「女性祭祀が日本を救う」 (3)
この通信欄で長く執筆してきました「台湾から日本を見る」を一旦終了します。この連載で台湾原住民について多くの知見を得ることができました。日本列島では変化してしまった古い文化の原型がここにはいまも見られます。この貴重な知識をもとに、新しい連載を開始します。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女平等観や、仏教、儒教の男女差別観では、絶対に見えてこない風景です。
Ⅳ 原型としての台湾原住民の祭り
台湾原住民の豊年祭
台湾原住民社会に豊年祭とよばれる小米(粟)の豊作祈願の祭りがひろく行われている。粟は水田稲作による米の普及が未だに不十分な台湾原住民社会で現在も主食の位置を占めている貴重な穀物である。
同じような粟中心の食生活が長く続いていたのが琉球列島である。江戸時代から明治にかけて、この地の男子成人に課された人頭税は粟の現物納付であった。粟は水はけのよい畑に適した作物で、石ころの多い山地や傾斜地でも作付けすることできた。台湾原住民の居住地と琉球列島は類似の自然環境だった。
台湾原住民のプヌン族の粟の祭祀は一年間にわたる。粟の生産過程が彼らの生活の基本リズムを形成している。日常の生活があって祭祀があるのではなく、祭祀が先にあって、そのあとに日常の生活があることがよく理解できる。
プヌン族の暦は粟の耕作と祭りによっている。一年は十三か月、名称は粟の耕作の進行と祭りが基準になって決まっている。
1 冬月(西暦十月) 男子は祭田に行き、漆の木に茅の茎を挟み、祭田の中央に挿す。これが新年祭で、このときから新しい一年が始まる。
2 開墾月(西暦十一月) この月から開墾を始める。
3 追走月(西暦十二月) 薪取りの儀式。
4 作田月(閏月) 粟の煮炊き用の薪を集める。
5 播種月(西暦一月) 酒を造り、祭田播種の祭りを前後五日間挙行。
6 真正播種月(西暦二月) 粟の種まき。
7 除草月(西暦三月) 犠牲用の生きた豚を田に繋ぎ除草して収穫祭を 行なう。
8 祓禳月(西暦四月) 諸病払いの祭儀を行なう。
9 射耳月(西暦五月) 打耳祭ともいう。
10 収穫月(西暦六月) 酒を造り、粟の収穫祭の後、毎日、粟の収穫に努める。
11 幼児月(西暦七月) 去年と今年の幼児のために祭りを行なう。
12 入倉月(西暦八月) 祭りが終わったあと、新しい粟を倉に入れる。
13 捕行入倉月(西暦九月) 収穫の遅い粟の倉入りの祭りをこの月に実施する。
このように一年間、毎月行なわれる豊年祭行事のなかから一種だけ代表的な行事を選んで紹介する。
9月の射耳月は打耳祭ともいい、男子は火槍とよばれる原始的な火薬銃で、竿に並べた鹿の耳を突き、今年の豊作を祈願する。男性祭祀が女性祭祀の補助なっている。すでに見た久高島の男性祭祀の原型がここにある。
次はルカイ族とパイワン族の豊年祭である。男性が関与して集落全体の祭りとなって、大型化する。
大型化するとともに芸能化の度合いも進む。次はルカイ族とアミ族の豊年祭である。
祭の変化の第一の要因は生業ごとの独立である。次はヤミ族の海神祭とプユマ族の大猟祭。
台湾原住民鄒族 の戦士祭
祭りの変化の行き着く先は主宰者が女性中心から男性中心へ変わることである。二〇一一年三月四日から七日まで、現地に入って調査してきた鄒族の祭りを資料に、この問題について考える。
戦士祭を伝える鄒(漢語)・曹(台湾語)族の特富野社は台湾南部の嘉義県阿里山山中に居住している。隣接する達邦は特富野と並ぶ鄒族の二大社である。
鄒族の原郷神話によると彼らは新高山(現在の玉山)の頂上に住んでいたが、そこに住み着く以前、各地を放浪していた。
太古、鄒族はマアラア(日本人)、プクン族とともに新高山の頂に住んでいた。当時は四面海で魚や獣を捕って生活していた。水が引いたとき動物が尽きたので弓を三つに折って決め、上部にマアラア(日本人)、中部にプクン、下部に鄒族と住み分けた。間もなくマアラアは山を降り、動物のいない所に移動し、食物に困って種々の物を発明した。(山)
鄒族の祖先はもともと各地に分散していた。洪水の氾濫で彼らは玉山(旧称新高山)の山頂に集中した。洪水が引いたあと、玉山の下に分かれて住み、そののち現在の地に定住した。そこで鄒族は玉山を原郷とみなし、聖山と崇めている。(平地)
伝説によると、太古、洪水が大地に氾濫した。鄒族の祖先はそのとき、海上を漂流してきたという。(海)
彼らの演じる戦士の祭りはマヤシビ祭という。この祭りは種族の戦士の結束と成人式の二つの目的を持って興行される。祭りの全体を指揮するのは男性の大頭目であり、会所とよばれる祭りの集会所には女性は入れないなど、現在の祭祀の全体は、男性主導の祭りで、女性は脇役にすぎない。しかし、この祭りを分析すると、主体が女性から男性に変わっていった要因がはっきり見えてくる。
嘉義県阿里山鄒族マヤシビ祭祭場
(つづく)
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