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諏訪春雄通信


845回 (2019年3月4日更新)




 「女性祭祀が日本を救う」 (2)

 

この通信欄で長く執筆してきました「台湾から日本を見る」を一旦終了します。この連載で台湾原住民について多くの知見を得ることができました。日本列島では変化してしまった古い文化の原型がここにはいまも見られます。この貴重な知識をもとに、新しい連載を開始します。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されている女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女平等観や、仏教、儒教の男女差別観では、絶対に見えてこない風景です。


 Ⅲ 久高島の女性祭祀 

()高島(だかじま)の歴史

 




 

ノロを頂点とした祭祀組織によってイザイホーや数多くの年中行事を行なっている。ノロ制度は琉球王権の第二(しょう)()の時代、およそ四、五百年前に確立し、久高島に入ってきたといわれる。それ以後、久高島は王府によって特別な地位が与えられていた。納税は免除。国王も毎年この島を訪れた。琉球王国の祭祀組織のトップ、(きこ)()大君(おおきみ)は久高島の外間(ほかま)ノロによって霊力(セジ)が与えられて就任した。王府は久高島を神の島として崇めることによって国を治めてきた。

琉球の祖神アマミキョが初めて降り立った場所であり、五穀が初めてもたらされた場所とされ、数多くの神話が祭りのなかで伝えられている。十二年に一度行なわれる祭りのイザイホーで有名であったが、一九七八年以降一旦途絶えた。しかし、いまだに年間三十回近くの島単位の祭り、べつに、多くの各家や親類単位の祭りがのこっている。祭りにはかならず御願立てと結びがあり、神様にお願い事をしたら、感謝して終結する。

 

島の玄関徳仁港

 


 

穀物を入れた金の壷が流れ着いたといわれる伊敷浜

 

 

旧暦8月9日に行なわれる豊作祈願の祭りカシキー。女性中心の祭りで頭にクバの葉を巻いて町の広場に集まって開始を待つ。開始時刻・祭りの場所は神女ノロが決定する。

 




 

旧暦8月10日の祭りハティグヮティマッティ。払いと健康祈願を目的とし、女性中心に進行し、男性は参加するが脇役にすぎない。

 




 

旧暦8月12日のテーラーガーミー。漁業に関係する祭りであるために男性の祭りである。ユーウラヌ浜で、払いと豊漁祈願する男性たち。祭りの本質が生業によって決まることがよく分かる事例である。

 




 

前述のテーラーガーミも、女性ノロが管理する神殿の外間(久高が正式)殿へ移動して結願となる。男性中心の祭りでも、女性神の信仰下にある。




 

 

久高島の祭祀組織。比嘉康雄『久高島の年中行事』(ニライ社、一九九〇年)による。女神のほかに男神も存在するが、全体として女神優位で男神は下位神である。


 




 

久高島には外間ノロが管理する外間殿と、久高ノロの管理する久高殿の二つの神殿が並んでいる。その関係は、新旧・東西・公私・外内と対比される。日本本土の伊勢神宮と出雲大社(or三輪大社) によく似ている。

 


 

 

年間三十種近い祭りが毎月行なわれ、その主宰者はほとんどすべて女性である。人間の日常にいかに神祭りが重要か、痛感させられる。


 




 

久高島祭祀のなかでもっとも重要な祭りが巫女を誕生させるイザイホーである。七つ橋を渡り七つ家に入り、母の胎内で生まれ変わる儀礼である。七つは七種の神である。

久高島には、古くから「男は海人、女は神人」の諺が伝わる。男たちは成人して漁師になり、女たちは神女になる。これは琉球王国の信仰基盤となるオナリ神信仰を象徴する。すべての既婚女性は三十歳を越えるとこの儀式を経て、神女になる。イザイホーは十二年ごとの午年の十一月十五日から四日間行なわれる。儀式は、ニルヤカナヤ(ニライカナイ) からの祖先神を迎え、その神々の霊を受けて新しい神女を認証してもらい、島から去る祖先神を送るという構成をとる。

史料によると六百年以上の歴史を持ち、祖先神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留め、天皇家の大嘗祭とも共通性がある。参加できるのは、島出身で島の男性に嫁いだ女性で、1978年は8名、1990年は該当者がいなかった。実際には旧10月中の壬(みずのえ)の日に行なわれる御願立てから始まり、結びが行なわれるまで一ヶ月を要する。イザイホーを通じて女性はナンチュとよばれる神女に生まれかわり、男兄弟を守護する姉妹神、家・村の繁栄と安全を願う神女となる。


 Ⅳ 原型としての台湾原住民の祭り

 

琉球列島の祭りの本質と変化の過程をはっきりと示してくれるのは台湾原住民の祭りである。琉球列島は台湾原住民が日本本土へ移住した通路にあたり、台湾原住民文化の影響を深刻に受けているのである。

現在、台湾政府によって原住民は十六種族が認定され、総人口は二〇一〇年の調査で約五十万人に達している。台湾総人口の約二パーセントを占める。そのほとんどすべてが、山中、海岸、島などの僻地に住んでいる。下の図に示す通りである(『台湾原住民 人族的文化旅程』)。この図は、二〇一〇年現在の原住民十四種族の分布図である。
 山岳部と東海岸、そして離島が彼らの居住区域であることが一目で分かる。漢人(清)によって平野部を追われたからである。




                     (つづく)


 

 





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