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諏訪春雄通信


854回 (2019年5月6日更新




 「女性祭祀が日本を救う」 (11)

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女観や、仏教・儒教の思想では、絶対に見えてこない風景です。


Ⅴ 奄美の祭祀に見る女性と男性 

 

動かぬ神・動く神に対応するお練りと神アシャギ

 

沖縄・奄美の行事には踊り手が移動するお練りと祭場を固定する神アシャギの二形態がある。奄美のショッチョガマでも、以前は、前の晩に青年男女が日暮れを待ち、仮装して、太鼓を打ち、三味線を弾いて歌を掛合い、八月踊りをして家々を回るケブリ(家)踊りと称するお練りが夜を徹して行なわれたという。(『おきなわの祭り』)

なぜ祭りの行事に二形態があるのか。神が動かぬ段階では、人間のほうが神の鎮まる聖所を拝んで廻った。お練りの起源である。神のほうで動く段階が到来したときに、人間のほうで祭場を用意して神々の来訪を待ち受けた。神アシャギの起源である。

 

ショッチョガマ・平瀬マンカイから見えてくるもの

 

① 渡瀬ラインで区切られる日本列島の北部温帯地方と対比される南部の亜熱帯地方の民俗行事の本質。

② 大陸の行事を継承した旧暦七月の盆行事とは異なる西域起源の八月正月の豊作祈願と合体した祖霊祭祀の実態。

③ あらゆる他界観念の基層にある海への信仰。

④ 漁業と農業という二大生業の融合した各種行事。

⑤ オナリ神信仰に代表される女性中心社会から男性優位社会へと推移する過渡期の様相。

⑥ 動かぬ神から動く神へという信仰の変化の実相。

以上の六点を通して、本土日本ではすでに失われた民俗信仰と行事の存在が実感される。

東北大災害の復興を通して明らかになった《祭りや芸能が地域を団結させる》ということ、余った時間と経済力で祭りや芸能を演じるのではなく、祭りや芸能が地域を活性化させ、生活の余力を生むのだという事実が、現在の沖縄・奄美の祭りや芸能からもはっきりみてとれる。


 Ⅵ 日本の女帝

 

邪馬台国 卑弥呼

 

 

倭人は帯方の東南大海の中にあり。山島に依りて国邑をなす旧百余国漢の時朝見する者あり。今使訳通ずる所三十国郡より倭に至るには海岸に循って水行し、韓国をへて、あるいは南し、東し、その北岸狗邪韓国に至る七千余里。

 

その国、本また男子を以て王となり住まること七、八十年。倭国乱れ相攻伐すること歴年乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大なるも夫婿なく男弟あり。佐けて国を治む王となりしより以来見るある者少なく婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり。飲食を給し辞を伝え居処に出入す。宮室楼観城柵厳かに設け常に人有りて兵を持して守衛す。(「魏志倭人伝」)

 

邪馬台国の卑弥呼は中国で三世紀ごろに編纂された歴史書『三国志』のなかの『魏志倭人伝』の上掲の記事による。しかし、その史実については議論があり、なかにはその存在自体を疑う説すらある。

たとえば、田中英道氏は『邪馬台国は存在しなかった』(勉誠出版、2019年)で、

 

邪馬台国も卑弥呼も『魏志倭人伝』以外に記録がない、

邪馬台国も卑弥呼も蔑称である、

『魏志倭人伝』は伝聞をもとに構成された物語である、

日本に卑弥呼を祀った神社が存在しない、ただ一つ存在する神社は昭和57年に建立された、

 

などの多くの理由をあげて、存在否定論を展開している。

 たしかに、『魏志倭人伝』の記述通りの固有名詞を持つ国や女王が存在したか、どうかには疑問がのこるが、このような国の制度があったことは信じられる。

 

 日本の女帝とヒメ・ヒコ制 
 

日本の古代に姉妹と兄弟が祭事と政治を分担する統治形態ヒメ・ヒコ制が存在した。地名ヒメと地名ヒコの名の男女が分担する。

『古事記』・『日本書紀』・『風土記』などには宇佐地方(豊国)にウサツヒコとウサツヒメ、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ、加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている。

その史実を反映して、日本の各地に百社近くヒメ・ヒコで一対となる神社がのこされている。これらをすべて虚構と片付けることはできない。

 

 

 

このヒメ・ヒコ制の根底には東南アジアから東アジア一帯に広まる姉妹の霊性が兄弟を守護するオナリ神信仰がある。

沖縄にオ(ヲ)ナリ神とよばれる、兄弟を主語する姉妹の霊力に対する信仰がある。はやく伊波普猷(いはふゆう)が『をなり神の島』(楽浪書院一九三八年)で、柳田国男が『妹の力』(創元社、一九四〇年)で論じた問題であった。

オナリは、奄美、沖縄、宮古、八重山の諸地域で、兄弟から姉妹をさすことばである。姉妹から兄弟をさすときはエケリという。

オナリ神は呪詛にも力を発揮するが、多くは兄弟が危機に陥ったときに守護してくれる。航海や戦争に出発の際、姉妹は守護のしるしとして、手ぬぐいや毛髪を持たせ、兄弟が危機に陥ったときに、姉妹の霊は白鳥になって現地に飛ぶという。

姉妹は兄弟に対して霊力で守護し、他方、兄弟は姉妹に対し、日常生活で守護の役割を果たす。しかも、家族のレベルを超えたさまざまな上位の祭祀集団にもこの関係をみることができる。根神(ニーガミ)と根人(ニーッチュ)、ノロと按司(アジ)などとよばれる地域の信仰関係、聞得大君(きこえおおきみ)と王などの王権の信仰関係である。

この信仰の源流については、東南アジアに求める説が有力である。オナリ神を最初に学問の課題として体系化した柳田国男は、オナリ神の源流を日本の外に求めることはしなかったのであるが、柳田の影響下に、戦後、この問題に取り組んだ社会人類学者の馬淵東一は、東南アジアとの関係を強調した。(「沖縄先島のオナリ神」『日本民俗学』一九五五年)

さらに、馬淵の教え子の社会人類学者の鍵谷明子氏は長期のインドネシア調査を続け、その成果を『インドネシアの魔女』(学生社、一九九六年)としてまとめた。鍵谷氏は、インドネシアの小スンバ列島のなかのサブ島、ライジュア島という二つの島を二十年近く毎年訪れ、沖縄のオナリ神信仰と一致する信仰を発見した。この二つの島では、兄弟が遠い旅に出るとき、必ず姉妹に知らせ、姉妹はイカットとよばれる手織りのかすりの布を贈る。このイカットには、兄弟を守る強力な霊力があると信じられている。

馬淵・鍵谷両氏の研究によって、オナリ神信仰の源流は、確定したように思われていた。


 

しかし、と私は考える。日本の古代神話でも、イザナギ・イザナミの国生み神話、天地分離神話、海幸彦・山幸彦神話などの王権神話の重要なものが、東南アジア起源として説明されていたが、私は、二〇〇五年に角川書店から刊行した『角川選書 日本王権神話と中国南方神話』で、これらの神話の原型が中国長江流域の少数民族神話にあることを、多くの実例をあげて明らかにした。同じことが、オナリ神についてもいえるのではないか。

東南アジアに、日本の神話や習俗と類似するものがのこっているのは、多くの場合、中国大陸から左右対称にせり出していったものの、末端残留現象として説明できるのである。

オナリ神信仰をアジア起源とすると、説明のつかないことがある。

沖縄のオナリ神信仰と相似の信仰が本土日本のヒメ・ヒコ制である。もしオナリ神が東南アジア起源なら、本土のヒメ・ヒコ制も東南アジア起源となるのであろうか。

ヒメ・ヒコ制は、すでに説明したように、兄弟と姉妹が政治と神事を分担する統治の形態である。一般に、「地名+ヒメ」と「地名+ヒコ」の名を持つ男女が、一対となって、その地域を支配する原始的な王権のあり方であった。具体例は、『日本書紀』神武天皇即位前紀のウサの国の祖先ウサツヒコとウサツヒメを始め、日本の古代にかなりの数拾い出すことができる。その原型は、卑弥呼とその弟の関係にまでたどり着くことができる。あきらかにオナリ神信仰に一致する。

ヒメ・ヒコ制は女性の霊力に対する信仰である。このような信仰は、中国南部に過去もいまも広がって存在する。

女性が霊力を持つと信じられる理由の一つは、神がかりによる特殊な予知能力を身につけているからである。憑霊型の女性シャーマンである。日本の古代の女王であった卑弥呼、壱与、神功皇后、飯豊女王の四名ともにあきらかに憑霊型の女性シャーマンであった。長江流域には、神が巫女の身体に宿るシャーマニズムの憑霊型が盛んであり、日本の古代の巫女の女王の源流は、長江流域に存在する可能性が考えられるのである。

 

このようにのべてくれば、邪馬台国や卑弥呼が単なる中国歴史書の著者が創りあげた架空の物語などでないことは明らかである。古代日本に実在した国家制度の正確な記述である。

 

                       (つづく)

 






 



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