後朝
written by Miyabi KAWAMURA
2009/1014
(2009/0131〜1014迄の拍手御礼文)
とてもあたたかな夢を見た。
否、あたたかいだけじゃない。柔らかで、優しい手触りをした夢を見た。
――目覚めた瞬間、自分が何の疑いも無く、実は内容なんか全く覚えていない、もしかしたら見てすらいなかったかもしれない「夢」について、「そう思い込んでいる」ということに気付いて、オレは笑いたくなった。……でもそれは、決して苦笑だとか嘲笑だとか、そういう悪い類の笑いじゃなくて、もっと……そう、あたたかくて柔らかい、正に「夢の通り」の、そんな種類の、笑いだった。
一夜を過ごしたベッドには、体温と、そして決して不快ではない熱を孕んだ、僅かな湿度が残っている。
まだ、目を開きたくない。
寝返りを打ち、うつ伏せになって、ベッドの柔らかさに全身を預ける。目覚めと、眠り。その間際の、水底から水面へと浮上する瀬戸際で、身体を包む最後の浮力にわざと抗って遊ぶような、そんな感覚をオレは味わっていた。……本心を言えば、もう、寝返りを打つことすらしたくなかった。
シーツに投げ出した四肢の爪先から、完全に力を抜く。出来ることなら呼吸までも止めて、このひどく心地良い時間に溺れていたかった。そう思い、深く息を吐き、そして更に深く息を吸い込んだオレの肺はそのとき、空気に混ざった甘い匂いに気付いて、震えた。
「――、……」
その匂いに、誘われるように。
薄らとひらけた視界が、淡い光で霞む。……隣には、誰もいない。ひとの気配すらしない。緩やかな皺の寄った白いシーツ。広いばかりのベッドに眠っているのはオレ一人で、けれど。
「……、ぅ……や?」
甘い、匂い。
否、ただ甘いだけじゃない、オレの肺を満たし皮膚を染めて、最後にはあまりに愛しすぎて焦れるような息苦しささえ覚えさせるような、そんな、甘い甘い、匂い。……オレの唇が掠れた音にして零したのは、その残り香だけを置いてどこかに行ってしまった相手の、数時間前まで腕の中に抱き締めていた相手の、名前だった。
きょうや。――恭弥。
……ああ、そうだ。オレは昨夜、ここで、恭弥のことを抱いた。
抱き締めてキスをして、互いの服を脱ぎ捨てる時間も惜しくて、指に触れた恭弥の肌の全部に、唇で触れて。
「……っ」
恭弥の匂いと、体温。蘇る記憶。オレは、シーツに顔を埋めた。
しなやかで滑らかな、恭弥の肢体の質感すら感じられるような熱を残す布に擦れた肌から、細かな泡にも似た心地良い感覚が湧き上がる。それはオレの中でオレの体温に溶けて、なのに消えはせずに、新しい熱に変わっていく。
「――ッ……ン、ぁ」
背を這い上がる、痺れに近い快楽。
吐き出した息に紛れ込んだ自分の声には、呆れるような艶が滲んでいた。どうしようもなく、性質が悪い。いまここにいない相手に、信じられない位に欲情している。……なのに、それを振り払う気にはなれない。――きしりと、堪えきれず打った寝返り。それに応えて微かに啼いたベッドの音が、否応無しに昨夜の記憶をオレの脳の奥から引き摺り出す。目覚める間際で立ち止まっているオレの腕と脚に重りのように絡み付く、どろりとした、濃厚な劣情。
……抱きたい。
恭弥のことを感じたい。今すぐに。こんな名残の熱じゃ足りない。――ああ、少しだけ違うな。恭弥が残した名残の熱と匂いすら、こんなにも愛しい。愛おしくて、煽られる。
――四肢に絡む、オレのことをもう一度水底に沈め落とそうとする重たるく甘い熱。
それを引き剥がして、目を開いて、ベッドから抜け出して、そして今すぐに恭弥のことを、捕まえに行ってやろうか。それとも……、
緩々とした、ただでさえ纏まりのつかない思考が、吐き出した熱い息の塊と、そして恭弥の名残の匂いと混ざり合って、更に形のつかない蜜めいたものに変わっていく。
……刹那の後に、不意に、オレは気付いた。
分かった。……「恭弥」、だ。
オレが「見ていた」、「見ていたかった」、あたたかで柔らかで、優しい手触りの夢。
恭弥のことを、お前のことを抱き締めて、髪を撫ぜる。
キスをして、また抱き締めて。……そして好きだと、愛していると、思いを告げて。
――そんな夢を、オレは、見ていたんだ。
<終>
今までに拍手やコメントを下さいました皆様、ありがとうございました。
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