白百合ドラッグ
written by Miyabi KAWAMURA
2006/1130
その花は、綺麗な麻薬。
触れたい、触れられていたい、と、過度の思いをひとに抱かせる薬。
「……甘」
気持ち悪い、と心底嫌そうに呟いた雲雀の頤に手を掛け上向かせ、吐息も声も、余さず奪い取る様に重なる唇。喉奥深くまで差し込まれた舌は無防備な粘膜を撫で、歯がぶつかる、こつ、という僅かな音と、飲み下す唾液の音とが、この白く明るい空間を、酷く不埒なそれへと変えてしまっている。
重く、そして甘い匂いが空気に篭り、息継ぎのたびにそれを吸い込む雲雀の脳は痺れ。
四肢の感覚すら危うくなっていく様な、有り得ない錯覚にすら捕われて、相手が着ている光沢のあるダークスーツの袖先に指が触れた刹那、反射的にそれをきつく掴んでしまった。
下唇を甘噛みされて、仕返しとばかりに相手の唇をちろ、と舐める。
すると、その行為を互いを煽る為のそれと取ったのか、鞭使いの左手が雲雀の頤から離れて下方へ動き、掴んだ雲雀のシャツを下衣から引き抜いてしまった。
そしてそのまま、掌全体を使って、薄い皮膚の張った脇腹を撫で上げる。
「っ、は、……っ」
乱された衣服の隙から与えられる感触に、身体は素直に反応する。
至近距離で仰ぐ琥珀色の双眸は滲んで見えて、互いの身体のあまりの近さを意識した瞬間、引き寄せられた下肢が、ぞくりと震えた。
「続き、しようか、此処で?」
耳に直接流し込まれた声に混じる揶揄と、欲。
自分の背に回された両腕に、ゆっくりと力が篭められていく感覚に身体を預けると、雲雀は目を閉じた。
視界が閉ざされた分、聴覚は敏感になる。
とく、とく、と。
規則正しく脈を刻む音は多分自分のものではなくて、密着しているディーノの心音。
それとは別に、厚い石壁に嵌め殺しになったステンドグラスの向こうから、幾人もの人の気配とさざめく様な話し声が聞こえてくる。
時折混ざる歓声。
……雲雀とディーノが、今ふたりきりでいるこの「白く明るい空間」、即ち聖堂では、つい先刻、真白い衣装を纏った花嫁が、神へと誓いの言葉を述べたばかりだった。
イタリアの裏社会とは面白いもので、他国のそれとは、一種趣を異にしている。
「ファミリー」という表現の指す通り、血縁と同郷の仲間意識で裏打ちされた組織同士の繋がりはとても強固で(だからこそ逆に、裏切りには過酷な制裁が与えられるのだが)、例えばボンゴレとキャバッローネの様に、緊密な同盟関係にある組織同士の幹部ならば、会合やそれ以外の時に、顔を合わせる機会も少なくは無い。
そしてまた、各ファミリーの構成員の在り方も特殊なのだ。
一見すると、「善良な一市民」にしか見えない町の小売店の店主や一家の主が、実は組織の一員である、という場合もかなり多い。住民の入れ替わりの激しい新興都市は別として、歴史の深い街では特にその例が顕著で、現に今日、この教会で式を挙げた花嫁の祖父も、ボンゴレやキャバッローネに縁の深い中堅ファミリーの古参幹部の一人であった。
……とは言っても、教会の前庭で催されている祝宴の輪の中心にいる花嫁自身は、そんな事を知りもしないだろう。
彼女が幼いときから知っていた、左腕に鮮やかな墨を入れた「祖父のお知り合いのお兄さん」が、本当はある組織のボスで、跳ね馬の異名で呼ばれている、という事も。
式に参列していた黒い髪と黒い瞳の日本人らしき青年(彼女自身の知人ではないが、祖父の会社の人間なのかもしれない)が、ある組織の一翼を担う幹部のひとりである、という事も。
……そしてましてやその二人が、自分が式を挙げたばかりの、神聖であるべき聖堂の中で、今まさに不埒な行為をしているなどという事は、思いもつかないに違いなかった。
「……式で、何かあったのか?」
先刻自ら口にした、神聖な場には全くそぐわない問いかけの返事を促すでもなく、腕に抱いた細身の身体の体温を満喫していたディーノは、雲雀が珍しく、本当に珍しく零した吐息の様な笑みに気付いて、黒髪を弄っていた指を止めると口を開いた。
「なんだか楽しそうだ、お前」
「別に……」
大した事じゃない、と告げた雲雀はしかし、何を思ったか、ディーノに凭れていた身体を起こすと、真正面から相手を見上げた。
「恭……」
「ねえ。しようよ」
続き、という言葉の形に動いた唇が、ディーノの声を遮った。
掠める様に触れた、互いの唇の薄い皮膚の感触。
舌先だけを幾度も触れ合わせ、唇の感触だけを愉しむ悪戯にも似た行為に連れて、ゆら、と揺れた空気の中に、濃密な甘い香りが漂った。
「恭弥、いい匂いがする」
唇が離れた隙にディーノがふと呟き、改めて触れた黒髪に顔を寄せた。
「髪も、だな。……すごく甘い」
あれの所為か、と言って。
ディーノが見遣った先にある物を目にした雲雀の眉が、顰められた。
聖堂の最奥、据えられた十字架の下に飾られた白百合。
花嫁が手にしていたブーケにもあしらわれていたその大輪の花から、溢れる芳香。
独特の深く、なめらかな質感を持つ甘いそれが、聖堂に余す所無く満ちている。
「……キライなんだけど」
耳に届いた不機嫌な低音に、ディーノは目を視線を戻した。
「嫌い?」
それは跳ね馬にとって、意外な答えだったらしかった。
白百合の、すっと伸びた緑の茎。
一輪でも毅然とした、そして綺麗な直線と曲線を描く白い花は、雲雀に似合う様な気が、していたのだが。
「恭弥、あの花、嫌いなんだ?」
重ねてそう聞かれ、頷きこそしなかったものの。……雲雀の花を見る目は、彼が厭っている群れを見るときのそれに近くて、その苦手度合いが如何ほどなのかが、ディーノにも容易に知れた。
「匂いが強過ぎて、気分が悪くなる」
「そうなのか?」
「……最悪だよ」
気持ち悪い、と呟いた雲雀を苦笑して抱き寄せると、ディーノはその背を軽く撫でた。
「それなら早く言えよ。外、出るか?」
「……嫌だ」
言いながら、雲雀は心配げに自分を覗き込むディーノに向かって腕を伸ばした。
「恭弥?」
「少し、黙ってて」
近付いていく金色の髪と、黒い髪。
二人の間に流れていく空気すら甘く甘く染まっていて、そして唇が重なる寸前、間際で互いに飲み込んだ相手の吐息は、それよりも更に甘い香りがした。
「……気分、悪いんだろ」
「悪いよ。だから……」
皆まで言わずに、雲雀はディーノの肩口に額を預けると、目を閉じた。……そして、大きくひとつ、息を吸う。
肺の中に雪崩れ込む、どろどろと甘い香りと、それに混ざるディーノの匂い。
呼吸のたびにそれは四肢の隅まで染めていって、頭蓋を内から撫でる様な、酔った様な気分にさせられる。
「……っ」
気分は、悪い。
酸素濃度自体が増したかの様な、息をするたびゆるやかに肺を痺れさせる空気。
けれど、それだからこそ、そんなものが気にならなくなる位、触れていたくて。
……触れられて、いたくて。
ディーノの背に回した掌に力を篭めると、同じだけの力で抱き締められた。
不埒だろうが罪深ろうが、そんな事どうでもいい、と。
限り無く罰当たりな事を考えている自分に気付いて、雲雀は、笑った。
>>fin.
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