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全てこの腕の中に。
written by Miyabi KAWAMURA
2006/1114


 



 隣に立つ彼を、見る。


 初めて逢った時には「少年」と呼ぶに相応しかった相貌が、東洋人独特の繊細さと彼独特の艶やかな甘さを持ったまま、大人の顔つきへと変わっていた。
身長も、あの頃より随分伸びた。
……とはいっても、常に彼を取り囲んでいる黒ずくめの部下達の間に立ってしまえば、その姿はひどく小柄で細く見えるし(見えるだけではなく、実際小柄、なのだが)、そして今、隣に立つ自分と比べても、身長差が未だかなり有る事は否めない。ただそれでも、10年前と比べれば、彼も確実に成長している訳で。元々大柄な欧州人の体格と、東洋人のそれとを比べて考えて評価する方が、酷というやつかもしれない。

 ひとつの町の裏社会を牛耳るという、その生活様式はかなり異様ではあったものの、結局のところは日本という一国家の義務教育下にある「子供」だった彼は、今や数多あるファミリーのトップに立つボンゴレの、筆頭幹部の内の一人になっていた。

年若い長を支える、同じく年若い幹部達。

それぞれが、ボンゴレの一翼を担う証の指輪を継承し、数百という単位の部下を率いる立場にある。

……そう。
憂慮すべきはその指輪だ、とディーノは思った。

当時少年であった彼……雲雀恭弥の手元に渡ったとき、その証の指輪は、無造作に掌の上で転がされていた。挙句の果てには、

「落として無くす? ……それが何?」

程度の扱いを受け、普段はポケットの中に突っ込まれていた有様だった。

それが今では、彼の指に。
左手の薬指に安住の地を与えられ、常にその存在を誇示している。

「こう使った方が役に立つんだ。コレはね」

ファミリーの幹部就任式の為、初めてイタリアを訪れた彼に会った時、その指に嵌められた指輪に目を留めた自分に、告げられた理由。

……当時、ボンゴレの若い世代を囲む状況は、如何に強大な組織とはいえ、決して楽観出来る程甘いものではない、というのが実の所の現状だった。
強大な組織であればある程、その世代交代時の間隙を突こうとする輩も現れる。
それを十分に理解しているからこそ、彼は証の指輪を敢えて身に付け、内外に晒す事によって、威嚇と牽制の意味を含めて有効利用しようとしていたのだろうが、指に嵌めたまま、では。

邪魔にならないか、と尋ねたディーノの顔を一瞥して、戻ってきた一言。


「全部確認してみたら、この指が一番邪魔にならなかったから」


……その、彼らしい物言いに、思わず苦笑した事を覚えている。

至近距離打撃武器であるトンファーを獲物とする雲雀にとって、「掌」と「指」の感覚は、武器を手繰るときの大きなファクターになる。

指に嵌めたままにした金属の、皮膚に馴染まないその感覚に僅かに手元が狂い、自分のものだけではなく、ファミリーの長たる少年の命をも危うい目に遭わせてしまう可能性が、無いとも言い切れないだろう。
ディーノの言葉もそれを考えてのものではあったが、それは杞憂の様だった。

雲雀は一度、左右全ての指に一通り指輪を嵌めて戦闘効率を試したらしい。
そして結果、「一番邪魔に感じなかった」指を、指輪の安置場所に決めたのだそうだ。……この、元教え子が見せる、誰に教えられた訳でもないだろう周到さ、言葉は悪いが狡猾とも言える警戒心は、間違いなくこれから彼が「この世界」で生きていく上で、大きな武器となる。それは、ディーノにとっても喜ぶべき材料である筈だった。……けれど。

けれど、だ。よりにもよって。

(その指、は無いだろ普通)

雲雀の家庭教師として、そして、ボンゴレと友好関係にあるファミリーのボスとしての意識とは別の部分で、ディーノの内に、どうしても納得出来ない部分があったのも本当だった。


身体の他のどの部分よりも、心臓に近い、と謳われる指。
想いあう者同士が、その心を誓う指。

左手の、薬指。

左右十指の中でも、間違いなく特別な意味を持つその指を飾る、雲の名を持つ証の指輪。

雲雀が、自分の生き場所だと決めた世界を、象徴する「それ」。


きっとおそらく間違い無く、彼はもう、この指輪を外すつもりは無いのだろう。……その事を改めて自覚させられた時に感じた気持ちを何と表現したら良かったのか。それは、数年を隔てた今となっても明確では、無い。



「なにぼんやりしてるの?」



とりとめの無いディーノの思考を途切らせたのは、抑揚が少ないのに甘く聞こえる声と、間近に見上げて来る黒い双眸だった。

「隙だらけ。……退屈だよ、今日のあなたは」
「そっか? ゴメンな」

いつの間にか、一撃で命を奪える程の至近距離まで間合いを詰めてきていた相手を、一瞬で唇を奪える程の更なる至近距離に……腕の中に抱き込み、引き寄せる。

「抵抗しねーの?」
「しないよ。……するまでもないよ」

抱き締められている所為で、雲雀の声は、ディーノの着ている服に半分は吸い込まれてしまう。
小柄な身体の温かさと、服の上からでも分かる細身の肢体の感触は、ディーノの腕の中に酷く馴染んだ。

「大人しい恭弥も、珍しくて可愛いな」
「……殺されたい?」
「っと、それは遠慮」

物騒な言葉を躱して、ディーノは自分の頬を、雲雀の黒髪に寄せた。

さらりとした金髪が、艶やかな黒髪の上に重なる。

まざり合うかもしれない、と思えるのに、決してまざる事の無い二つの色。


「恭弥」
「……何」
「恭弥……」
「だから何?」


別に、呼んだだけ。

ふざけた様にそう言うと、今日のあなたは、退屈っていうより馬鹿に近いよ、と、溜息交じりの悪口が、腕の中からくぐもって聞こえた。


「恭弥」


後で、殴られるかもしれないが。
ディーノは、腕の中に捕らえた相手を、可愛げの無い言葉ごと、更に強く抱き締めた。

彼が、自分と同じ「世界」で生きている、という今のこの事実。
そして、同じ「世界」にいるが為に、二人の間に築かれてしまった、必然的な隔たり。


選択肢の最後の最後で、雲雀はディーノを選べない。
選択肢の最後の最後で、ディーノは雲雀を選べない。

否、「選ばない」。


雲雀の指に、証の指輪が嵌められたその時に、暗黙の了解として決まってしまったその約束。
……彼が選んだ、ボンゴレの守護者という地位は、それ程までに特別なのだ。


「……恭弥」


もう幾度呼んだか覚えていない名前を、ディーノはもう一度、呼んだ。
伝わるだろうか、と思う。

出逢えた事に対する喜びも、今隣に立っていられるという幸運も、そして、愛しいと思う気持ちに常に付き添う、この焦燥も。


「好きだ。本当に好きだ、お前の事」
「……何言ってるの」


唐突な告白に、雲雀はディーノの身体に手を突いて、僅かに距離を取った。
訝しげに見上げてくる黒い双眸を見下ろして、ディーノが微笑う。


全て伝わるといい、と思った。


何もかもが変わっていくこの世界の中で、それだけは変わらないもの。


彼の黒い瞳、黒い髪。

……変わっていく何もかもすら大切な、今のこの時に。


「オレは、お前の事が好きだよ」


それでも尚、変わらない彼へと抱く、この愛しさの、全て。



>>fin.


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