の月次祭と九月の神嘗祭に神宮に参入して玉ぐしをささげるだけで、それ以外のときは、斎宮でこもりきりの生活をおくっていた。その間、実際に日常的な神事をにない、また三節祭でも重要な奉仕をおこなっていたのは、物忌とよばれた数人の童女(一部は童男)とその補佐役の物忌父を中心とした男女専従神職者たちであった(義江明子『日本古代の祭祀と女性』吉川弘文館、一九九六年)

 

重大な疑問は、九世紀半ば以降、女性の血の穢れがことさらに忌まれた時代に、なぜ日本の神社の総元締めともいうべき伊勢の斎宮(そして賀茂の斎院も)で成人女性が重大な祭祀に関与しつづけたのか。

 

日本の祭りにおける専従神職者の男女性差を決定してきた基本原理は、

 

A 経済原理(生業) B 神懸り・出産の特殊能力  C 仏教・儒教

 

の三つである。生活物資生産形式または経済原理の相違によって、祭祀の形態が決定されるという法則は、日本にかぎらずほとんど汎地球規模で普遍的みとめられる現象である。日本でも次のような例をあげることができる。

 

  狩猟型      東北マタギの熊祭りなど

  採集・雑穀型   沖縄八重山諸島のプールなど

  稲作型      大阪住吉神社の御田植祭など

  漁労型      沖縄本島国頭のウンジャミなど

  混合型      長崎県長崎市の長崎クンチなど

 

熊祭りはアイヌのイヨマンテがよく知られているが、アイヌは男性中心の狩猟経済だけではなく、女性も重要な役割をはたす採集経済の段階もかねているので、イヨマンテには女性も参加している。むしろ、東北にいまものこるマタギの人たちが山中で獲物をあがめて執行する熊祭りが、純粋に男性だけの祭りとしての性格をたもっている。これは経済原理が男性中心の狩猟段階にとどまっているために祭りも男性中心になっている例である。

 

沖縄の各種の祭り、たとえば典型的には、久高島のイザイホーなどに男性が関与できないのは、女性の神懸りの能力を前面におしだした祭りだからである。総じて、女性が祭りに専従者として参加することができたのは、その神懸りの特性によるものが多かったとみられるが、各地のお田植祭りなどで女性の参加する例は、その特性に加えて、経済段階における役割分担によるものといえる。

 

本土の各種の祭りから女性が排除されたのは、通説のように、仏教や儒教の差別観念の影響とみることができる。

 

仏教では女性をすくわれない不浄な存在とした。たとえば、『法華経』では女性は五障のある存在であり、そのままでは成仏できず、いったん男性に変じて比丘として修行してはじめて成仏できると説いている。また仏教がきびしくまもるべき五戒の最初にかかげられる殺生戒は動物の血をながすことを禁じた。したがって、日本における血穢の観念を育成した原動力は奈良・平安仏教であり、日本の仏教が、女性も成仏できるとする女人往生を教理でみとめるようになったのは、鎌倉仏教の浄土宗、浄土真宗、日蓮宗までまたなければならなかった。

                    (つづく)

 


 


 



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