セビリアの引ったくり事件

 

 

 アンダルシアのセビリアという街は、とりわけスペインらしい雰囲気をたたえた見どころの多いところである。街は庶民的で気取りがなく、通 りがかりの旅人をも受け入れる包容力がある。
スペインは何処でもそうだが、街じゅうにバル(居酒屋)があり、気軽に立ち寄って、朝は地元の人に習って立ち食いで軽食とコーヒー、夜はタパス(酒の肴)をつまみ、ワインを飲む。何軒かハシゴしてみたり。
スペイン人はあからさまに好奇の目でこちらを見ることもなく、かといって無視するわけでもなく、自然にその仲間の輪のなかに入れてもらえるような心地良さがある。

 さて、セビリアは画家ムリリョが生まれた地なので、さっそく美術館に行くことにし、近くにいたおじさんに道を尋ねると、親切に美術館の前まで連れていってくれた。おじさんは自分はコロンブスの子孫だと、大まじめに言っていた。さらに家の昼食に招待してくれたが、時間がなかったので、それは残念だったが辞退した。
このように、スペインでのおじさん(50才〜65才で、小柄で小太り)は必ず親切で時間にゆとりもあるので、道を尋ねる時は、おじさんを探すとよいかもしれない。おじさんは街じゅういたる所にいるので、つかまえるのに苦労はしない。

 美術館のあとはコロンブスの棺がある、カテドラル・アルカサルを見学するため、ムラやんが《地球の歩き方》を片手に道順を、また別 のおじさんに尋ねている間のことだった。 私はその横で、ぼーっとあらぬ方角を見て立っていた。
異変があったのはその時だった。
私の片方の肩に掛けていたリュックサック(のようなもの)が、なんとなく後ろに引かれている気がして、肩に手を掛けて肩紐を掴み直す。感じとしてはリュックが急に重くなったような。
すると一分もしないうち、再び同じ感触の、後ろに引かれていく気配がして、その引かれる方向に体を傾けると、なんと若い男がリュックを引っぱっているではないか。こんな場面 は生まれて初めてだし、本物の泥棒(ひったくり)を見るのも初めてで、どうしたらよいかわからなかったが、ただ自分の所有物を他人に取られたくないという本能から、必死で私も引っぱった。ムラやんが、わずか40センチメートルの距離にいたので、怖いという感じはなかった。
その現場は片側2〜3車線ある大きな道に面した、人通りも多い歩道の上に私たちは立っていて、そこは別 の細い道のある角で、私はその細い道の方向に引っぱられて行った。 徐々に徐々に私は引かれていったが、一瞬たりとも力をゆるめることがないように、腰を低くして『ウォーッ、ウォーッ』という、地鳴りにも似た響きをとどろかせていた。
『たすけてぇ』とか『キャーッ』なんて言わなかったのは、懸命だった。なぜならば、こういう口を大きく開けると力が出ないことを、私は運動会の綱引きで学んでいた。つまり、『オーエス、オーエス』の発声法である。
しかし、しかしである。さっきから『ウォーッ、ウォーッ』とやっているのに、誰も助けに来てくれない。すぐに誰かが気が付いて飛んできてくれるものと信じていたのに・・・ あれだけ歩道を歩いている人がいて誰も気付いていないなんて・・・そんな・・..・...
第一、ムラやんはどうしたのだ。ただちに気付いて助けてくれると信じて頑張っているのに。
 相手も必死で引っ張っている。見かけは二十代前半の体格のしっかりした顔も普通 の好青年(?)である。そのうち諦めてくれるだろうと思うがしぶとい。
それより向こうもびっくりしたに違いない。きっと、か細そうな私から簡単に荷物を奪えるともくろんでいただろうに。
向こうの思惑とは裏腹に、私は綱引きのワザを知っていたばかりでなく、実は背筋力には自信があったのだ。隆盛時には(?)129キログラムだった事が支えにも励ましにもなっていた。
それにしても、ムラやんが遅すぎる!まだ人に道を聞いているのか? さっきからどの位 時間が経ったのだろう。私にとっては長い長い時だった。
少しづつではあるが、道の奥へ奥へと引き込まれて行ったその時、またその先に曲がる小道が見えてきた。そこまで行ったら私の負けだ. ムラやんの助けは期待できなくなるし、男の仲間が待っているとも限らない。あと五メートルも行けば道に突き当たり、時間にすれば曲がり角まであと一分、これで綱引きも終わり、諦める段かなと思ったその時だった。そこへ登場したのは、お待ちかね!ムラやんだった。
このタイミングの良さ、しかもドラマチック、いったい彼女はどう対決してくれるのか、期待に胸をふくらませながらも肩の力は絶対にゆるめなかった。 注目のムラやんが何をしてくれたのかと言えば、厚さ3.5センチの《地球の歩き方》を相手の頭をポカッと一発叩いた。それはあやうく私の力がふっとぬ けそうな程、頼りないものだった。
しかし、それがきっかけだった。男はとうとう諦めて小道に向って走り去って行った。 その後ろ姿に向って今まで言葉にできなかった事を吐きだし大声で怒鳴ったものだから、その声を聞き付けてようやく通 行人もやって来た。ある人は貴重品の持ち方を伝授してくれ、またある人は警察に行くよう、勧めてくれた。
とにかくモノは私の手に戻ったのだし、先も急いでいたので、警察には行かなかった。 私はあの体格もしっかりした男から自力でリュックを取り戻したという喜びで、うれしかった。 もちろん、ムラやんのあの力強い一発があってのお陰だが。

 ところで肝心のリュックの中身であるが、まず、旅の初め、中国からつけ始めた日記帳が二冊、スケジュールノート二冊、絵はがき(美術館で買ったばかりのムリリョの)数枚、ウォークマンのマイク部分のみ、水(エヴィアン)それにアーミーナイフ。以上、金目のもの一切なし。現金、パスポート、カメラ、ウォークマン本体などは腰(ウエストポーチ)に着けていた。こちらの方がかんたんな操作で奪い取ることができるというのに、それがわからないとは、頭の悪い男だったに違いない。
しかし、あの男もリュックを奪えず逃げて運が良かった。あんなに苦労して奪ったところで、中を見たらショックで眠れなかったに違いない。 でも、私にとってはお金にはかえられない大事な大事な物たちで、それが手元に残った事を確認して、再びうれしくなって興奮してしまう。
 しかし、相手がナイフを持っていたら、簡単に肩紐は切られていたし、恐ろしいことになっていたかもしれない。凶悪犯人でなかったから良かったものの、むやみにちょっとぐらい力自慢だからと言って、取られたものを取りかえそうなんて恐いもの知らずもいいとこだ。
でも、その時の私はそこまで思いつかなかったのだから仕方がない。 あとでムラやんも怒って、「思いきり蹴飛ばしてやれば良かった!」と息巻いていた。

 その後二日間、両肩が痛くて重くて後遺症に悩まされた。リュックの留め金も二箇所ちぎられていた。
おそらくあの時の私の背筋力は、129キログラムを上回っていたに違いない。

自称、コロンブスの子孫のおじさんと

アルハンブラ宮殿

パティオ
引ったくり直後、リュックをしっかり抱える

スペイン写真集

1.アルハンブラ宮殿(グラナダ)
2.グエル公園(バルセロナ)