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諏訪春雄通信



848回 (2019年3月25日更新



 新著『親日台湾の根源を探る
           台湾原住民神話と日本人』



 

 


      

 

私の新著(勉誠出版)のみごとな装丁ができあがりました。苦労して現地調査を重ねて、書き上げた本であるだけに、私にもひときわ愛着のつよい本です。周辺国から第二次世界大戦中の「歴史認識」を批判されると、ただ頭を下げるだけで、反論のすべを持たない、戦後世代の日本人の皆さんに、ぜひ読んでいただきたい書です。戦争中の日本人の、誇るべき真実の姿がここにあります。

「まとめ」の一部を次に紹介します。

 

この国の歴史を正しく評価する権利は、じつは、これらの統治主権国にはないのである。そのことは、本省人系の民進党と戦後に大陸から入ってきた外省人系の国民党が政権交代を繰り返す現在にもあてはまる。そして、この原則は、そのまま、日本人である私にもあてはまる。

正確にいえば、日本人である私には、台湾の歴史を正しく評価する権利も資格もないのである。

 

唯一、台湾の歴史を正しく評価できる人たち、その資格と権利を持っている人たちは、ほかの民族に先駆けて、もっとも早くから台湾に住みつき、繰り返され、変わりつづけた、他民族による権力機構の政治支配を直接に受け、その盛衰を見続けてきた原住民だけである。

だから、私は本書で、執拗に彼らの声に耳を傾け、本書に書きとどめたのである。

 

彼らの声は神話として、そしてときには伝説として語り伝えられ、そこには、日本人が、遠い時代に分かれた兄弟・同胞として登場している。しかも、この日本人をなつかしむ感情は、現在の原住民で、日本統治時代を知る人たちにもしっかりと保持されつづけてきている。

 

現在の台湾人一般にも日本に好意を持つ人たちが多い。その好意を戦後に大陸から移ってきた外省人に対する反感に求める説がある。本書で紹介したところである。まったくの誤まりとはいえないが、外省人とも蒋介石軍とも無関係な、明治・大正・昭和の時代に形成された原住民の神話に登場する日本人にはあてはまらない。

神々が人間と交流する社会にいまも生きている原住民の神話は、かぎりなく歴史と接続している。彼らの神話は歴史の反映である。しかも、その神話を伝える台湾原住民は、日本の縄文、弥生の文化につながる文化を保持してきた人たちでもあった。

 

私は、日本の台湾統治をオランダや清の統治と比較することによって、なぜ原住民が神話の世界で日本人を兄弟・同胞とよび、オランダや清を敵対者とするかをあきらかにした。数多くの日本人が台湾を愛し、台湾の近代化のために命を捨てて尽力した。

 

本書では、神話の本質を解明するために、類似の歴史をたどった沖縄神話に神として登場する日本人についても比較、考察した。

台湾と沖縄の神話に神として登場してくる日本人は、台湾では近代化に献身し、沖縄では稲作や鍛冶文化を伝えた恩人たちである。

 

私はいいきる。

台湾と沖縄の創世神話に登場する日本人こそ、現実にその地に足跡を記してきた日本人の行動の歴史そのものを反映した、本来の日本人の姿なのだ、と。

台湾から見える日本こそが真実の日本なのである。

 

私はこのことを、これから世界に出ていく、私の三人の孫たちの世代にしっかりと伝えたい。


 




 「女性祭祀が日本を救う」 (5)

 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女平等観や、仏教・儒教の男女差別観では、絶対に見えてこない風景です。

 台湾原住民鄒族の戦士祭

 

男性と女性・生と死

 

 神話では、ニブヌ女神が人間を創り、死生を定めたという。この種族の創世神が、本来は女神であったことを示している。

 

 太古、ある日、ニブヌ女神が樹木を揺らし落ちた葉が女人(男人)になった。世界にはすでに男人(女人)がいた。女人は男人と一緒になることを望まなかった。女神は男女に酒を飲ませようとしたが女人は飲もうとしなかった。しかし、女神は最後に男女を婚姻させた。

   

太古、ニブヌ女神が新高山の降臨して人間を造った。当時の人間はほとんど不老不死で、五回女神が蘇生術を施した後でなければ死ななかった。たまたま二回死んだ人間をそのままにしてニブヌが外出したとき、ソエソハという神が屍を穴に埋めた。そのため人間は二回目で死ぬことになった。

 

酒の起源

 

上位の神として天神が存在するが、食物や酒の実際の創造神はここでも女神である。女神神への信仰が次第に男神への信仰に変化する過程の複雑さが見えてくる。

 

昔、岩の中の一本の石柱から一人の女神が誕生した。そのころ地上に食物がなく、女神は天神に願って魚、獣などの食物を賜った。その中に粟もあった。女神が一粒の粟を二つに割って半分を鍋に入れて煮ると一鍋の飯になった。当時、河辺に砂を食べて生活している男神がいた。招かれて女神の家に行き、多くの食物を見て夫婦になった。男神は粟を知らず虫の卵と思った。女神は天神から賜った粟だと教えて男神に食べさせた。その美味しさに男神は砂を食べることを止めた。また女神がニ、三粒の粟を甕に入れて蓋をしておくと酒に変わった。

 

 酒造り

 




 

 祭典の前、族人は所属する氏族の粟祭屋で酒造りをする。以前族人はすべて粟酒を造っていたが、現在はほとんど粟を作らないので、酒は餅米を木臼で搗いて造る。祭典では各戸の酒を持ち寄り団結の印とする。粟酒は女性が口で噛んで造った。女性が口で噛むという造酒法は、臼で突く形に変ったが、酒は女性が造り、その家の霊魂を酒に籠めるという信仰は守られている。

 

 下の写真は、戦士たちが各戸の酒を貰い歩き、種族の団結を強める家祭。


 




  

 戦士祭のクライマックス。女性が広場の円舞に参加し、戦士と手をつないで、戦士に女性の霊力を注入する。


 




 

 この日最後の神送り。祭祀と歌舞は天から教わったものとし、降臨した神々を天へ送り返して終わる。次のような神話が語られている。

 

 天から地上に降った一人の男児がいた。男児は鄒族に生活の方法だけではなく天上の祭りの儀式と歌舞も教えた。それ以降、鄒族は祭祀を行ない、しかも歌舞を神聖なものとして伝承した。


 

 


 

                      (つづく)


 

 

 




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