おいしい話



 食べ物が美味しいとか不味いとか、そういうことは極めて主観的な判断にゆだねられる。
その時の体のコンディションの影響も大きいし、その場の雰囲気や、誰と食べるか・・・なんて事にも大きく左右されるだろう。
どの国の料理が美味しいかと聞かれれば、たいていの人は自分が育った国の料理が一番口に合うのではないだろうか。

 よく、英国の料理は不味いと言われるが、それはどうなんだろうか。
私の英国留学中、ヨーロッパなどから来た外国人留学生は食事会が大好きで、それぞれのフラットに招待しあったり、レストランで食事をしたものだが、集まればイギリスの料理の不味さについて、話題になることがしばしばあった。
イギリス人には舌がないとか味覚オンチだとか言いたい放題。日本よりずっとヨーロッパに近い国なのに、(イギリス人:Britishは自分たちはヨーロッパ人だと思っていない様子))おいしいフランスパンもなければ、ドイツのソーセージもない。もっと近隣諸国の美味しいものを取り入れたら良いのに・・・。
この人達は美味しいものを食べたことがないのだろうか?
食べても味覚が特殊でわからないのだろうか?
しかし・・・、そんなことはみんな余計なお世話なのだ。彼らはやわらかく煮込んで歯ごたえがなくなった野菜が好きなんだし、お豆のトマト煮(缶 詰)やポテトフライ(冷凍)を揚げたものが美味しいんだから、誰が文句を言えようか。
一般的なイギリスのソーセージを初めて食べた時、その味と歯触りには驚いた。色は少し白っぽいが、見た目はドイツのものとそっくりなのに味が違う。別 ものなのだ。 私としては、ドイツのモノを期待してしまっていたので、その観点から言わせてもらえば、気持ちが悪くて不味い。
一度、このソーセージをめぐって、イギリス人に聞いてみた。 例えば彼らがドイツに旅行に行った場合、ドイツのソーセージは美味しいと思うのだそうだ。ただし、もし一カ月そちらに住んだとしたら、英国のソーセージが恋しくなると言う。なんとなく、わかる話だ。
よその国民の味覚に対して私たちがとやかく言うのは、失礼なことだと思う。
私以外全員イギリス人(British)の同級生と二人の引率の先生と、修学旅行で、ドイツのアーヘンという鉄細工(フェンスとか、ドアなど)で有名な町に一週間滞在したことがあったが、そこでは誰も一度もソーセージは食べなかった。そもそもソーセージはビールのおつまみとか、立ち食いのファーストフードの感覚なのだろうが。 では、彼らが何を食べていたかというと、ピザやステーキといった、彼らのライフスタイルそのままであった。その土地の食べ物におおいに興味のある私としては物足りないが、それも、骨があっていい。(たぶん)
ちなみにロンドンでは本場のコックさんが移住しているケースがほとんどなので、イタリアンや中華はなかなかいけるが、(ただ、その国の人の味覚に合わせてアレンジしている場合が多いのも事実)何と言っても、かつての植民地だったインド料理はとてもおいしく、日本では味わえないものがあり、今も数件のレストランをなつかしく思う。

  私は個人的には広東料理とイタリアンが大好きだ。スペインのタパス(居酒屋のつまみ)も美味しい! 中華なら、一日三食たべてもOKである。ただしそういった国に居たらさらに体重は増えるばかり・・・。 その点、私にとってダイエットの面から理想の国はギリシャということになる。

 私は神戸が大好きだ。その理由のひとつは、各国料理を食べることができるから。
お気に入りの一つに、ギリシャヴィレッジという元、船乗りのギリシャ人オーナーが経営するギリシャ料理のお店がある。インテリアもギリシャ風の演出が凝らしてあって、入り口から壁はエーゲ海のブルーで染められ、店内は葡萄棚が吊ってあったり、壁にはエメラルドグリーンの海の絵が大きく描かれていて、手前の大理石(風)の柱からその風景を眺めている気分にさせてくれる。絵は稚拙なものかもしれないが、あとは想像力でカバーできる。そんな雰囲気のなかだから、食事が給仕される前から、オイシイのである。
 
  さて、実際のギリシャ料理というのは、果たして神戸で食べたものと、大差はなかった。同じといってもよいだろう。
最初にアテネに着いた晩はムサカだのピーマンやトマトにライスを詰めたものなど喜んで食べていた。
何回か食べているうちに、ギリシャ料理はワンパターンだという事に気が付いた。 大別 すれば、味は三種類。
一つはケバブ系の羊の肉、海老や魚などを塩だけふって串に刺して焼いたもの。
ふたつめはサラダ類、サラダと言えるかどうかはわからないが、ライスや肉を葡萄の葉で包んだもの、そして定番の酸っぱいチーズが乗ったグリーンサラダ。どれもオリーブオイルがたっぷりかかっているので、ティッシュで油を拭きとってから食べたりした。
三つ目はトマト味。なんでもかんでもトマトソース。レストランによっては十数種類のメニューが用意されていても、味はトマトソースがベースなので、どれも似た味がした。
 食べ物が合わないなんて、私にだけは起こりえない事だと過信していたので、それは衝撃的な出来事だったが、ギリシャに着いて五日ほど食べ続けた頃から胃が食物を受け付けなくなり、料理を思い浮かべるだけで、げっそりしてきた。

 あれはギリシャに入って三日目の、まだ丈夫な胃を自慢していたころ、島で美味しいと評判のレストランに、五人プラス大学生のヒロくんの六人で、ミコノス島での最後の食事(実際は前記の通 り最後ではなかった)をした。
メインディッシュはそれぞれ魚やステーキを食べおおいに盛り上がっていたが、デザートをする注文する段になったとき、ウエイターがギリシャ語で書かれた(英語でも、ギリシャ語の発音のまま表記されていた)わけのわからないメニューを持ってきた。英語やラテン語のヨーロッパ語を総動員して勘を頼りに想像する。  
ヒロくんは迷わず、即、「僕はメロン!」とか言っちゃって、私はひそかにそんな彼を見下していた。(?)私たちはもっと面 白くて、ギリシャでしか食べられないものが欲しいのだ。例えば、ギリシャ風ケーキ、ギリシャ風プリン、ギリシャ風あんみつなどの類いに挑戦したいのだ。
随分時間をかけて悩んだ末、そんな 挑戦者向きのメニューが五種類並んでいて、五人がそれぞれ違うものを頼んでみようということになったハズだったが、実際ウエイターが注文を取りに来たとき、メニューの一番上に書かれていた『バクラバ』に関してだけ、気まぐれにこれは何かと尋ねてみたら、ウエイターは興奮気味に身振り手振りのギリシャ語で説明してくれた。ちっともわからなかったが、おいしそうなことだけは察しがついた。(何を根拠に?) 私はバクラバという名前の響きから、ババロアを想像していて、これしかない!と心の中で叫んでいた。
「じゃあ、このバクラバにしたい人は手を挙げて!」 と言うやいなやサッと素早く五人の手が挙がった。いいかげんなものである。  
まもなくヒロくんのメロンが運ばれてきて美味しそうに食べはじめた。私たちはこれを横目に、これからもっと美味しいものを食べるんだ!という気持ちで冷ややかにそれを見ていた。
五人はこれからどんなモノが来るのだろうか。不安と大きな期待のなか、それぞれに頭に描いていた『バクラバ』とは・・・。
私はギリシャのババロアとはいかなるものか。フルーツなんかも入っているのかな、などとすっかりババロアを食べる準備をして待っていた。
待ちきれなくて、つい、料理が出てくるカウンターの方に目がいってしまう。
すると、ウエイターが運ぶのを待っている物体が目に入った。モノは五つある。確かに五つである。
でも私たちの『バクラバ』のハズはない・・・。 まさか・・・と思う間もなく俊敏なウエイターはそれを見つけ、その物体を私たちのテーブルに運んだ。 やってきたのは案外平凡な形のケーキなのだが、そのケーキの上にフォークが一つずつ垂直に突き刺さった形でサービスされた。その異様さに思わず皆で笑ってしまう。
私の胃はババロアをたべる用意をしていたので、不本意だったが文句は言えない。ケーキの色は薄茶で、パイのような感じ。そして一口食べてみると、とてつもなく甘くて、その上油っぽい。こってりというよりはべったりと油漬けなっているみたい。 一口食べてやめればいいものを、なぜかみんな黙々と食べている。途中で休んだら食べられないとでも言うように。それぞれの心の中では『メロン』にしておけば良かったと思っていたに違いないが、誰もそんな事は口にせず、その代わり、さっきまでのおしゃべりも止まって静寂の中、とうとう全部たいらげてしまった。
その『バクラバ』のせいか翌日、まずムラやんの気分が悪くなった。そしてそのあと、夜から私も世にも気持ち悪い思いをして、一晩苦しみ、眠れぬ 程だった。
 それ以来、ギリシャ滞在中、私の胃はミートソースをかけないスパゲティ、つまりゆでただけのパスタにパルメザンチーズだけをふった、特別 メニュー以外受け付けなかった。

 この旅行を終えた次の年の夏、私とあみやんは神戸に遊びに行く機会があったので、例のギリシャレストランに行きたくて必死で探してみたが、移転したのか、私の記憶違いかどうしても見つけることができなかった。

 数年後、何人かのギリシャ人留学生に食事に招待されたことがあったがが、彼女たちの作るギリシャの家庭料理はお世辞抜きで美味しかった事を付け加えておきたい。
アテネ:ココナッツのお菓子
ミコノス島:バクラバ前。この時まではよかった
スイス:ハイジの故郷マインフェルトの山の上のレストラン
ポルトガル:南の海辺のエストランでブイヤベース
 ロンドン:B&Bでの朝食