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諏訪春雄通信


837回 (2018年12月31日更新)






          新年のご多幸をお祈りしております。
 今年も最後の通信になりました。旧年中、知人、縁者に不運、不幸が重なりましたので、年賀状の送付を欠礼させていただきます。勝手ですが、この欄を借りて、今年に変わらず、新しい年での、ご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。




 2019年度京都造形芸術大学日本芸能史 「女性と芸能」

 

 

2019度の京都造形芸術大学の連続講座日本芸能史の総合テーマは「女性と芸能」に決定しました。日本の芸能史の本質を考える上で最重要の問題です。

 

本年2018年12月16日の民族文化の会の発表「女性祭祀が国を救う」で詳しくお話したように日本は女性の霊性が守護してきた国です。女性の霊性とは、女性の産育と大地の豊穣が合体した大地母神信仰に由来するもので、日本の古代から現代まで連続して日本文化の根底の力になっています。日本古代のヒメ・ヒコ制は、女性が祭祀、男性が俗事を分担する制度で、『魏志倭人伝』が記す邪馬台国の卑弥呼と弟の例が有名ですが、邪馬台国に限られず、女性のヒメと男性のヒコとで、一国の祭祀と政治を分担する例は、古代日本の各地で行なわれていました。

 

『古事記』・『日本書紀』・『風土記』などには宇佐地方(豊国)にウサツヒコとウサツヒメ、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ、加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えています。また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えています。

 

その伝統を受け、現在もヒメとヒコの名を持つ一対の神社が日本各地に百社近くあります。

 

日本に百社近く残るヒメ・ヒコ神社 若倭姫神社・若倭彦神社 大阪府柏原市


   


 

 根底には神との交流能力の強い女性の霊性が兄弟を助けるという信仰があり、沖縄のオナリ神信仰はその典型例です。

オナリは沖縄語で姉妹をさすことばで、兄弟を意味するエケリに対応します。エケリの危難をオナリが救済するという信仰です。エケリが旅行に出るとき、オナリが身に着けたものを持たせます。

 

この信仰は沖縄に限られず、東南アジア一帯にも広がっています。下の写真は、インドネシアのサブ島の織物イカットです。 姉妹が男性兄弟を守護するために織る布です。


  


 

日本の女性霊性信仰の大きな転機となったのが仏教と儒教の伝来です。

仏教では、真言宗、天台宗、日蓮宗などの基礎法典となった『法華経』「提婆達多品」に、「女性は五障のある身であり、そのままでは成仏できず、いったん男子に変じて、比丘として修行してはじめて成仏できる」と、いわゆる変成男子の法を説いています。儒教では五経の一つとして最重要視される『礼記』「郊特牲」に三従の法が説かれています。「婦人は人に従う者なり。幼くして父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫死すれば子に従う」といいます。さらに、『周礼(しゅらい)』『礼記(らいき)』と並ぶ三礼(さんらい)との一つ『儀礼』「葬服伝」には、「婦人に三従の義があり。専用の道(自分で判断する行為)はない。故に未だ嫁さずしては父に従い、すでに嫁しては夫に従い、夫死しては子に従う」と説いています。

 

このような女性差別思想は、日本の民俗にも影響をあたえ、「血の穢れ」の思想が生まれてきました。

吉川弘文館『日本民俗大辞典』の「血穢」の項には次のように説明しています。

 

「女性特有の出血である月経と出産時の荒血は、穢れたものとみなされてきた。これらは赤不浄・アカビなどとも称され、死の黒不浄とともに忌むべき大きな穢れとされた。産の穢れを白不浄と呼ぶ地域もある(中略)月経・荒血に限らず血を穢れとする観念は、当初、神社・神事の禁忌として現れた。古くは血は豊穣をもたらすものとされたが、死穢を連想させるためか次第に忌まれるようになり、九世紀中ごろに穢れとされるようになった。」

 

 この説明で重要な指摘は、女性の血はむしろ豊穣をもたらす、農耕には必要なものとして観念されていましたが、仏教・儒教の影響下で生まれた女性差別思想の浸透で穢れと意識されるようになったということです。

 

 このように女性差別思想がさかんになっても、女性霊性信仰は形を変えて継承されます。伊勢の斎宮はその一つです。

 伊勢神宮に天皇家の未婚の内親王または女王が斎宮として奉仕しました。天皇即位後に選ばれ、一代に一人が伊勢で神に奉仕しました。天武天皇の時代の大伯皇女(おおくのひめみこ)に始まり、後醍醐天皇の祥子内親王を最後に廃絶しました。

 斎宮の神事関与は6、12月の月次祭と9月の神嘗祭の玉串奉納のみでした。実際の神事は数人の物忌と呼ばれる童女・童男と物忌父(大物忌とも)が担っていました。こちらは現在も存在する制度です。通常の神社の神主と神子の関係に当たります。

 

 斎宮制度は変質しましたが、その精神はしっかりと、現在の宮中祭祀に受け継がれています。伊勢神宮はそのままに宮中三殿として継承され、天皇を宮司に、生涯を神に捧げた女性の内掌典によって守られています。


    


 

現代の日本本土では多少変質したように見える女性霊性信仰ですが、日本の古典芸能・芸道の世界や、沖縄の離島などでは、古代のままに現在も生きています。女性の霊性に守られてきた国が日本であり、女性霊性への理解なしに日本と日本文化の本質を把握することは不可能なのです。

 

わずかな例をあげます。

 

下の写真の左は沖縄久高島の盆行事ハティグヮティマッティです。島の聖地久高殿の前で女性シャーマンのノロが主宰して実施される払いと健康祈願の祭りです。右は琉球列島の来間島(くりまじま)の旧暦九月の豊穣祈願の祭祀ヤーマスブナカ。どちらも女性の巫女(来間島では神女という)が主役であって、男性はまったくの脇役にすぎません。


 

  


 

 以上のようなコンセプトに基づいて完成した2019年版の日本芸能史の宣伝パンフが下の写真です。


 


 


 


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