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諏訪春雄通信


839回 (2019年1月14日更新)





 竜と蛇―台湾から日本を見る― (27)

 

「台湾原住民は日本人に先行する倭人である」という視点に立つと、日本だけでは解けなかった日本古代史の多くの難問が解決できます。今回考えたいのは、竜です。

 

竜は地球規模でひろがって存在する聖獣ですが、その誕生についてはまだ定説はありません。一般には次のように説明されています。

 

想像上の動物。体は大きな蛇に似て、四本の足、二本の角、耳、ひげをもち、全身鱗に覆われている。多く水中にすみ、天に昇り雲を起こして雨を降らすという。中国では、鳳・亀・麟とともに四瑞として尊ばれる。竜神や竜王はこれを神格化したもの。たつ。(『大辞泉』)

 

竜がどのようにして誕生したのか、研究者の間に意見が分かれています。はやく、紀元後二世紀の王府という人に九似説があります。角は鹿、頭はらくだ、眼は鬼、うなじは蛇、腹はみずち、うなじは蛇、鱗は魚、爪は鷹、手は虎、耳は牛に似ているという説です(中野美代子『中国の要妖怪』岩波新書、一九八三年)。

 

この考えは九種の動物を合成した存在が竜ということです。王府以降も竜の形成については多様な説が中国の研究者によって提出されてきました。

 

四川省漢代画像石の竜


 




 

 竜の原型については、蛇、馬、とかげ、鰐、河馬、恐竜、雲、虹、雷光、松樹などのさまざまな説が出されました(劉志雄・楊静栄『竜と中国文化』人民出版社、一九九一年)。

 

 また、日本の研究者では百田弥栄子氏がオンドリ起源説を提出しています(「竜の誕生」『日中文化研究 第6号』勉誠社、一九九四年)。

 

 このような多様な各説のなかにあって中国の研究者に大きな影響をあたえつづけている説が、歴史学者聞一多氏のトーテム統合説です(「伏羲考」「聞一多全集」開明書店、一九四八年)。この説は、蛇トーテムを基礎にすえ、さらにその時代に各氏族がもっていた各種トーテムを統合して形成されたと主張しています。竜の各パーツが馬、犬、魚、鳥、鹿などに似ているとしても、直接にそれらの動物によって形成されたのではなく、それらの各トーテム(ある社会集団と,特殊・象徴的な関係をもつ動植物や鉱物などの自然物)を保持していた氏族をもっとも強大であった蛇トーテム氏族が統一した結果であったといいます。

 

 この聞説は現在中国で竜について論じる人たちが多少にかかわらず依拠している考えです。しかし、きびしい反論も提出されています。なかでも、前掲『竜と中国文化』の二人の著者による反論は聞説の弱点をするどく突いています。彼らはいいます。

 

竜が大きな社会集団のトーテムである蛇を基礎にすえて形成されたと聞説はいうが、通常、大きな社会集団のトーテムがただ一種であるということはなく、多くの種類をもっているのが通例である。インディアンの氏族は三百六十ほどあり、トーテムの種類は百五十種を超える。中国古代にトーテム崇拝があったことは確実であるが、蛇をトーテムとした強大な氏族の存在を証明することはできず、また、馬、犬、魚、鳥、鹿などをトーテムとして大氏族に統合された弱小氏族も確認できない。さらに、中国古代の考古遺跡にみとめられる動物造形をトーテムの表現形式とみることはできず、一種の文化類型とみるべきである。考古学上の文化類型と、社会学上の概念である氏族部落とは異質な二つの概念であり、時空の範囲は前者がはるかに広大である。

竜は、中国文化史上に出現した、長身、大口、多くの角と足をもった、変幻自在の、この世には存在しない神秘な動物である。竜は商(殷)の時代になって、新石器時代にまでさかのぼることのできる魚紋(渭水流域)、鰐紋(淮河流域)、鯢紋(渭水流域)、猪紋(遼河流域)、虎紋(太湖流域)、蛇紋(汾水流域)などを総合して形成された。商代以前に竜の存在した証拠はない。

 

 このように紛糾をきわめる竜の誕生に関わる論争に決着をつけるうえにも、台湾原住民の文化は参考になります。

『竜と中国文化』の著者は、聞説を否定するために「蛇をトーテムとした強大な氏族の存在を確認できない」と主張します。氏族、トーテムなどの西欧流の社会学概念、文化学概念に依拠するかぎりでは、この否定論は成立しますが、東南アジア、東アジア、そして台湾などに流布する、蛇の信仰が竜の誕生を考える重要な資料であることは確かです。

 

台湾原住民に竜の信仰はありません。これは貴重な資料です。東南アジア、中国大陸南部などは、蛇信仰のつよい地域ですが、竜の信仰も併存しています。つまり、蛇信仰のつよい地域に竜の信仰はなく、蛇信仰が弱まってくると竜の信仰が強まってくることが分かります。

 

二〇〇一年夏八月に長期の中国少数民族調査を行なったときの見聞です。八月十一日、湖南省麻陽苗族自治県の漫水村で苗族の竜舟行事見学ました。この村には竜王廟があり、竜舟祭はその氏子たちの奉納行事でした。下の写真は、太鼓に合わせて漕ぎ進む竜舟であり、先頭に拍子取りが立っています。 





 

このあと、ミャオ族の集落を訪問したとき、その入口の門に次のような双竜と太陽の飾りがありました。以前にも紹介した写真です。


 




 

 ミャオの人たちはこれを竜といっていましたが、明らかに蛇です。竜と蛇が混交しています。

 

 本来の竜は天の信仰を基盤に、蛇信仰の弱い中国北方で誕生しました。しかし、竜は水神としての性格もつよくもち、大地の信仰を基盤とする蛇の信仰の本質も保持しています。上記のミャオ族の竜と蛇の混交などを考慮すると、蛇の信仰の上に天の信仰がかぶさって竜を誕生させたとみることができます。圧倒的に蛇の信仰のつよい台湾原住民、そして日本の縄文文化に竜の信仰がまったく存在しないことから、そのように考えられるのです。

 竜と蛇の混交は、珍しいことではなく、蛇の信仰地域に普通にみられる現象です。

 

『呉越春秋』によると、越の人たちは水に住む蛇や竜の害を避けるために、蛇や蛇の変形した竜の入墨をしていたとあります。 

 

同じ入墨の模様について、『史記』の「世家」には、「呉人は常に水中に在り、故にその髪を断ちその身に文し、以って龍子の像(かたち)をす、故に傷害を見ずなり」とあって、「竜子の像」といています。中国北方の竜への信仰をもっていた『史記』の著者司馬遷が蛇の鱗紋・鋸歯紋を「竜子」と表現していました。

 

浙江省の寧波地方では、年越し行事として黄色と青色の竜の舞をしながら家々を巡る習俗がありますが、じつは、この竜は看家蛇からの変化で、家の守護神として信仰されているといいます(中国民間文芸研究会浙江分会『白蛇伝論文集』)。

 

中国の国民的伝説の「白蛇伝」は、白蛇の精,白素貞(はくそい)と人間の若者許仙(きょせん)との西湖を舞台とした恋愛悲劇です。この伝説には中国人の水神の蛇に対する信仰が全面に行き渡っています。古代から怨霊、ことに水死した怨霊は、干害など農耕に害のある祟りを働く水神即ち竜蛇神とよばれ、これを宥めるための祭祀が行なわれてきました。「白蛇伝」で仏教の高僧法海に敵対して悲劇的な死を遂げる白素貞は、このような怨霊の物語化であり、大地の神としての蛇と竜の化身でもあったのです(西脇隆夫「『白蛇伝』と蛇をめぐる民俗―中国―」)。

 

このような蛇と竜の混交現象から判断して、竜は蛇の信仰の薄れた中国北方で、蛇から変化して誕生した聖獣であったとみることができます。蛇信仰のつよい東南アジア、東アジアに、本来、竜の信仰は存在しなかったのですが、中国北方文化の浸透とともに、蛇と竜の混交が始まりました。しかし、竜文化浸透以前の早い段階でこの地方から渡来してきていた台湾原住民は竜の信仰をもたず、その影響を受けた日本の縄文人も竜の信仰をもっていないのです。竜信仰のないことによって台湾原住民文化の大陸からの古さが想定されるのです。 



 



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