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諏訪春雄通信


851回 (2019年4月15日更新




 「女性祭祀が日本を救う」 (8)

 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女観や、仏教・儒教の思想では、絶対に見えてこない風景です。

 

Ⅴ 奄美の祭祀に見る女性と男性


 

ショッチョガマと平瀬マンカイ

 

奄美の祭りショッチョガマは旧暦八月初丙(ひのえ)の日のアラセツに奄美大島竜郷(たつごう)町秋名で行なわれる収穫感謝・豊作予祝の年中行事である。山手の高い所に片屋根の藁葺き小屋ショッチョガマ屋敷をつくり、早朝、初めて祭りを迎える男児に屋根を踏ませ、その子の成長を祈願する。その後、男たちが屋根に上り、グジ(ノロやウツカンの賄役にあたる男性神役)の唱える稲霊招きの歌を唱和し、小屋を揺する。小屋が倒れると、その上で八月踊りを踊り、収穫の感謝と来年の豊作を祈願する。この祭事は、〈早朝ー男性ー垂直神〉という形式をとる。(沖縄タイムス社『沖縄大百科事典』一九八三年)


 

 


 

平瀬マンカイは、ショッチョガマと同日の夕方、同じ秋名で行なわれる収穫感謝・豊作予祝の行事である。部落西方の海岸にある〈神平瀬カミヒラセ〉〈女童メラベ平瀬〉とよばれる二つの岩上で演じられる。神平瀬には親ノロとノロが五人、女童平瀬には男女の神人カミンチュ七人が上り、交互に歌を歌い、稲魂を招くしぐさのマンカイをくり返す。海の彼方、水平線上の神々を招きよせて、収穫の感謝と来年の豊作を祈願する。また神平瀬は二個の平たい石に挿んだ赤飯を供物として供え、初めて祭りを迎える女児に岩を踏ませ、健康に育つことを祈願する。海岸で祝宴が催されたあと、夜には八月踊りが行なわれる。〈夕方ー女性ー水平線上の神〉という形をとり、ショッチョガマと対比される。(『沖縄大百科事典』)

 

マンカイ(神平瀬)

 




 

     神平瀬(女巫)と女童平瀬(男巫と女巫)との掛合


 


 

次の写真はマンカイ会場での両者の総踊りと直会の酒宴


 

 


 

 

ミハチガツ

ショッチョガマも平瀬マンカイも、初丙(ひのえ)の日のアラセツに奄美大島竜郷(たつごう)町秋名で行なわれる収穫感謝・豊作予祝の年中行事である。奄美大島で旧暦八月に行なわれる行事はアラセツの他に、シバサシ、ドンガを加えて三大節日があり、ミハチガツという。旧暦八月は行事が多く、稲・粟・サトウキビなどの収穫も終わり、サトイモ・サツマイモなど食物の豊富な季節であり、北風が吹き始め、月が照り渡る時期でもある。

アラセツは、旧暦八月の始めの丙ひのえの日の行事である。前日をシカリ日(ビ)、ユーハン(夜ふかし)とよび、アラセツの準備をする。主婦は餅を作り、この日の夜から八月踊りがあり、最初にトネヤ(ノロの祭場)から踊り初め、各家々を躍って回る。アラセツにはコソガナシ(高祖加那志、高祖は先祖、カナシは敬称)を祭るといい、主婦は朝早く、海の潮で体を清め、高膳に新穀・餅・サトイモ・魚、酒を添えて、床の間や縁側に供える。この日に赤飯を炊き、炊き汁をススキなどで家の内外にかける。これをセチバケーシュン(節を替える)といい、翌日はケシバデ(遊日)で仕事を休む。

 

シバサシはアラセツから七日後の壬みずのえの日の行事である。コソガナシが墓からおいでになるといい、前日の早朝に墓参りする。家の軒端や畑の四隅にススキをさす。またコソガナシを迎えるために、夕方家の入口でもみがらや草などを燻らせる。八月踊りをアラセツと同じようにする。加計呂麻島では桑の木の皮で子どもの手首と足首をくくり、桑の皮にニンニクの実を白糸に通して首に魔除けとしてかける。

ドンガはシバサシのあとの甲子きのえねの日をいい、奄美大島北部では八月の行事の終わりの日とし、改葬する。この日、サトイモをまぜたご飯をたべるところも多い。ミハチガツの行事のなかでも重要視され、嫁も実家に帰り墓参する。南部ではドンガから八日目の辛未かのとひつじにトモチという八月行事があり、前日に改葬・洗骨し、この日に墓参する。『沖縄大百科事典』

 

ミハチガツは祖霊祭と農耕儀礼が共通した要素である。またアラセツには正月行事と類型を示す行事があり、節行事として南の沖縄・宮古・八重山の行事と類型を示す。喜界島でも奄美大島のアラセツの翌日の丁ひのとの日から八月行事が始まり、この日をシチオンメ節折目といい、この日から五日目の辛かのとの日がシバサシ、シバサシから三日目の癸みずのとの日がシチオンメから七日目のナンカビで、八月行事の最後の日である。奄美大島の八月行事と対応する。

これらの行事は南島の正月が八月であることを示している。『沖縄大百科事典』

 

琉球列島では旧暦八月に八月踊り、八月遊びなどと称して稲作祈願と祖霊祭祀の行事が集中している。旧暦の八月が本土でいう正月に当たるからである。

 

私がこの事実に注意するようになったのは、2002年8月21日から26日まで現地に泊まり込んで、トカラ列島悪石島盆行事を調査したときであった。来訪神のボゼは旧暦の7月7日から16日までつづく盆行事の最後の日に出現する。トカラ列島で、ボゼの行事を伝えるのは、今は悪石島だけであるが、以前は、トカラの各島でヒチゲーとよばれる冬の「節替わり」の夜に出現していたという。つまり年末、年始の行事であった。それが盆行事に変更になったのは、冬作と夏作の違いによる。悪石島はその境界線になっている。

 

冬作と夏作の境界は、日本の温帯と亜熱帯の境界を示す渡瀬ラインによって区切られる。そのラインがこの悪石島と北の小宝島の間を通っていることを発見した東京大学生物学教授の渡瀬庄三郎は、大正元年に学説として発表した。この線は、現在も渡瀬ラインの名で知られる。ラインの南の亜熱帯地方は冬作地帯で農作物は冬にみのり、季節の交替する節替りはお盆の時期となり、来訪神もそのころに出現する。ラインより北方の温帯地帯では、夏作であり、来訪神は年末・年始の行事になる。悪石島ではそのため、行事を冬から盆に変更したのだ。

 

悪石島以南の各地は亜熱帯の冬作地帯であり、以北の正月行事が旧暦八月に集中している。

 

次の図はトカラ・ギャップとよばれるトカラ列島の中央を横切る渡瀬ライン

 

 

次の図は私が作製した日本の主要来訪神表


 







 

 

旧暦による実施時期の一覧表によると、トカラ列島悪石島以南が盆行事であるのに対し、鹿児島のトシドン以北は年末年始の行事となっている。同じ正月行事であるはずの来訪神儀礼の実施時期がこのように二分されるのは、冬作と夏作の境目の渡瀬ラインが悪石島以北を通るためである。

 

琉球列島では、旧暦7月13日から16日未明にわたって各家で精霊(先祖)を祀る盆行事が行われる。沖縄・奄美では盆の呼称は《七月》をあてるところと《精霊》をあてるところに二分される。奄美大島名瀬市のようにブンマツリ、ブンムケと本土の盆の呼称を使うところも若干ある。

 

沖縄諸島では初日をお迎えウンケーといい、仏壇の掃除をしたあと、お供え物をする。夕方、門前で松明や線香をたき、合掌して祖霊を招き入れる。十三日から十五日まで朝、昼、晩の食事と間食を供え、祖霊のおもてなしをする。また期間中にお中元を持って、親戚を訪問し、焼香する。十五日の夜は一族がそろって、肉、魚、てんぷらなどを供え、紙銭を焼く。そのあと、門外に供え物を移し、祖霊を送る。

 

写真は国頭村で仏壇に供え物をして紙銭を焼くところ


 



                     (つづく)







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