苦労の多いイタリアの旅 〔ナポリの人々〕
イタリアへは、最初にヴェネチアに入った後、南下し、ブリンディシを経てギリシャにいったん出た後
アテネからバルセロナに飛んで、スペイン、モロッコ、ポルトガル、フランスを経て再び戻ってきて、ミラノから入り、フィレンツェ、ローマを堪能し、時はすでに十月三十日。
むらやんはいよいよ会社に復帰する約束の日が近づいていて、ここローマで,東京までのチケットを買った。
あみやんとふみちゃんは、この後しばらくパリに滞在してから帰国することになり、私とるみこさんは、更にイタリアを南下してナポリに行ってから、見残したイベリア半島を目指すことになった。
いよいよお別れとなる、三十日の前日の晩は、ホテルの部屋にシャンパンを持ち込んで、打ち上げパーティーをした。
長い旅行中、一度もいやな思いや不満もなく、仲良く気持ちのいい間柄を保つことが出来た。お互いに無理をせず、我慢もせず、だからといってわがままにもならず常に理想的な関係だった。
それぞれ役目があり、ガイドブックを読んでくれる人、時刻表を調べる人と行った具合に。
趣味はそれぞれで、都会志向の強いふみちゃんとあみやん、牧歌的で自然が好きななむらやんとるみこさん。
共通しているのは好奇心の強さだろう。
だからこそ変化の多い旅が出来たのかもしれない。
次の合流点は東京である。無事に日本に帰って再会することをお互いに祈りながらしばらくのお別
れだ。るみこさんと私は三人より、数日先にローマを出る朝、むらやんはホテルの下まで送ってくれた。
そして、握手をして別れた。
ローマを飛びだしたるみこさんと私は、地図もインフォメーションもなく、(二人ともガイドブックの係ではなかった)ナポリの駅にポツリと降り立った。
これまで身に付けたカンで、安宿のありそうな方向に狙いをつけて歩きだす。 時間は午後二時、もう十一月になるというのに夏のような暑さだ。
これまでイタリアもまわり、お金の勘定にも慣れ、わけのわからないところもそれなりに理解していたが、ナポリに来て再び頭が混乱してきた。
《ナポリを見て死ね》というが、ナポリの街は、見たら汚くて死んでしまいそう。
道はゴミのやま・山々・ヤマ、また山。私たちは歩道にあふれたゴミの山を踏み締めながら歩くしかない。
その上ガラの悪いこと、この上ない。車はただでさえ、クラクションでうるさいのに、窓を開け放ちギャーギャーわめいている。これを熱烈な,歓迎ととっていいものか。
ホテルの方は何軒かあたって値段の相場をチェック、清潔そうなところと、荷物がひどく重かったので、階下に部屋が空いているところが決め手となる。そんな希望にかなったこじんまりしたホテルに決める。部屋は二階で、重い荷物をフロントのおにいさんに手伝ってもらいながら苦労して部屋まで運ぶ。
部屋に着くとお兄さんは部屋代を請求した。
その値段はつい今しがた階下で聞いたものとは違う。
日本円にして千円程度。たった千円のことだがそれは嘘つきというものではないか。
私たちはイタリア人のいい加減でウソつき(一部の人のことだが)の人達に対して怒りが溜っていたこともあって、たとえ千円でも許せなかった。ウソつきは泥棒の始まりではないか。
たとえ小額でもごまかすところがズルイ!
かれらのそんなごまかしを面倒だからと言って黙っていたら、後に来る日本人のためにも良くない。
そこで、私たちは譲らなかった。相手も私たちがこの重い荷物を下ろしてまで、他のホテルには行かないと踏んでいる。そうなるとよけいに口惜しい。
私たちは話が違うので他のホテルに行きます・・・と言って荷物をズルズルと引いて階段の上までさしかかった。
この時、ここで引き留めてくれたらなあと思っていたら、お兄さんは背後から諦めたように
「最初の値段でいいよ。」
と言ってくれ、私たちはこころの中でほっとした。この荷物の上げ下ろしを考えたら、二倍高くてもこのホテルに泊まりたかったが、喜びを抑え、元の部屋におさまった。
旅の終わりが近づいていて、見残したところや、もう一度訪れたいところのスケジュール調整をしてみると、ナポリでは一泊しか出来ない計算となり、ホテルに荷を置くと、あわただしく街に繰り出した。
ガイドブックを持たない私たちは、とにかくサンタルチアの港を目指した。バスに乗り、着いた時にはもう陽はすっかり沈んでいたが、夕焼けがピンクとオレンジ、紫、ブルーが絡み合い、とにもかくにも美しかった。
色がしだいに濃紺に変わるまでそれを見ていた。
今、太陽が沈んだばかりの西の空、ベスビオス火山の方向へ歩いて行くと、ライトに映し出された《たまご城》や漁港が見えてきて、その脇ににある橋を渡ると、そこにはレストランがたくさんある小さな島があり、今夜はここで夕食をとることにする。
案内された席はレストランの裏手の港に面した素敵な場所だった。 前菜のパスタはニンニクがゴロゴロ入ったトマトベースのスパゲティ。これがシンプルな味でとってもおいしい。イタリアでパスタが何処でも美味しいかというと、そては疑問である。ひどいハズレはないにしろ、おいしそうな店を選ぶ必要がある。
この店は忘れられない味の一つだ。メインディッシュの魚のフライもおいしかったので、ナポリの印象が良くなった。
結局ナポリでは、最も美しい夕日を見て、美味しいものを食べたということだけで、観光などしていないのだが、これだけでも充分来た甲斐があった。
さて、今後の日程だが、実は、るみこさんと私はここからどういうコースで旅をするか決めていなかった。それはナポリに来て考えるつもりだったのだ。
案は二つ。 一つは時間の関係で諦めたギリシャのパロス島に行くコース。 もう一つはリスボンにもう一度行き、見残した街をゆっくりと見るというコース。
気持ちとしては、ナポリはギリシャにも近いし、パロスに行きたかったのだが、また強風などのアクシデントにより、島に入っても出ることが出来ないとなっては、帰りの飛行機の便に間に合わなくなっては大変である。
るみこさんの飛行機が出るのはパリだったので、リスボンの方がリスクが少ないと判断し、ナポリから一気にイベリア半島の入り口、バルセロナまで乗り慣れた列車で行くことになった。
時刻表を調べると、乗り換えが少なく、待ち時間の少ない列車は一日のうちでも一便のみ。一箇所でも乗り遅れたら、一日単位
で予定が狂ってくる。
ナポリ発 9:15am発
時間ぎりぎりまで、近くを散歩しながら朝食を調達することにした。 前日と変わらぬ
ゴミの山を越えて、荷台の上に果物を並べる店があったので、リンゴや梨を仕入れる。
更に歩くと、店先にパンが山のように積まれた店を発見。
小さな店で、中にはハムやソーセージの入った大きな冷蔵ショーケースがあり、その向こう側におじさんがいて、その様子から、好きなハムを撰んだらおじさんがサンドウィッチを作ってくれるという仕組みのようだ。
るみこさんと、一つづつ、肉の塊を指さし、出来上がるのを待っていいた。
私のお財布の中は、予定通り空に近かった。
ここで1500リラのパンを買い、飲み物を買い、残ったら奇麗な500リラを記念に残しておけば良かった。
そんなわけで、財布の中は1000リラ一枚と5000リラ一枚だった。
まず、私のサンドウィッチが出来上がった。
ガラスケース越しに手を伸ばし、5000リラを渡すと同時におじさんからサンドウィッチを受け取った。そして、3500リラのお釣りを期待していると、おじさんたら、500リラしかくれない。あとの3000リラはどうしたのか。おじさんに聞いても知らん顔をしている。
いつもなら、知らないあいだに丸め込まれている、計算に弱い私だが、今回だけは確信があるのだ。いくら小額でも私がここで引き下がればこうしてまた後で来る人がちょろまかされるであろう。
昨日のホテルといい、なんてズルイ人達なのだ。そして、イタリア初日にお釣りで損をした、40000リラのウラミもある。
今度はるみこさんのサンドウィッチが出来たがお金は払わなかった。それでもまだ1500リラ足りないのだ。
しばらく問答するうち、おじさんがそれならお金を返すからサンドウィッチと交換しようと言い出した。その方がお互いすっきりするので、文句なく同意した。
私がパンを渡した直後におじさんが私に渡したのは5000リラではなく、2000リラだった。
私はおじさんに『お金を返して!』と、(もちろん)日本語で言う。こういうときは英語でも日本語でもよい。一番得意な言葉で言えば良い。おじさんはイタリア語しか理解しない。
そこに、いましがたフラッと入って来た男が口を挟む。
「やりとりを見ていたけど、あなたは2000リラしか渡していなかった。」
私が最初にお金を支払った時に、この男がいなかったことは明白である。
おじさんはますます図に乗って、レジの引き出しを開けて見せて『ほーら、何も入っていないよ』と言わんばかりにおどけてみせる。
こちらからレジのなかなんて見えるハズもなく、あきらめて帰ることにした。
店を出てもなんだかすっきりしない私達の足はホテルの方ではなく、人通りの多い駅前の方向に向いていた。
なにかあのおじさんをやっつける手立てはないものか。
駅前には朝から暇そうな人たちがたむろしている。その中に、警官のようなユニフォームを着た人がいたので、無理やり引っ張って行って、さっきの店まで連れて行った。(この辺では趣味とかファッションでユニフォームを着ている人がいるようだ)
お店で一通り経緯を説明すると、お巡りさんモドキは、いかにもそれらしく、おじさんからも事情を聴取した。
「2000リラしか渡されていないよ。」
という、相変わらずの答えに、お巡りさんモドキは残念そうな表情で
「こういう事は証拠がないから何も言えないよ。警察に行ったらどうか。」
と、もっともな意見を述べてくれた。 警察にまで行って時間を費やす気などなかったし、この人にいったい何を期待していたのか、自分でもわからなくなっていたので、すぐに切り上げ、もう絶望的となり、あきらめて駅の方角に歩きながら、後ろを振り返ると、パン屋のおじさんの店の方角から、あのお巡りさんモドキが出てきて、なんと私たちと同じサンドウィッチをかじりながらやって来るではないか。
私たちの姿を見るや、サッと横道に消えてしまった。あのパンは私が返したものかもしれない。
さて、いよいよ時間も迫ってきたのでホテルに戻り、パッキングを済ませ、階下の入り口まで荷を運び終える。ここから駅までは五分とかからない。たまたま、るみこさんの支度に時間がかかり、時計を見ると、あと十五分ある。考えるよりも早く、私はるみこさんにすぐ戻ると言い残し、あきれることにまたあの店に向って走って行った。(こういうときはホントにしつこい)
せめておじさんに一発怒鳴ってスッキリしてナポリを出たかったのだ。
走って行くと、あの店の前にに人垣が出来ていた。
近づいてみると、外にいたのはヤジ馬で、コンクリートの床には赤い血がポタポタと落ちていた。
そしてあのおじさんがカウンターから出てきて二〜三人の男に金を渡した。お金を受け取った男達は消え去ったが、まだ黒山の人だかり。
店内から罵声も聞こえてくる。
わずか十分も前の状況とは信じられない程様子が違う。 いったい何が起こったのだろうか。
これはなんだか危ない状況だ。
しかしこの騒ぎが収まるまで待っている時間はない。一分でも惜しい私は、人をかき分けドサクサに紛れて叫んだ。
「おじさーん、私のお金、返してよ!」(もちろん日本語で)
ヤジ馬の人達も、突然ヘンなのが入ってきてびっくりしたことだろう。 おじさんも、やっと面
倒な事が済んだというのに、一難去ってまた一難。こんどはまた私が来たものだから、ぞっとしたのではないだろうか。
おじさんは白いエプロンに返り血をあびていたが、同じ態度に戻り、私の存在など無視して、ハムを切っていた。
すぐそばにいたおばさんが、心配そうな顔をして、どうしたのかと理由を聞くので、さっきの話をかいつまんで話すと、おじさんにそのことを問いただしてくれた。
答えはもちろんさっきと同じ。
「2000リラしかもらってないよ。」
と澄ました顔で答える。
おじさんの頭の上の壁には子供の写真が飾ってある。 おそらく、おじさんの子供だろう。かわいい顔をしている。
これ以上ここにいても仕方がないので、最後に、
「イタリア人のウソツキ!!!」
と、気持ち良く叫んだ。 シーンと静まり返った店内。
おじさんはハムを切る手を止めて、レジに向った。
そして数枚の札を掴むと、私に差し出した。
それは、一瞬の出来事だったが、スローモーションを見ているようだった。
もうお金を取り戻そうなんて思ってもみなかったので、信じられないという気持ちと、あの、イタリア人から自力でお金を取り戻した!という喜びでいっぱいだった。
列車の出発まであと数分となっていたので、私はそのお金を握って店を出た。
店を出た後、走りながら、あのおばさんや、ヤジ馬のみんな、そしてあのおじさんに向って『グラッツェ』
(ありがとう)とひとこと、言えば良かったと悔やまれた。
るみこさんと私はかなりぎりぎりだったが列車に乗り、勝利の喜びを分かち合った。
しばらくは二人で興奮してしゃべっていたので、その時の私たちはイタリア人以上におしゃべりで、やかましかったに違いない。
ふたりで、『イタリア人てひどいよねぇ。』・・・なんて話ながら、今朝仕入れたリンゴの皮をむいていると、茶色く傷んでいる。皮をむけどもむけども腐っていて、三分の一しか食べるところがない。もちろん不味くて食べられたものではない。これで私たちのイタリアに対する悪口は勢いを増した。
『もうイタリアなんて二度と行きたくない』などと言いながら、数分後には、でも、あそこは良かったとか、面
白かったという話になるとこちらの方も止まらない。
結局、思い通りにはいかないが、それをも楽しめれば、最高に楽しい国だと思う。
(実際この後、私はイタリアに7回ほど行っている)
ところで、電車に乗って一時間、そろそろお腹も空いてきたので、るみこさんの手元に残ったパンを半分づつ分けて食べることになった。あの血を思い出すと気味が悪いが、最後のナポリの思い出だ。
食べてみると、このパン、単なるハムサンドなのだけど、これがまたどうしたことかすごくおいしい。
あのパンを返したことがつくづく悔やまれた。
そして、考えてみたら、私たちはこのパンの代金を払っていないではないか。 結果
的に、私たちはこれを略奪してしまったのだろうか。 ここまで来れば、もうあのおじさんも追いかけてはこないだろう。