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諏訪春雄通信


855回 (2019年5月13日更新



私のホームページの容量の関係で、これまで続けてきた「アジア調査の記憶」をしばらく休載します。「諏訪春雄通信」は分量を減らし、「民族文化の会」はこれまで通りに連載します。


 「女性祭祀が日本を救う」 (12)


 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。西欧流男女観や、仏教・儒教の思想では、絶対に見えてこない風景です。


 Ⅵ 日本の女帝

倭人=越人の習俗

 

「倭人伝」とあるように、邪馬台国は倭人が創った国であった。倭人の故郷は長江流域である。倭人はまた越人(えつじん)とよばれたこともあり、さまざまなきっかけで朝鮮半島南部、日本、台湾、ベトナムなどに、居住地域を広げていった。

従って、彼らの習俗や信仰は長江流域から、彼らが伝えたものと断定することができる。『魏志倭人伝』が記す邪馬台国の倭人の習俗は、魚を獲る生活、すぐれた航海術、刺青(いれずみ)、断髪、蛇や竜に対する信仰、貫頭(かんとう)()(すっぽりかぶり頭だけ出す袋型の衣装)、歌垣(うたがき)や妻問い婚、一夫多妻制などであった。これらはすべて、長江流域に広がって住み、古代越人の子孫といわれる少数民族社会に、かつて存在したか、現在も見ることのできる習俗である。

 

長江南部の女性巫女

 

ヒメ・ヒコ制は女性の霊力に対する信仰である。このような信仰は、中国南部に過去もいまも広がって存在する。

女性が霊力を持つと信じられる理由の一つは、神がかりによる特殊な予知能力を身につけているからである。憑霊型の女性シャーマンである。日本の古代の女王であった卑弥呼、壱与(いよ)、神功皇后、飯豊(いいとよ)女王の四名ともにあきらかに憑霊型の女性シャーマンであった。長江流域には、神が巫女の身体に宿るシャーマニズムの憑霊型が盛んであり、日本の古代の巫女の女王の源流は、長江流域に存在する可能性が強い。

 

神功皇后  『古事記』『日本書紀』

 

一例として神功皇后をみる。

『古事記』仲哀天皇の箇所に次のようにある。

皇后の息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)は、昔、仲哀天皇が西国巡幸なさった時に神がかりをなさった。天皇が筑紫の香椎の宮においでになって熊襲を討とうとなさった時、天皇は神を招き寄せるためにお琴をお弾きになり、武内宿禰大臣は神託を受ける庭にいて、神のお告げを求めた。すると皇后が神がかりして神の言葉を告げられた。

また『日本書紀』仲哀天皇八年九月には

 天皇熊襲征討を群臣に相談された時に神が皇后に乗りうつって神託がある。

とあり、同書神宮皇后摂政前紀九年三月には

 皇后神主となり、武内宿禰に琴を弾かせ、中臣烏賊津使臣(なかとみのいかつのおみ)を審神者(さにわ)にして、神の声を聴く。

とあり、同書神宮皇后摂政前紀九年十二月一書には

 皇后、琴を弾き、神がかりして託宣する。

と記述されている。これらの記事によると、神功皇后は自ら神がかりして託宣を告げるシャーマンである。しかし、『日本書紀』神功皇后摂政前紀九年三月には「神主」とあって祭司でもあった。祭司とシャーマンの区別のなかったことがあきらかである。

 

稲作民族の女神信仰

 

チワン族の神話では、人類を生んだ母神は洛甲(らくこう)とよばれる母神である。布洛陀(ふらくだ)とよばれる男神と結婚し、分業して地と天を創った。

リー族では、大地の神を女神(地母)とみなし、毎年の田のすき返しの際に、細心の注意を払って地母を祀っている。また稲魂は稲(とうこう)と稲母(とうぼ)とよばれる夫婦神である。シャーマンには、道公(どうこう)、娘母(ろうぼ)、老人という三種のよび方があり、娘母は女巫のほかに男巫をもこの名でよんでいる。長江流域の男巫が女装する例が多いこととともに、稲作地帯のシャーマニズムが本来は女性の役割であったことに関わる現象である。

トウチャ族では、むかし、混沌から天地を造成したのは、張古佬(ちょうころう)、李古佬(りころう)という二柱の神であった。しかし、この神々も人間を創ることはできず、人間を創ったのは衣羅娘娘(いらろうろう)という女神であった。五穀の神は五穀娘娘とよばれる女神で、五穀を天上からもたらし、農耕を人間に教えた神であった。巫師たちは自分たちを「梯瑪(ていま)」とよぶ。馬死族の神女という意味で、馬は彼らのトーテム(信仰対象)である。

イ族は、収穫後の陰暦十月上旬に、大地の神である地母を祀る地母祭を行なう。地母は大地とイ族の人々、とくに女性の健康を管理している。地母祭は女性の祭りであって、男性が参加することは許されない。参加する女性たちは、三日まえから身を浄める潔斎に入り、男性と別居し、沐浴して祭りを行なう。

 

また、長江流域でシャーマンの主体を占めていたのは女性であり、男性が関与するようになっても、名称に女性の名を残したり、女装したりする。

中国南部の女性霊力の信仰としてとくに注目されるのが媽姐(まそ)信仰である。媽姐は海上の神、航海の女神であり、その信仰は、中国東海沿岸に始まって、台湾、シンガポール、インドネシア、沖縄にまで広がっている。

媽姐信仰は沖縄のオナリ神信仰とよく似ている。航海に出る男性への女性霊力の加護などの点では相互の交流も推定されるが、オナリ神信仰ほど古く遡ることはできない。十世紀後半に福建省に実在していた巫女の伝承が膨らんだものといわれている。

 

媽姐信仰自体は新しいが、このような女神信仰の誕生した背景には、中国南部から東海沿岸にかけて広く流布していた航海女神信仰の存在があった。いずれも、航海の安全や豊漁の女神であることに共通性がある。次のような神々である。(川村湊『補陀落』作品社、二〇〇三年)

 

日本  神功皇后 ハナゲ観音 宗像(むなかた)三神 沖ノ島女神 マリア観音 白山比咩(はくさんひめ) 

韓国  ヨンドン・ハルモニ パリ公主 

中国  媽姐

 

大嘗祭の本質

 

大嘗祭の構成は大きく次の二部から成立する。 

 

A 大嘗宮での新天皇の儀礼 B 宮中での天皇と群臣の饗宴 

 

Aは女神アマテラスの霊を身につけ、地方の女神を支配する儀礼である。

新天皇の廻立殿の湯浴み、悠紀殿の聖餐・就寝、廻立殿に戻り、主基殿で、悠紀殿と同じことを行う。

湯浴み(禊ぎ)と聖餐(共食)は通常の祭りに同じ。

就寝については以下の四つの説がこれまでに提出されている。

 

1 亡き先帝と新帝との共寝 折口信夫・堀岡文吉

2 新帝と采女との聖婚 岡田精司

3 死者を葬る喪屋 谷川健一

4 新生児のための産屋 折口信夫・西郷信綱

 

Bは男性の俗権力の継承である。 

 

悠紀(東方)・主基(西方)両殿は日本国の象徴であり、全体として南方原理が核心をなし外枠は北方原理で包む儀礼が大嘗祭である。

 

                 (つづく)

 

 




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