ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
諏訪春雄通信


853回 (2019年4月29日更新


 


 
 「女性祭祀が日本を救う」 (10)

 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女観や、仏教・儒教の思想では、絶対に見えてこない風景です。


 Ⅴ 奄美の祭祀に見る女性と男性

 

男と女の役割分担

 

奄美の行事のショッチョガマは〈早朝ー男性ー垂直神〉、平瀬マンカイは〈夕方ー女性ー水平線上の神〉という対比の構造を持っている。なぜか。

姉妹霊力が男性兄弟を守護するオナリガミ信仰が沖縄・奄美には存在した。このような女性霊力に対する信仰はほとんど世界的にみられる現象で、キリスト教、仏教、道教などの一神教的世界宗教の浸透が顕著でない沖縄・奄美では殊に強い。根神ニーガミと根人ニーッチュ、ノロと按司(あじ支配者)、聞得大君と王などの上位祭祀集団にもその関係はみられる。

しかし、次第に男性優位社会が到来し、外来世界宗教が浸透してきたときに、男性が祭祀の主役を占める時代が来る。奄美の行事の男女の役割分担はそうした過渡期の様相を示している。

沖縄久高島のような離島では、まだ祭りにおける女性の優位性をみることができる。おなりは沖縄で兄弟をさすエけりに対して、姉妹をいい、姉妹の霊力つまりおなり神が危機におちいった男性の兄弟を助けることをおなり神信仰という。さらに、祭事権を持つ姉妹と政治権を持つ兄弟とで国政を分掌する制度をヒメヒコ制という。

これらの信仰の根底には、日本人の女神(大地母神)への信仰がある。

 

久高島男子禁制の聖地クボー御嶽


 




 

女性中心 左 旧暦8月9日 カシキー 豊作祈願 頭にクバ 時刻・場所はノロが決定 右 ハティグヮティマッティ 旧暦8月10日 払いと健康祈願


 


 

 

旧暦8月12日 テーラーガーミー 

男性の祭り ユーウラヌ浜 払いと豊漁祈願


 


 イザイホー        聖地久高殿    


 




 

 久高島には、古くから「男は海人、女は神人」の諺が伝わる。男たちは成人して漁師になり、女たちは神女になる。これは琉球王国の信仰基盤となるオナリ神信仰を象徴する。すべての既婚女性は30歳を越えるとこの儀式を経て、神女になる。イザイホーは十二年ごとの午年の1115日から4日間行われる。儀式は、ニルヤカナヤ(ニライカナイ) からの祖先神を迎え、その神々の霊を受けて新しい神女を認証してもらい、島から去る祖先神を送るというもの。七つ橋を渡り七つ家に入り母の胎内で生まれ変わる儀礼で七つは七種の神を表わす。 

史料によると600年以上の歴史を持ち、祖先神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留め、天皇家の大嘗祭とも共通する。参加できるのは、島出身で島の男性と嫁いだ人で、1978年は8名、1990年は該当者がいなかった。実際には旧10月中の壬(みずのえ)の日に行われる御願立てから始まり、結びが行われるまで一ヶ月を要する。イザイホーを通じて女性はナンチュと呼ばれる神女に生まれかわり、男兄弟を守護する姉妹神、家・村の繁栄と安全を願う神女となる。

 

なぜショッチョガマで小屋を壊すのか

 

沖縄・奄美の儀礼で祭場を壊す例としては、竹富島の種子取祭(タナドウイ)がある。竹富島最大の年中行事で、六百年の歴史を持ち、国の重要無形文化財にも指定されている。種子取祭は作物の豊作と島民の繁栄を神に祈願する祭りで、農業暦(旧暦)の正月にあたる節祭りから数えて四十九日後のきのえさるの日から始まり十日間にわたって様々な伝統行事がくり広げられる。祭りがもっとも盛り上がるのは、七日目、八日目に、世持御嶽(ユームチオン)の前の広場で演じられる庭の芸能と、境内の仮設の舞台で上演される三十一番の奉納芸能である。

 

仮設舞台の準備と設置終了の世持御嶽

 

世持御嶽(ユームチオン)は、世持神(農耕の神)と火の神をまつる御嶽で、昭和2年に竹富村の村役場の敷地内に建てられたが、昭和5年に現在の場所に移されたという。火の神は一般には竈の神として各家庭に祭られており、各種の祭りに祭神として登場する。アイヌのイヨマンテでも火の神の祭祀が重視されるのは、同じ縄文系につながる祭りであろう。


 


 

奉納芸能一番「長者」

 

奉納芸能の初日が始まった。舞台芸能ではまず、「長者」が演じられる。長者は、沖縄語で、ホンジャーという。ホンジャーとは長者、村主の意味で、1日目は国吉家、2日目は生盛家の当主が、神様や島の役員に対し奉納芸能の開始を宣言する。ホンジャーは、フン・イイジャーの訛りといわれる。「フン」は区域・地域を表し、イイジャーは、「父」の意と説明されている。芸能の統括者・責任者であり、芸能の神様として君臨するのがホンジャーである。最初に、神を登場させ、舞台を祝福し、清める本質は、能の番組の「翁」にあたり、さかのぼれば、大陸の来訪神である。


 




 

奉納芸能最終「鬼取」

 

番組の最後は「鬼取」である。もともとは沖縄本島の芸能で、登場人物は首里方言で語り、舞台も沖縄本島の本部山である。竹富島には西表の古見から伝来したといわれている。福仲親雲上という棒術使いの名手は、本部山に住む人喰い鬼を生け捕るようにとの命令を受け、剣の達人である本村里主と、空手を得意とする佐久間里主とともに、本部山の鬼退治に出かける。3人は本部山の山中で、鬼を捕らえ、兄弟の子どもたちを救い出した。番組の最後を鬼退治で終わるのは能の番組と共通であり、さかのぼれば中国大陸の儺の影響が想定される。

奉納芸能が終了すると仮設舞台は撤去される。


 




 

祭祀場の破却

 

神を祀る恒久施設の神社の誕生は「動く神」「動かない神」という神の存在形態と関わる。神の観念には、物体に本拠を持ち動かない神すなわち常在神と物体に本拠を持たずに動く神すなわち不在神の二種がある。この二種の区別は神信仰における重要な観念であるが、しかし、絶対ではなく、多くの場合に、神は動かない段階から動く段階に推移し、しかも両者は共存する。

シャーマニズムの脱魂型では神が動かず、人間のほうから神に接触するのに対し、憑依型では神のほうが動いて人間に接触する。シャーマニズムの二つのタイプは神観念の二つのタイプ、「動かない神」と「動く神」に対応している。脱魂型シャーマニズムは生業体系の変化、採集狩猟経済から農耕経済への変化にともなって、憑霊型シャーマニズムへ移りかわる。

奄美のショッチョガマは動く神が依代の小屋に寄り来る段階の行事であるが、小屋を踏み潰す行為には依代撤去の他に場面(幕)替わりの意識もある。

 

動かぬ常在神

奄美大島南部や加計呂島にはイビガナシ(写真上)やグンギン(写真下)とよばれる自然石を神と崇める信仰がある。イビガナシは聖なる石、グンギンは権現の意味である。


 

 


 

動く神を迎える仮設の祭殿

 

天皇家の大嘗祭で皇祖神アマテラスを伊勢から招く。アマテラスは伊勢神宮では動かない神である。


 




 

                      (つづく)





諏訪春雄のホームページ



フッターイメージ