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諏訪春雄通信


850回 (2019年4月8日更新




 『親日台湾の根源を探る  台湾原住民神話と日本人』


 


 

 

 この通信の前々回848で紹介しました私の近著が刊行されました。この本の一番最後、「あとがき」を次のようなことばで結びました。

 

 〈歴史認識〉ということばが日本人全体に重くのしかかっている。そのことばのまえにただひれ伏すだけではなく、その内実を正しく解明して次の世代に伝えることが、数少なくなってきた戦争を知る世代の責務であるはずである。

 

 これが、私が本書を執筆した直接の動機です。


 




 「女性祭祀が日本を救う」 (7)


 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女観や、仏教・儒教の思想では、絶対に見えてこない風景です。


 

 達邦鄒族の文化村

 

「優遊吧斯」を訪れた観光客は、まず民芸館、物産館などを廻ったのちに、食堂へ導かれて夕食をとる。卓数は三十。夕食の主要メニューは民族料理ではない。食材は地元の製品を使用しているが、五つ星の評価を受ける料理人が腕をふるった創作料理である。漢方に用いる大きな黒蟻の料理など変わった品もまじっているが、ほとんどは我々にも楽しめる山菜と豚肉を主材とした淡白な味わいであった。写真 


 


 

 客は食事をしたあと隣接したイベント会場に移動する。中央正面には日本の能舞台ほどの小さな舞台、その三方は広い土間であり、さらに左手は野外の茶畑に向かって開けている。観客は舞台正面の階段状の椅子席で見物する。菓子や飲料の売り子が絶え間なく訪れ、サービスは悪くない。演目は舞台を使用した歌唱などもあるが、むしろ広大な土間や左手の野外を使用した出し物が多く迫力がある。写真



 




 

 「優遊吧斯」の芸能公演は現代風に演出されてはいるが、伝統的な芸能や舞踊を考えるうえで参考になる。口頭の説明も配布資料もないが、それだけに想像をかきたてられる。電気が消されて暗闇となった広場の中央に火が焚かれ、その周辺が公演の場となる。向かって左に小さな櫓が組まれ雑穀の穂が下げられる。右には筒にさされて聖樹赤榕の枝が立てられる。ツォウ族に共通する祭祀の場である。写真


 




 

 櫓と聖樹、焚火はあきらかに神降臨の依代である。日本の野外神楽の場と共通し、さらに芝居小屋正面の櫓や能舞台の松羽目にも通じる。芸能の開始には男性巫による敬虔な神迎えの祈りがささげられる。写真 


 




 

日本の祭りの神迎え、さらに芸能の能、歌舞伎、文楽などの「翁」に通じる場面である。ツォウ族社会の現在は男系中心であるが、本来は女系社会であったこともこの芸能公演を見るとよく分かる。

 祭りはシャーマニズムの憑霊型が母胎である。今回、この型を見ることはできないが、男女の巫はツォウ族社会に浸透している。

 男性巫の神迎えで始まった公演は、やがて彼らの生活の実態を演じ始めた。茶摘み、雑穀搗き(写真1)、他種族との戦闘(写真2)などの場面が焚火の明かりのなかで再現された。迫力十分である。その間、民族衣装に身を装った女性たちがしきりなしに飲み物などをワゴンで売りにくる。女性は主役の座を降りて脇役に回っているが、神の送迎の主体が本来女性であったことは容易に推測される。


 







 

 

 台湾の原住民が日本に好意的である理由は数多くある。第一には、日本の50年の統治政策を彼らが好意をもって受け入れたことである。第二には、彼らの保持する伝統文化と日本の伝統文化の類似性がある。台湾原住民のなかには中国江南の越人の文化を伝えた人たちがいる。越人文化は日本にも伝来し、越前、越中、越後などの地名にも痕跡をとどめた。第三に、類似性に止まらず、彼らの伝える文化が、琉球列島を経由して、直接に日本に渡ってきていた。つまり、彼らは日本の祖先でもあった。この公演にも随所に日本との類似点がある。


 

 公演の演目に女性の輪踊りがあった(写真)。マヤシビ祭での女性の輪舞は、戦士と手をつなぐことによって女神の霊力を注ぐ目的を持っていた。この公演にはそのような演出はなかったが、深層には同じ意図が秘められているのであろう。


 




 

最後の演目は、ツォウ族出身の人気流行歌手の出番であった。歌い終わると大勢のフアンが彼女に群がった。グローバリズムの導入が伝統文化一般の終局である。写真


 




 

 

Ⅴ 奄美の祭祀に見る女性と男性


 

旧暦八月の奄美の大祭のショッチョガマは〈早朝ー男性ー垂直神〉、平瀬マンカイは〈夕方ー女性ー水平線上の神〉という対比の構造を持っている。なぜか。

 姉妹霊力が男性兄弟を守護するオナリガミ信仰が沖縄・奄美には存在する。このような女性霊力に対する信仰はほとんど世界的にみられる現象で、キリスト教、仏教、道教などの一神教的世界宗教の浸透が顕著でない沖縄・奄美では殊に強い。根神ニーガミと根人ニーッチュ、ノロと按司(あじ支配者)、聞得大君と王などの上位祭祀集団にもその関係はみられる。

 しかし、次第に男性優位社会が到来し、外来世界宗教が浸透してきたときに、男性が祭祀の主役を占める時代が来る。

 奄美の行事の男女の役割分担はそうした過渡期の様相を示している。

 沖縄久高島のような離島では、まだ祭りにおける女性の優位性をみることができる。おなりは沖縄で兄弟をさすエけりに対して、姉妹をいい、姉妹の霊力つまりおなり神が危機におちいった男性の兄弟を助けることをおなり神信仰という。さらに、祭事権を持つ姉妹と政治権を持つ兄弟とで国政を分掌する制度をヒメヒコ制という。

 これらの信仰の根底には、女神(大地母神)への信仰がある。

               (つづく)





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