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諏訪春雄通信


856回 (2019年5月20日更新



 

私のホームページの容量の関係で、これまで続けてきた「アジア調査の記憶」をしばらく休載します。「諏訪春雄通信」は分量を減らし、「民族文化の会」はこれまで通りに連載します。
  


 「女性祭祀が日本を救う」 (13)

 

前回に続きます。「女性祭祀が日本を救う」というきわめて重要なテーマです。いまはほとんど忘却されてしまった女性の霊性が日本を救ってき、いまもこの国を救いつづけているという事実です。


 Ⅵ 日本の女帝

 

ハニ族新嘗祭フォシージャー 

 

日本の新嘗祭、大嘗祭に類似する太陽、稲魂が結合した祖霊の祭祀は中国南部の少数民族社会に行なわれている。私の調査した具体例をあげる。まず、ハニ族である。この祭りは次のような特色を備えている。

 

1 家の祭である。

新嘗の時には家族全員で新穀を食べる。その際、客を招かず、家族以外の人には食べさせない例が多い。また新穀を収めた穀倉は他人に見せようとはしない。

 

2 女性が主宰する祭である。

 調査した60余の村の内、11の村が「新嘗」は女性家長が主宰すると答えた。男性が主宰すると答えた村は2例であった。

 

3 新嘗儀礼の中心にあるのは穀霊(稲魂)信仰である。

田畑にいる穀霊を家の中に迎え入れ祖先棚あるいは穀物蔵で休息してもらう。新穀を祖霊、穀霊および天神に供え共食する。新穀を食することは穀霊を食べることに他ならないという観念が今日も残されている。

 

4 穀霊信仰と祖霊信仰とが結合している。

田畑から迎え入れられた穀霊は祖先棚に安置される。この祖先棚の移動や新設は新嘗の日に行わなければならない。

 

5 穀霊を保護しているのは聖樹である。

穀霊信仰と聖樹崇拝とは結合している。

 

ハニ族最大の祭は、田植前に行なわれる聖樹祭(アマトゥ)である。稲魂を庇護する天神が聖樹を伝わって降臨すると考えられている。聖樹は村建ての時、村のセンターとして選ばれるものであるが、西双版納(シーサバンナ)では各家で聖樹をもつ村があった。

次はトン族である。

 

トン族の神嘗祭ジィ・ササセ(聖母祭)

 

三年ごとの正月一日に小さな祭り、五年ごとの正月一日に大祭がある。聖母は先祖の女神薩歳であり、稲、太陽と三位一体。日本のアマテラスに一致する。儀礼は次のような順序で展開する。

 

⓵ 聖母を迎える儀礼。

巫師の家の天井裏の祭壇に祀られる聖母の前で祭り開催の許しを乞い、降臨した神霊を鳥竿に載せて村人の待つ広場に移す。聖母のご神体は古傘。

 

⓶ 聖母と村人の合体。

広場の祭壇に稲束、魚、酒が供えられていて、顔を黒布で覆った八人の男性が巫師の祈祷で神がかりとなって稲束をむさぼり食べる。

 

③ ガ・ゲン。 芦笙舞(ろしょうまい)。

長老を先頭に男性若者が歌舞を演じる。

 

④ ドゥーエィ。男女掛合の歌舞。

 

この祭りの基本構造は、太陽神、稲魂、女神の三位一体の祖先神を迎え、神と子孫が一体となって稲を共食し、賛美と感謝の歌舞ののち、神を送り返すことにある。


 Ⅶ 女性演技

 

アジアの女巫芸能

 

越南(ベトナム)河内安腐12号の安寿廟。ここで演じられた母道とよばれるシャーマン儀礼である。母道は主役の女性が神前で多様な役柄を演じる。女性はもちろん、男性にも扮する。そのために各種の小道具、武具の類がおいてある。変身は布のなかで介添えが手伝って行われる。神前に用意された幾通りもの衣装を着替え、依りつくものの種類と性格を踊りと演技で表現する。それにつれて男性たちの演奏する音楽も変化する。一つの役が終わるとタバコを吸ってトランスを表現して変身する。

 

母道はベトナムの祖先神了幸母神を信仰する巫女集団をさしたが、のちに芸能化した。神前で衣装も着替え、歴史上の人物、老若男女の各種の役を、演じてゆく。その演技と舞踊は洗練されていて、人気のスターには追っかけもつく。複数の女性が出演し、休憩時間には菓子も場内に配られる。


 

この地には、ベトナム人がふかく信仰している女神了幸(柳杏とも記す)聖母の生まれ故郷で、墓がある。歴史上の実在とされる一方、中国道教の最高神玉帝の恋人とも娘とも信じられている。民族の祖先の女神でしかも歴史上の実在とも信じられている点は、日本の皇室の祖先神アマテラスとも通じる。母道は了幸聖母を信仰する巫女の祭祀芸能である。しかし、芸能化が進み世間的に成功した女性が、経費を自分で負担し、神社に奉納する。神がかりすることもないし、神のことばを伝えるえることもない。祭祀の形はとっても、彼女は俳優でもあり、スターでもある。一番の役が終ると頭から布をかぶって変身の過程に入る。狭い幽暗の場所に籠ってての再生である。身体に新しい神がやどり、彼女はその神になりきる。しかし、トランスに入っているわけではなく、すべては意識的に整序されている。

 

ハノイ市内で見学したベトナムの伝統演劇「嘲戯」。洗練された所作、歌舞、せりふで、時代の政治権力や腐敗した宗教権威などを痛烈に風刺する。使用されている言語は現代ベトナム語にかなり近いという。女性中心の構成で男性はもっぱら道化役でやりこめられる。市内のホテルの一室のようなせまい場所で演じられ、観客席は日本の能舞台と同じく三方から舞台をかこんでいた。楽器は、大太鼓、小太鼓、笛、銅鑼、弦楽器など。演技を終えた役者が楽屋に引っ込むことなく、舞台奥に並んで座って、合唱に加わり、次の出番を待つのも、日本の能舞台に似ている。シャーマニズムの祭祀儀礼から演劇が誕生・進化したという観点に立つと、この演出法は、中国各地やベトナムで見た、神仏(トランス、仮面)、サニワ、音楽、介添えなどの各役を巫師が交代でつとめる儀礼形態に従っていた。

 

ベトナムとの国境の町、広西チワン族自治区の南山村のチワン族の女巫李鳳招(当時44歳)。チワン語でメバ(女仙)とよばれる。3年の巫病にかかって、巫となる。妹がサニワで、よりつく神は男女さまざまであるが、神名は不明という。商売人たちがベトナムの国境を越える私的なルートがあり、彼女は、かなり自由にベトナムに入って、巫業を行なっている。鈴を鳴らし、弦を弾くうちに神がかりし、鈴を振りながら踊りだした。音楽が、神をまねく依代の一種であることを実感させられた。音にのって神は出現する。

 

浙江省奉化市桐照郷尹家村の巫女。共産政権下、巫は迷信として存在しないはずであるが、事実は、民衆に浸透して大きな影響力をふるっている。人口300人のこの村には、僮聖とよぶ男巫が一名、巫婆とよぶ女巫が11名もいた。その一人、もっとも評判の高い巫婆が写真の程桃意41歳。結婚して子どもが2名いる。29歳で神の招きの巫病にかかり、全身脱毛し食事も喉を通らない苦しみを体験して、33歳で巫女となった。巫女となってから7年あまりのあいだに5万人もの信者が、病の治療、占いなどに訪れたという。彼女は信者の願いを9割がた満足させ、活き神仙、活き菩薩と呼ばれた。多くの巫女は、タバコ、または線香の煙を吸ってトランスに入るが、彼女の場合、口のなかで「神よ、わが身に宿り給え」ととなえるだけで、あくびをしはじめ、蒼白となって憑依状態になる。託宣は、直接、彼女の口から告げられるが、紙に詩や文字を書いて伝えられることもある。神が去るときもグオゥと奇声を発してあくびをする。

 

湖南省麻陽苗族自治県の苗族女シャーマン 

 私の友人のトン族の民俗学者林河氏が占ってもらう。その後私も占ってもらったが勝手がちがったらしく的中率は3割くらい。

 覆面を脱いで占いの結果をのべる。 


   

   (つづく)

 


 



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