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「わたしをたべて。」
written by Miyabi KAWAMURA
2006/1120


 




 冬の乾いたクリアな空気は、細かな明かりまでくっきりと映し出す。

「何処まで行くつもりなの」
「……そうだな」

フロントガラスの先に、湾岸の飾りである観覧車の明かりが見えた。そして更にその先に、葛西の観覧車までもがライトアップされ、輝いている。建造以来、首都圏の夜景に欠かせなくなったその二つを見遣りながら、雲雀が零した疑問に、ディーノは少し考えた後、笑って答えた。

握るステアリングを、掌で軽く叩く。

「こいつのエンジンの機嫌が直るまで、もう少し付き合ってくれ」

そう言って、アクセルを踏み込む。
途端に、黒い本革のバケットシートに納まった雲雀の身体に、Gが掛かる。

「帰るの、真夜中になっちゃうんだけど?」
「大丈夫だって。ちゃんと送るから」
「……そういう問題じゃ、ないとは思わないの、あなたは」

ひとつ、溜息。

 ディーノがかなりの車好きらしい、という事に、雲雀はとっくに気付いていた。

彼の母国、イタリア。
それ即ち、=フェラーリ。

一般レベルの常識であるその方程式に違わず、やはりディーノも、母国が誇る「跳ね馬」の虜なのだ。……事実、ディーノは日本に滞在中、自ら運転するときにはフェラーリしか選ばないし、ステアリングを握っているときの表情は、正に愛馬を駆る人間の、それで。
 元来、車なぞに興味の無い雲雀からしてみれば、「病に犯された如くに熱狂する者達」と評される、フェラーリ狂の気持ちは理解出来ない。……口元に機嫌の良さそうな笑みを佩いている隣の男を揶揄してやろうと、「全部で何頭飼ってるの?」と、ディーノが間違い無く複数は所有しているらしい愛車の台数を、馬になぞらえて聞いてやるが、しかし、その表現は逆に相手を喜ばせてしまった様だった。

「こいつと、あと家に置いてあるやつ二台と、サーキット預かりがもう一台だな」
「……サーキット?」
「そ。オーナーの特権」
「……ふうん」

特権、と、さらりと金髪が零した言葉が、果たしてどれ程の価値を持っているのか、雲雀にはおおよその見当しかつかない。……まあ、詳細を聞いたところで意味があるとも思えないので、適当に相槌を打って流す。

「そんなに車ばかり持ってても、自分で運転する機会なんて無いんじゃないの」
「んー? そうでも無いぜ? ……気分転換したい時とか、それと……」


実戦のときに。


ファミリーの若いボスが、悪戯っぽく微笑って付け足した「実戦」という言葉の意味を正しく理解して、雲雀は夜景に流していた視線を、隣に向けた。

「でしゃばりなボスを持ったあなたの部下は災難だね」

そんなに早死にしたいの?

冷たい目でそう問われても、ディーノには何もこたえる所は無いらしい。

「それはお前も。お互い様、だろ」

跳ね馬の一言に、雲雀はふん、と微笑った。……笑みとはいっても、それは多分に物騒な彩を湛えている。確かに、前線を……直接の戦闘行為を全て部下任せにする事など、雲雀には理解出来ない。計算と明晰な判断が必要な戦略戦も勿論嫌いではないが、それ以上に、ただ純粋な「戦う」という行為そのものが、何より雲雀にとっては重要なのだ。……だからこそ。
それだからこそ雲雀は、今自分の隣にいる、類稀な鞭使いである金髪と、戦いたくて堪らないのだ。
初めて顔を合わせた時に伝えた、「咬み殺す」という宣言は未だ叶えられていないが、ディーノに対して抱く、その雲雀独特の殺意(というよりは、執着に近いのかもしれない)は、微塵も変わってはいない。……ただ、その目的を果たす為に、ディーノと戦う為に、かなりの回り道を余儀無くされている感は無きにしもあらず、ではあるが。



 雲雀が思考の淵に捕われている間に、時速130キロの跳ね馬は、首都圏一有名な橋を越えていた。一つ目の観覧車が、彼方後方へと遠ざかっていく。


甲高い軋りの様でいて、しかし肌を振るわせる美しい高音のエキゾーストノート。


強化ガラスとカーボンで完全に護られたコクピットにまで聞こえるそれは、フェラーリサウンドと呼ばれる妙音だ。

タイヤが路面を捉えるときの、車体の僅かな挙動。
直線に差し掛かり、一段階上げられたギアが猛々しい中にも滑らかに速度を増していく感覚。窓の外の景色が後方へ飛び去っていく速さよりも、身体に掛かるGが、直接に全てを伝えてくる。

現代の機械技術の粋を究めた走る芸術が誇る絶対的な速さと、存在感。

「……」

無意識の内に雲雀が零した吐息に気付き、ディーノが、小さく微笑った。


「気持良さそうなカオ、してる」


唐突に言われた言葉に、雲雀は眉を顰めた。

「……何?」
「今お前、一瞬意識飛んでたろ? ……そんなに、良かった?」

わざと掠れる様に低く響いた、跳ね馬の声。
反射的に左拳を握った雲雀は、それをそのままディーノへと突き出した。

「……っ! 痛ってぇ!」
「うるさいな。運転に集中しなよ」

腕を組んで、横を向いてしまった雲雀を見遣って苦笑すると、ディーノはステアリングを握り直し、アクセルを踏み込んだ。


「つか、ホントに気持ち良いよな、今夜は」


真直ぐ前を見詰めながら、ディーノが呟いた。……雲雀からの返事は無いが、気にしない。

日本の高速は、世界のそれと比べても、格段にアスファルトの質も高ければ、綺麗に整備されてもいる。それに加えての、冷たく澄んだ晴天の夜景。
……そして、隣に居る相手。

ディーノは、浮かぶ愉悦のままに、母国語で何かを口ずさんだ。






 「……さっきからのそれ、何?」

そろそろ帰路に向かおうか、とディーノが思い始めた頃になって、それまで黙っていた雲雀が口を開いた。

「それ?」
「そう。あなたが歌ってるやつ」
「ああ、コレなー」

どうやら雲雀は、ディーノが彼の母国語で口ずさんでいたメロディが気になったらしい。

「イタリアの曲?」
「当たり。つか、国家」
「……なんだ」

興味が失せた、とばかりに言い捨てた雲雀に向かって、逆にディーノは、ふと沸いた疑問をぶつけた。

「そーいやお前さ、イタリア語、喋れないよな?」
「当り前だよ」

今まで散々自分と日本語だけで会話してきたというのに、今更何を聞くのか。
訝しげな雲雀に向かって、更に言葉は続けられた。

「今は良いだろーけどな、将来的に困るだろ? 教えてやるよ」
「……」

必要無い、と言い掛けた雲雀の声は、直線に差し掛かって回転数を増したエンジン音に遮られた。

「取り敢えずは挨拶か。いや、それじゃつまんねー……」

雲雀の無言を了解と解釈したのか、容赦無くアクセルを踏み込みながら、ディーノは握ったままのステアリングを、こつこつ、と指で叩く。

「オレらの業界用語から行くか? でもそれも他所じゃ役に立たねーし」

どうしようか、と、独り勝手にディーノが雲雀への語学伝授のプランを練っている内に、前方には、赤い矢印が幾重にも繋がったマークが……「急カーブ注意」のマークが現れた。

疾走する、鋼の跳ね馬。

「どうせなら、面白い言葉から覚えた方がいいよな」

速度は緩まない。……緩まない内に、カーブが、目前に迫る。

「っしゃ、決めた」

何か良い言葉を思いついたのか、ディーノは満足げに頷くと、口を開いた。

差し掛かる急カーブ。
瞬間、雲雀の目の前で、140キロを指していたスピードメーターが、ディーノが踏み込んだブレーキに応えて一気にその値を下げる。
強い横G。


「           」


キアアアアアアアアア、と、車体の足回りに集中した技術がフルに稼動する音と共に、滑らかにカーブを駆け抜ける跳ね馬。
雲雀の身体が、シートに全身を押し付けようとするGから開放された瞬間にギアが上げられ、再び高いエキゾーストノートが響く。


刹那の出来事。


雲雀がバックミラーに目を遣ったときには、赤矢印のカーブは彼方に消えていた。



 「ホラ、恭弥。言ってみろよ」



何事も無かったかのようにディーノにそう言われ、一瞬、雲雀は反応出来なかった。

「……え?」
「だから、今オレが言ったやつ。お前も言ってみろって」
「……聞こえなかったよ」

そういえば、カーブを曲がっている最中に。
ディーノが何か、彼の国の言葉で呟いていた様な気がするが、軋るタイヤの音で、殆ど何も聞こえやしなかった。
そう伝えると、如何にも残念、という風にディーノは溜息をついた。

「……ったく。折角良い言葉を思いついたってのに」

聞いてないんだもんな、と、どことなく恨めしげに聞こえる言葉に、雲雀は目線をきつくした。

「なにそれ、僕の所為とか言うつもり?」
「や、別にそういう訳じゃねーけど……」
「そもそも僕の方からは、何も頼んだ覚えは無いけど」
「おい。怒るなって」

雲雀の逆鱗の在処は気紛れだ。
過分に大人じみているというのに、時折酷く幼い。……その落差が、ディーノからしてみれば余計に愛しいのだが、それを言っては事態は泥沼に発展するだろう。

「分かった。今日は、イタリア語の勉強は無しな」

不毛な舌戦を終わらせる為、自分の方から譲歩したディーノはしかし、思いついた「良い言葉」とやらにやはり未練があるらしかった。……恭弥に言わせたかったな、とぼやいた声を、雲雀が聞き逃す訳も無く。


「……さっき、本当は何て言ったの?」


聞かれ、ディーノはバックミラーに映る雲雀の顔を見た。

「教えたらお前、ちゃんと言うか?」
「……内容によっては」
「よっては?」


「殺す」


物騒な雲雀の物言いに、ディーノは笑った。

「だったら秘密だ。……機会があれば、教えてやるよ」


言いながら、鋼の跳ね馬を、一気に加速させた。


最高まで跳ね上がるギア。
響き渡る、極上のフェラーリサウンド。



……巧みにはぐらかされてしまった「答え」の事はもう忘れる事にして、雲雀は溜息をついた。

「もうどうでもいいから。……家に着いたら起こして」
「了解」


おやすみ、と囁かれ。
目を閉じた自分の髪に触れたディーノの指の感触を、雲雀は何故か、振り払いたいとは思えなかった。……そして。



そう思えなかった自分に向けて。


雲雀はもう一度、溜息を、ついた。




>>fin.


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