苦労の多いイタリアの旅 〔ツェルマットからヴェネチア〕

 

 旅行中に、同じように旅する日本人にあちこちで出会う。 そこで話題となる実用的な情報は、今どこが物騒で、どんな手口で引ったくりなどの被害に遭うかといった、危険地帯情報だ。
近ごろはイタリアよりもスペインが恐いらしい・・・という情報も多くあったが、私はイタリアが無性に恐かった。近づくことすら恐ろしかった。
でも、、あまりに魅力のある街が多すぎる。本物のの名画や遺跡にも触れてみたい。
私たちがイタリアに入ったのはスイスのツェルマットでマッターホルンの周辺をハイキングした後だった。 スイスのBrig 13:45発、翌朝Venezia 7:28着 の夜行列車に乗った。何故だかわからないのだが、寝台を取らず、六人用コンパートメントに五人が陣取って、椅子を引きだして平にし、眠れる体制にしたものの、暖房の効きすぎ(故障していたのかもしれない)と、次々とドアを開けて入ってこようとする人々と、緊張で一睡も眠ることが出来ず、最悪のコンディションで、私たちにとって最初のイタリアの都市、ヴェネチアに到着した。  

 最初の被害は釣り銭をもらい忘れて損をしたという話である。
そのヴェネチアに到着した朝、まずは駅で両替をする。初めて見たリラは円に換算したらどの位 なのか見当もつかない。普通の状態ならまずは電卓で計算して1リラが何円になるのか計算するのが慣例だが、頭がもうろうとしているものだから、そんなことよりまずは朝食ということになり、近くにあった繁盛している多種のサンドウィッチを売っているパン屋さんで買って、簡単に済ませることにした。 ピザとサンドウィッチで、3250リラだったのだが、お金のことがわからなかったので、とりあえず、大きそうなお札を一枚差し出した。 すると店のお姉さんは私に小銭を750リラ手渡し奥へ行ったので、私も店を出ようとすると、近くにいたお客のおばさんが、まだお釣りがあるよ・・・と教えてくれたため、待っていたら、再びお姉さんが出て来て、残りの6000リラを返してくれたので、私はグラッツェと喜んで店の外に出た。 しばらくして、あと40000リラ貰い忘れたことに気がついた。 大ざっぱに日本円に換算して(当時のレート)325円のパンを買うために4325円支払ったことになる。 日本人が引き算をするのと違い、こちらでは足し算で考えるので、こういうことになるのだが、このお姉さんが意図的にやっているという疑いはあるものの、こちらもボーッとしていたうえ、計算が苦手なので、今後のための反省事項として、自分の落度を認めることにする。
 しかしイタリア人は変だ。日本人の感覚からすると、理解しがたい面が多々ある。 まず、ものすごくおしゃべりだ。
声も大きくところかまわずしゃべりまくっている。 例えば列車に乗っている時、コンパートメントの中には種々な人々が入れ代わり立ち代わり乗り込んでくる。
通勤中のOL、学生、主婦など年齢層もさまざまだが、たいてい一人で乗ってきて、隣にたまたま座り合わせた人とおしゃべりが始まる。そのうち、ひとり、またひとりと知らない者同志のおしゃべりの輪が広がっていく。 その話ぶりから、通り一遍の世間話でもなさそうだ。口から泡を飛ばしながら、数時間途切れる間もなくおしゃべりの花を咲かす。そして一人が降り、その席に新しく乗ってきた人が話に加わり、果 てしなく線路があるかぎり話は続く。
デパートの店員さんもしかり。店員さん同士でおしゃべりに夢中でかまってくれないし、買いたいものがあっても声を掛けるのが悪いぐらい。
客に対する態度も相当なもので、何か買ったりすると、レジの人は終始ムスッとして、お釣りを渡す最後に、『グラッツェ』という時にだけ、引きつった笑顔を見せる。 これは一瞬のことなので見逃してはならない。
もしイタリア語が理解できてたなら、何を話しているのか解っておもしろいだろうな・・・と思う。
 レストランでは、昼間は主婦同士で、食事に来ていることも多い。 みんなきれいな身なりをして、おしゃれだ。
あるとき、となりにおばあちゃんが二人で食事に来ていた。見るとはなしに見ていたら、スティック状の乾パンの様なもの(グイッシーナ)を、おしゃべりしながら長い間食べていた。年金生活でつつましく暮らしているのかもしれない。歳をとって食が細くなっているのかもしれない。それでも着飾ってレストランにやってくるのが楽しいのだろう。
・・・などと余計なことを考えるんじゃなかった!
しばらくして、ウエイターがその二人のところに来て、大きなピザを一人一枚づつポーンポンと置いていった。直径45cmはあるだろうピザを当たり前のことのように食べていた。(日本のおばあちゃんなら三人で一枚で充分) 私はひたすら感心し、そこで店を出てしまったが、その後も二人はメインにお肉やデザートなんかも食べたのかも知れない。

 イタリア人のパワーはすごい!文化に厚みがある。そしてセンスがいい! 何故だろうと考える。 例えばローマにはフォロ・ロマーノのような古代遺跡が街の中のひとつの風景として人々の生活と共存している。住んでいる人々は毎日のように当たり前の景色としてそれを見ながら生活をする。 バチカン美術館やウフィッツィ美術館(フィレンツェ)などの超級のミュージアムに、いつでも散歩に行ける。
教会ではダ・ヴィンチの壁画や彫刻に幼いころから触れることができる。
そんなふうに文化が体に染み付いているのだろうか。 ヨーロッパにはそういった環境の都市はいくつもあるが、イタリアの場合はそれを下から(古代から)積み上げているのではないか。
過去の栄光を単に過去のものともせず、もともと高いレベルから始まって、後世の人はさらにそれを積み上げ続けていると思う。だからと言って既成のの概念にとらわれることなく、自由に伸び伸びと前進している。
今日のイタリアのデザインも画期的である。 車、ファッション、家庭用品、食器類は新しい発想でセンスが良く、楽しい。
イタリア人は飲んで食べて自由に生きて、身勝手で調子の良いところも多分にあるけれど、生活をエンジョイするのが上手で、そういう環境の中でさらに新しいものが生まれるものなのかもしれない。
 
  それから、イタリアの女性はとにかくチャーミングだ。これも文化の厚みや生活様式の影響もある気がする。
そして、イタリアでは男の人が女性に声をかけるのは礼儀ということで、どこへ行ってもウルサイ・・・なんて聞いていたが、私たちに限ってはそんな心配は要らなかった。  

イタリア写 真集