モロッコの不思議 [モロッコ人 3]
こころ暖まる思いを胸に、カサブランカを出発して列車に乗り、マラケシュに向う。
この車両は相当古くて車内はすべて木製、素朴で暖かい。
ホテルから鉄道の駅にたどり着くまで時間がかかったので、私たちは朝食をまだとって
いなかった
そこにタイミング良く現れたのが、車内の物売りおじさんだった。
おじさんは、木製の車内にぴったりと、絵になる風貌で、ひとかかえほどもある大きな
籘製の篭の中に、ヨーグルトドリンク、サンドウィッチ、茹でたまごなど詰め込んでいた。
この絵になるおじさんと素敵な篭、そして木製の車内をバックにみんなで写真を撮ろう
としたその時、まさにその瞬間だった。ガラっと音を立ててドアをあけ、隣の車両から
体格のがっしりした、顔も迫力のある、一見暴力団風の男が入って来て、突然この気の
弱そうなおじさんに向って怒鳴りだした。私たちはさっきまでの浮き立つ気分とは逆に
、シーンと静まり返って、ただ、ことの成り行きを見守るしか、術はなかった。
おじさ んは、ろくに口答えもせず、ヘラヘラしている。
とうとう怒り狂ったこの男は、 おじさ んをドアの向こうにつまみ出し、外に向って開け
放したドアから、おじさんの命より大 切な商売道具の篭を投げ捨てた。
なんてひどい事を・・・・・。これがなくて、これからおじさんはどうやって生きてい
くのだろう。
駅と駅の間はとても長く、家も人もいない砂漠のような所だから、拾いに行くなど不可
能に近い。
私たちはショックで皆、押し黙ったまま、ぼんやり焦点の合わない目でそとの景色を見
つめていた。 こんなに悲しいことは、この旅ではじめてのことだった。
二人はいつの間にか消えていた。 おじさんから買ってあったヨーグルトを食べ終わ
っても、 まだ、あのおじさんの家族や将来について考えていた。
たぶんあの恐い男は鉄道公安官のような人で、無許可で車内販売していたおじさんを、
取り締まっただけのことだったのだろう。それにしても、あの篭を投げ捨てるなんてひ
どすぎる!
そろそろ次の駅に近づいたのだろうか?列車がスピードを落とし始めた頃、再び、
あのドアが、がらっと開いた。
なんと、そこに立っていたのは、あの・・・あの物売りおじさんではないか。
しかも・・・しかもである、こんどはブリキのバケツに、コカ・コーラを詰めて、懲り
もせず私たちの目の前に、元気な姿をあらわしてくれた。 悪びれた様子もなく、また売
り歩いていたのだ。
びっくりしてあっけにとられていると、おじさんはニコニコして私たちの前を通り過ぎ、
止まった駅で降りて行った。私たちは我に返り、おじさんに向って、窓から手を振った。
おじさんもバケツをぶら下げながら、その姿が小さくなるまでいつまでも手を振ってく
れた。
ああ、私たちの胸を痛めたあのおじさんは、また今日も列車に乗り込み、わずかな食料
を売り、たくましく生きていることだろう。