モロッコの不思議  [モロッコ人1]


 どうしてもモロッコに行きたい! ゼッタイ行きたい!
ヒッチコックの『知りすぎた男』を小さな映画館で観た時
から、そう、心に強く決めていた。
映画で舞台となったマラケシュの街、ねずみ男のような服
を着た人達に会いたい。 この旅のなかでもモロッコは私に
とってそんな特別な思いが、訪れる前からあっ た。
 
  モロッコに入る前、私たちは日程の調整で頭を悩ませて
いた。残りの日々をどの 国に行って どういう順序で回った
ら一番効率的か、知恵を絞っていた。 モロッ コに行くこと
は、全員一 致で決まったが、ウワサによると、この国に一
度入った ら一週間は出てこれないらしい。 交通が怪しいか
らだ。 ましてやマラケシュまで行くとなると、更に時間が
必要である。 他の国にも行きたいところはたくさんあるし、
できるだけ早くさっと回りたい。 交通事情の 悪さに加え、
どんなアクシデントが待ち構えているかもわからない。
入ったら二度と出てこ れないかもしれない。
モロッコに行くには、スペインのアルヘシラスから船で
出て、モロッコ側は、 タンジェに 着く。その後私の強い希
望でマラケシュと、他の四人の強い希望 でカサブランカを
回ること にした。

 アルヘシラスに着いたのが夜の7時、ここに一泊して翌日
の船に乗ることを 覚悟していたが、 実際、港に行ってみる
と、一時間後に出る船があるという。 (これで半日得をし
たわけだ)  何時に向こうに着くのか切符売り場の人に聞い
たら、朝の八時だと言った・・ ・気がした。
 船はこれまで乗ったどのものより薄汚れていた。
意外にも観光客風なのは 私たちだけだった。
あとはスペインやヨーロッパに出稼ぎに行って帰ってきた荷
物を(お土産?) たくさん抱えた モロッコの人達だ。
いつでも船に乗ったらそうするように、船内で恒例の洗濯を
始めた。Tシャツ と大物(重いから) のトレーナーも洗った。
それを空いている座席に干した。
船内での入国審査も済んだので、用意 は万全、すっかり眠る
準備をして、座 席のシートに潜り込んだその時、乗客は出口
に並び始め、 そして船はエンジ ンを止めた。
時刻は午後11時。モロッコのような恐ろしいところに、より
によって、こん な時刻に着いてしま うなんて・・・。
(でもまた半日得をしたわけだ)
(単に勘違いしていただけだけど)

 さて、ここでモロッコ観光の注意点をおさらいしておこう!
参考となった のは《地球の歩き方 ・モロッコ編》一冊持って
いくのは重かったので、マラ ケシュのページと会話週だけを
コピーし たものを持っていた。
それを見ると、何箇所にもページを割いて『自称ガイドの手口
の傾向と対 策』が載っていた。

 結局港に降り立ったのは、夜中の12時過ぎ。薄気味悪い。
そこで私たちを待ち構えていたのは、ガイドブックに書かれた
通りの 〔自 称 ガイド〕のアブラだった。 (本名はアブラハム
と言う) アブラはマニュアル 通り、あたかも政府の観光局から
やってきた風を装 い、写真入りの身分証明 書も出して、ガイド
すると迫ってきた。
時間も時間、場所も場所、タンジェ の資料を持たない私たちは
怪しいとは思 いつつ、英語を話す、目の前のこの人だけが頼り
で、ホテル に連れていって もらうことにした。
彼は私たち5人のためにタクシーを2台調達してきて、さ っそく
運転手と、値段交渉し安くさせ、ガイドとしての手腕を見せてく
れた。
二分もして、私たちはタクシーから降ろされ、車の入れない細い
道を登って 行く。(街の中は、車な んて入れないところがほと
んどなのだ。なんのため のタクシーだったのか) そこからホテ
ルまでは5〜6分かかった。
歩いているあいだもアラブ風の音楽が聞こえてきたり、物乞 い
のおばさんが 幽霊のごとく立っていたりする。
この先、どうなるのか不安だったが、連れてこられた ホテルは
わりあい清潔 で値段も安く、申し分の ないものだった。
私たちは満足したので、アブラに はもうお引き取り願いたかっ
たが、ここから彼の 話が始まった。
 
「貴女達は運がいい、明日は月に一度のバザールで、そこにお
連れしましょ う。(それってガイドブ ックの手口の通り!)
そして銀行やおいしいモロ ッコ料理のレストラン、お土産やに
も案内しましょう。 このあと、カサブランカに行きたいのなら、
バスの切符も手配します。」
・・・という、きめこまやか なサービスで、私たちの希望する
ところでは ある。この忙しい旅人にとって、これらのことが
スムーズ に運んでくれる ほど有り難いことはない。 彼にすがり
たい気持ちはやまやまだが、あまり にも事の運び がガイドブッ
クに書いてあった、そのままではないか。
あれだけ気をつけろと書いてあるものを読みな がら、まんまと
ハマってし まうのもバカな話だ。 私たちは丁重にお断りした。
しかしアブラは明日九 時 にここに迎えに来ると言い張る。
いったい何故あなは私たちにこんなに親切にしてくれるのか?
と尋ねると、ガイドだから当たり前の事 だという。
では、果たしてガイド料はお幾らですか?と短刀直入に聞いて
みた。
そんなものはとんでもない! 何も要りませんよ!
というのだが、信じられないので、こちらもしつこく、
「幾ら?」
と聞くが、やは り
「そんなものは要りません。」
こちらも更にしつこいので、
「だから本当は幾らなの?」
と聞く 、
「そんなものは要らない・・・気持ちだけで・・・」
なんて言い出してきて、とっても怪しい。 アブラを目の前に五
人頭を突き合 わせて緊急会議となった。そして、この際、効率
良くまわるために思い切っ て騙されてみよう、という事で意見
がまとまり、翌朝九時にホテルのロビー で待ちあわせた。

(タンジェ:昼の光景)

 翌朝、彼は9時30分に登場! まず、現地通貨のディルハムを
調達するため に銀行へ行く。途中の道々、面白い光景があり、
つい、立ち止まってしまう。
銀行の前に着いたとき、両替するときに提示しなければいけな
い、パスポー トを、ホテルのセイフティボックスに入れたまま
にしてあったことに気付い て、再びぞろぞろと今来た道を戻ら
なくてはならなくなっても、アブラは 寛大で、辛抱強かった。
 
  銀行に行き、現金を手にした私たちが連れて行かれたのは、
お土産もの 屋であった。 この街で買い物をする気はなかったが、
のぞいてみることに する。
その店には、一通りのものが置かれていた。銀製品に、ジュラ
バ(服)、 革製品など。 商品に値段は付いていない。ガイド
ブックによれば、
『向こうの言い値の三分の一から交渉をスタートする。』
とあるので試し にその通りにやってみた。予定では、交渉でお
互い歩み寄り、だいたい半 値あたりで、または腕次第で、それ
以下で値段がきまるという事だが、私 の場合、ちっとも成立し
ない。
そこにアブラが登場して、私と店の人との妥協案を出してくれ、
その値段 に私が合意すると、彼は店の人の肩をたたき、
『負けてやれ』
というよう なことを言い(想像による)、話は成立。なかなか
頼もしい。(やっぱり 怪しいけど)
モロッコ(またはアラブ諸国)での買い物は、本当に苦労する。
苦労と言 うよりは、楽しみの一つなんだろうけど、ややこしい
取り引きも必要だか ら、観光で入って買い物ツアーのように、
ぽんぽんものを買うような訳に はいかない。まあ、時間のない
お金持ちは言い値で買えばよいのだが。
私の場合、本当に買いたいものがあるときは、店員が相手にし
てくれない。 その気もなしに値段を聞いてみて立ち去ろうとす
ると、幾らなら買うか? と聞かれ、適当な値段を言うと、
『それで売った!持ってけドロボー!! 』
となり、欲しくもなかったものを買っていたりする。
だいたい向こうがスタートする値段からして、こちらの様子を
見て気分で 決めるようなものだから、果たして安く買ったのか、
永遠にわからない。
後で読んだ本によれば、欲しいものがあったとき、絶対にそれ
を欲しそう な顔をしてはならないとか、ラストプライスが出る
まで、客は三度ドアノ ブに手を掛けなければならないなどいろ
いろあってややこしい。

 そして次はレストランへ。 アラビックなタイルの内装も美し
い店内には、 民族楽器を持った専属の演奏家たちがいる、観光
客向けのものだった。
アブラは後で迎えに来るからと言って席をはずす。カサブランカ
行きのバ スのチケットを買いにいったのだ。
初めて食べる、エキゾチックな料理はどれも美味しくて、気分は
盛り上が っていった。
注文した料理が一通り出てきたら、今度はデザートだと言っ て
私たちを大きな蓋付きの銀製の容器の前に連れて行き、次から
次へと その蓋が開けられるたびに私たちは思わず歓声をあげて
しまう。 中には色とりどりのケーキが並べられていた。
デザートを食べ終える寸前に、音楽の方も盛り上がってきて、
民族衣装を つけたおにいさんが踊りだしたかと思ったら、こち
らのテーブルに来て、 一人、また二人と手を引かれ、踊りの輪
の中に入れられ、気が付いたら 全員が文字通り踊らされていた。
ちょうど踊りも一段落した頃、お父さんが子供を迎えに来るよ
うに、タ イミングよく、アブラが戻ってきた。二時に出る、
カサブランカ行きの バスののチケットもちゃんと用意してあっ
た。

   ホテルに戻って荷物を取ってロビーに集まり、アブラに
バスのチケ ットを渡してもらおうとしているとき、彼はおも
むろに法外に高額な (こちらの物価に対して)ガイド料の交
渉に臨んできた!私たちは互い に顔を見合わせ、あんなに聞
いたのにお金なんてなんていらないって言 っておいてずるい!
でも半ば覚悟はしていたので、『やっぱりきたか』
というあきらめの気持ちでぐずっていると、いつの間にか現れ
たアブラ の友人が登場、と同時にアブラはうつむき加減に席
をはずす。
その友人はこう言った。
「アブラには5人の子供がいて、生活が苦しい のだ。」
私たちとすれば、ここまできて、バスのチケットをもらわない
ことには、 日程が狂ってしまう。ここで見捨てられたら大切な
時間が無駄になる。
内心、ドキドキしながら、いかに安く値切るかを考えた。
そしてわたしが長年愛用して、北の国では活躍してくれた、か
ねてから 貧しい国の人にあげようと思っていたジャケットを
今こそ出し、それに、 向こうの言い値の四分の一の現金をつけ
て差し出した。
すると、引っ込んでいたアブラが再び登場!
「なに?・・・・・これ!」
と冷たく言い放つ。
しっ、しつれいな・・・。
気を取り直し、お礼ですというと、
「ここは暑いところだから、こんな モノは要らないよ。」
こっ、こんなもの?
・・・ またまた冷たいお返事。バスの時間は迫ってくるし、私
の愛用 のジャケットは要らないなんて言われるし、すっかり動
揺してしまい、 とうとう言い値の半分で手を打ってしまった。
その時のアブラの表情は喜びに満ち、敗北感でいっぱいの私た
ちはバス の切符を手にカサブランカへと向った。