他の何よりも、罠
written by Miyabi KAWAMURA
2007/09/24






 モニター越しではなく、久しぶりに直接相対した上官に対し、正一は抱えていた紙の束を差し出した。

「完成しました」
「すごい量だね」

受け取ったものの重さを確かめる様に持ち上げながら、けれど浮かべた笑みに揺らぎひとつ見せない相手に向かって、正一の言葉が続く。

「これで三分の一です。残りも、すぐに運ばせますけど?」
「それは、どうしようかな」

正一の、どこか棘々しさの滲む声音に気付かないふりをしていた白蘭が、そこでようやく、苦笑交じりの溜息を零した。

「……正チャン、怒りすぎ」
「別に。そんなことはないです」
「うーそ。だってコレ、どう見たって仕返しでしょ」

愉しげにそう返して、白蘭は机の上に紙の束を――構築されたばかりのプログラムの詳細が、一から百まで完全に余すところなくプリントアウトされた書類の束を、置いた。……厚さ七センチはあろうかという量。これで全体の三分の一だというなら、総重量はかなりの重さになっただろうに。正一の、彼らしいといえば彼らしい「反撃」に、白蘭もまた、彼らしくあっさりと非を認めた。

「ごめんね。確かに僕が悪かった」
「謝って貰う必要は無いです。仕事ですから」
「でも、ごめんね?」

……どう見ても、後悔し詫びている風には思えない笑みと共にとはいえ、上官に重ねて謝罪されては、折れない訳にはいかない。

「……この部屋に入る前に、データ転送は済ませました。もうラボと、白蘭サンの端末の両方に着いてると思いますから、後で確かめて下さい」
「ありがとう。正チャンの、そういうところ好きだよ」

なんやかんや言ってもちゃんと仕事してくれるしね、という、白蘭からの手放しの(はっきり言って、胡散臭いことこの上ない)賛辞を受けて、しかし正一は素直に喜ぶ気にはなれなかった。――そんな言葉はどうでもいいから、貴重な休息時間を返してくれと言ってやりたいのだ、本当は。




 二ヶ月前、ミルフィオーレは日本に新たなラボを設けた。
イタリア本部のラボより規模的には小さいものの、置かれる設備や、何より配属される人間の顔ぶれを見れはそこが今後ミルフィオーレの……というより、ホワイトスペルの科学技術班の拠点となるだろうことは一目瞭然で、正一も、設計の段階から関わってきたのである。

研究室の移動や、それに伴う様々な処理。

しなければならないことは山積みだったが、かといって並行して行っている研究の手を止める訳にはいかない。――ようやく全てが片付いたのは
ほんの三日前のことで、そしてそれに合わせるように届けられたのが、イタリア本部への一時帰還命令だった。

やっと落ち着いたところだったのに悪いね、と、本来なら部下経由ですればいい帰還命令を、白蘭は直接正一に伝えてきたのだ。


『本部のラボに、正チャン待ちの案件がいくつかあるらしくてね。データの遣り取りするより、直接見て貰った方が早いと思うんだ』
『そう、ですか』

変なところで途切れた返事に、モニターの向こうで白蘭が浮かべた苦笑。

『死ぬほど疲れた、ってカオしてるね。引っ張り回されて怒ってる?』
『そんなことありません』
『ふーん。……本当に、大丈夫?』
『大丈夫です』


今回だって、イタリアまでの十二時間、昼寝の時間を貰ったようなものですから。


正チャンは体力無いからね、と、恒常的にされている揶揄が相手の口から零れる前に、少しばかり強気な先手を打ったのは正一で、それを受けて白蘭は、「確かにそうだ」と、面白そうに言ったのだ。

「正チャン、ここ暫く休み無しだったからね。昼寝でも音楽を聴くのでも、移動中は好きなだけのんびりしてくれていいよ」

――と。自らそう言ったのにも関わらず、なのに。


正一が日本のラボを発つ三十分前になって、本国から転送されてきた構築途中のプログラム。


『完成次第、ホワイトスペル本部へ転送』


御丁寧に「至急」とまで記されたそれを片付けるのにかかった時間は、約十時間。……結局、好きなだけのんびり、どころではない。僅かな休息時間すら、潰れてしまったのである。




「目の下のクマ、凄いよ」
「……寝不足ですから」

大変だったね、と労りの言葉を言う白蘭の顔を、正一はちらりと見遣った。

「どうかした?」
「……別に、なんでもありません」

 ふう、と諦念の溜息が漏れると同時に、頭の奥がズキリと痛んだ。
――正一のことを気に入っていると周囲に公言して憚らないくせに、時折白蘭は笑顔のまま、嫌がらせ紛いのちょっかいを仕掛けてくる。
その度、冗談抜きに正一は迷惑を被ることになり、五回に一度は白蘭の言う所の逆切れをすることになるのだが、全くもって訳が解らないことに、相手はそれが愉しくて堪らないらしい。

普段、マシュマロを指で千切ったり弾いたり、まるで玩具のように弄ってから口に放り込むのと同じ感覚で、ホワイトスペルの長たる相手は、自分のことも扱っているのかもしれない。

そう考えると納得は出来るがしかし、あまり嬉しい結論だとも思えなくて正一が黙っていると、突然、白蘭に腕を掴まれた。


「……っ、何ですか」
「いいから。こっち来て」


ぐいぐいと引っ張られ、ソファにまで連れて行かれた。


白蘭の執務室は、四方がガラス張りになっている。
晴天の青空の眩しさと、眼下に広がるミニチュアじみた街並み。超高層ビルの最上階から臨む景色はどこか現実味が欠けていて、僅かな違和感が脳裏を過ぎった刹那、正一の視界がぐにゃりと歪んだ。

視界に差す陽の光が、異様に眩しく色濃く感じられる。
目を眇めた途端、ざあっと、砂が擦れるような耳鳴りが聴覚を襲った。

(……ッ……)

只でさえ、極度の睡眠不足だったのだ。
貧血を起こすのも当たり前だと脳の一部で妙に冷静に判断しながら、けれど身体が傾いでいくのを止めることは出来ず、膝が崩れる。――倒れる、と正一が思った瞬間、けれど身体に伝わったのは、固い床の感触ではなかった。


「……ほら。やっぱり大丈夫じゃなかった」


真上から自分を見下ろす、整った造りの顔。
正一の身体は、ソファの上に横たえられていた。

「……ゃく、蘭…、さ」
「いいよ。無理して喋らなくて」
「ッ……」

ずきりとした痛みが額の奥に走って、目の前に光が入り乱れる。ぎゅ、と強く目を閉じると、眼鏡を外され、冷たく乾いたものが正一の瞼を覆った。

「まさか、ホントに倒れるまで頑張ってくれるとは思わなかった」

未だ弱く続く耳鳴り越しに聞こえた声に、正一の肩が揺れる。

「……って、…」
「ん?」
「だ、…って、至急って書いて、……」
「ああ、そういえば、そうだったね」

真っ暗に閉ざされた視界。
白銀色の髪にホワイトスペルの白い装束、外見の印象そのままに冷たい白蘭の掌に、熱が吸い込まれていく。


――誰のせいで、貧血なんかで倒れる破目になったのか。


そう言い返してやりたくて。
けれど冷たい掌の感触は、そんな苛立ちを上回る位に気持ちが良くて。


……結局正一は、口を噤まざるを得なくなる。それこそ普段の、いつもの通りに。






 「――寝ちゃった?」

掌の下の身体から、ふ、と力が抜けたのに気付いて、白蘭は声を漏らした。瞼を覆っていた手を離すと正一の顔には如何にも疲労の色が浮かんでいて、しかしそれを見遣った白蘭は、ひっそりと微笑した。

眠りながらでいいから聞いて、と前置いて、伸ばした指に触れた髪を掴む。

「僕は正チャンのこと気に入ってるし。――気に入ってる相手には、ずっと自分のことを考えていて貰いたいものだから、ね」

癖のある、跳ねた毛先を弄り、離す仕草を繰り返しながら、白蘭はゆっくりと続けた。

「正チャンに休んで貰いたかったのは本当だけど、でもその間、僕のことを全然考えずに過ごされるのは面白くないだろう? だから……、」


少しだけ、意地悪してみようかなって思ったんだよ、と。


身じろいだ相手を起こさないよう顰めた声で囁いて、白蘭は目に浮かべた笑みを深くした。――突然に押し付けられた、数字とアルファベットの延々たる羅列を組み立てながら、正一は白蘭のことを考えていた筈だ。ほとんど反則に近い無理矢理で、捻じ込まれた任務。……そこにあるのが苛立ちや怒りの感情だったとしても、「気持ちを傾ける」という行為であることには違い無い。少なくとも白蘭にとって、感情の「種類」の差など、さして重要ではないのだ。意味があるのは、相手の思考の最終到着地点、ただそれだけ。


どこにいて、何をしていても。


思考の最後に辿り着く先を己で埋め尽くしてやりさえすれば、それは、相手の心を全部、支配しているのに等しい。



「――でもこれは、正チャンには秘密だけどね。絶対に怒るだろうから」



ごめんねと、やはり愉しげに言い残して、白蘭は指先で弄っていた相手の髪を、はらりと離した。




>>fin.


 

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