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諏訪春雄通信


844回 (2019年2月25日更新)




 「女性祭祀が日本を救う」 (1)

 

この通信欄で長く執筆してきました「台湾から日本を見る」を一旦終了します。この連載で台湾原住民について多くの知見を得ることができました。日本列島では変化してしまった古い文化の原型がここにはいまも見られます。この貴重な知識をもとに、新しい連載を開始します。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されている女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという話です。西欧流男女平等観や、仏教、儒教の男女差別観では、絶対に見えてこない風景です。


Ⅰ 東北の大災害と祭り

 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故は東北大災害、東北大震災といわれる。2016年3月1日現在で消防庁まとめによると、震災関連死を含めると死者は2万人にのぼる。震災から7年、仮設住宅になお3万人、1万3千6百人はプレハブで暮らしている。

 

この東北災害と地域の祭りをテーマに執筆された書が橋本裕之氏の『震災と芸能―地域再生の原動力–』である。2015年3月、追手門学院大学出版局刊行。その年の4月11日、私は書評紙『週刊読書人』から依頼されて書評を執筆した。次はその一部である。

 

本書の著者が盛岡大学教授であったときに東日本大震災が起きた。岩手県文化財保護審議会委員でもあった。壊滅的打撃を受けた文化財のためにやれることはあるのか。そのころ、岩手県の沿岸の陸前高田市川原祭組会長の印象深いことばに出逢った。「川原地区はもう以前のように一緒に暮らすことはできないかもしれない。町内会も解散してしまった。だからこそ祭りは、失われた地域をつないでいくための最後の拠り所である」。著者が、深いつながり持った芸能が、鵜鳥神楽と釜石虎舞であった。その公演支援を通して改めて地域に根差した芸能の本質の考察を格段に深め、ついには、クルーズ客船で被災地の民俗芸能観光を企画し、奈奈子祭という郷土芸能祭を実現して成功を収める。

 

 地域の祭りは、生活が安定してゆとりのある地域で、余った経済力で営まれるのではない。祭りが地域再生の原動力となって、地域を結集させるのである。本書から、そして東北大災害から私の学んだことである。ことに女性主宰の祭りが地域を救う。


 




 

地元の民家から始まった、新しいかたちの郷土芸能祭「奈奈子祭」。2013年2月24日、提案者土地の娘笹山奈奈子の名を付けて上演された。  


     

 


 

大きな被害を受けた鵜住居地区の現状





 

 Ⅱ 琉球列島の女性祭祀

女性が祭祀を主宰するという事実を本土日本で見ることはほとんどなくなった。しかし、一旦、視点を琉球列島に移せば、一般的な祭祀形態であり、男性が主宰する祭りはむしろ稀である。具体例の幾つかを紹介する。

 

粟国島のヤガン・ウイミ。ヤガンは御嶽の地名。ウイミは折り目の意味である。季節の折り目の時期に営まれるところから付けられた名称であり、女巫が主宰する豊年祭である。豊年祭はのちにのべるように台湾原住民社会が源流である。

 

旧暦6月24日~26日の粟国島最大の祭祀。初日の夕方、各区長らが祝女(女巫)と共に拝所に集まり、粟の神酒を供え、神迎え。最後の夜には奉納相撲や余興も。

 



 阿嘉島の豊年祭六月ウマチー (上)

久米島の豊年祭ウマチー (下)

ウマチーはお祭りの意。豊年祭が粟主体から稲に変りつつあるところに離島の生業の変化がみられる。 

 

 



         

 祭祀の主役は女性 来間島 (くりまじま)



 


八月遊び 宜野座村 (ぎのざそん) 


 


 

隔年で行われ、行われない年は綱引きがある。旧暦七月二十五日ごろに配役を決め、公民館で稽古に入る。

 八月十一日が正日。女巫のノロ殿内で守護神への感謝と予祝の祈願があり獅子舞と棒踊りを奉納する。そのあと村の広場までお練り。広場の仮設舞台で公演。プログラムは獅子舞や劇「長者の大主」が始めの方に設定され、以下、舞踊、劇、棒踊りを加えて構成される。八月十五日が最終日で舞台芸能だけを演じる。

上の写真は正日の棒踊り。


 伊平屋島 (いへやじま) 田名のウンジャミ







 

 

男のシヌグに対し女のウンジャミといわれ、隔年で行なうところもある。旧暦七月に名護以北で行なわれる海神祭。ウンダミ、ウンガミともいう。海神が原義。安田のウンジャミで中心となるのは海神とよばれる四人の神女。旧暦七月十六日夜、海神四人は二手に分かれて家庭巡りをし、各家で餅と酒を振舞われ、神女は植物のススキまたはダンチク(イネ科の多年草)を引換えに渡す。そのとき男子は家にいてはいけないといわれる。他方、シヌグは男性主体の祓いの行事。

 十七日朝、白衣の四人の神女とノロは田名屋の拝殿で神を拝み、拝殿前に東向きに置かれた布の舟に四神が乗って船出の様子をする。そのあと、村外れの高台で別れのしぐさをする。最後は、東海岸の拝所の岩に全員が立ち、神歌を歌い、ススキまたはダンチクの葉を海に投げ、神送りをする。写真は最後の神送りと拝殿前の船出。

 

 女性主体から徐々に男性主体に変化しつつあることが分かる。しかし、さらに離島の久高島、さらに台湾原住民社会と比較すると祭祀の意味や変化の過程がくっきりと浮かび上がってくる。     

                     (つづく)





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