キュア。
written by Miyabi KAWAMURA
2007/0208
アニリボ雲雀の黒パジャマ記念
抱き竦められた身体は、掛けられた体重を受けて傾いだ。
とん、と背がついたのは、硬すぎはしないがしかし柔らかくもないスプリングの上。
「重くないか?」
「別に」
雲雀の両頬を掌で包み、耳にかかる黒髪を撫ぜながら聞くディーノに、雲雀はふいと視線を外して答えた。
咽喉が痛い、と感じたのは二週間前。
それから声が出なくなり、身体の間接が妙にずきずきと痛み出し、微熱があっという間に本格的な発熱に変わるまでには三日とかからなかった。
毎年、最低でも二回は風邪をこじらせ短期入院する雲雀だ。風紀副委員長の草壁などは馴れたもので、雲雀の声がおかしくなった辺りで既に、病室の確保を済ませていたらしい。雲雀が病院のロビーに足を踏み入れた途端、飛んできた病院長は、御用意は整っております、と言って病室の番号を告げてきた。向かった先には入院中に必要なものが全て揃えられていて、雲雀は綺麗に畳まれていた真新しい黒いパジャマに着替えると、そのまま昏々と寝暮らしていたのである。……たまに退屈してくると、院内で見つけた獲物を狩って、時間潰しをしたりもしたが。
いつも通りなら、二、三日そうして過ごせば退院出来るのだがしかし、今回の風邪はしつこかった。
熱が下がっても、咽喉の痛みだけが残ってしまったのである。
一日一回の吸入を一週間続けて下されば完治する筈です、いえ必ず治して御覧に入れます、と、ブルブル震えながら言う病院長に頷いた雲雀は、入院の延長を決めたのだ。それがちょうど、一週間前のこと。そして。
「じゃあ、痛いところは?」
「そんなところ、別に無いよ。でも」
「でも?」
「……あなたがうるさい」
ため息混じりにそう言うと、雲雀は小さく咳き込む。
……そして、ディーノが雲雀の病室を訪れたのは、つい、先刻のことだった。
「無理して喋るな。まだ、声掠れてる」
痛む? と聞くと、ディーノは指で雲雀の咽喉に触れた。
人差し指と中指で細い首元をなぞり、そのまま細い顎を捉えると、今度は親指で口角を撫でる。顎を軽く仰のかされ、口付けるのかと思ったディーノの唇はしかし、雲雀の咽喉に押し当てられた。
「……っ」
ゆっくりと体重を掛けられながら、悪戯のようにそこを噛まれる。
身体の重なる感触に、思わず雲雀が息を飲むと、滑らかな肌が咽喉仏の動きに連れて上下した。
「……もしかしてお前、緊張してる?」
「うるさい。少し黙れば」
微笑を含んだ声で揶揄されて、雲雀は眉を顰める。
自分に覆い被さる相手の肩を掴んで押し返したがしかし、ディーノがそれで退く訳がない。滑らせた唇で雲雀の頚動脈の辺りを掠めると、辿り着いた鎖骨の上の皮膚を強く吸う。刹那、ぴり、と走った痛みは、痕を残された証だ。
今雲雀が身に付けている黒いパジャマは、普段着ている制服のシャツよりも襟が開いている。寝具なのだから仕方ない事ではあるが、そのゆったりとした作りが、今は災いした。
これでは、肌に残された赤い徴を隠すことも出来ない。
苛立ち紛れに金色の髪をくしゃりと掴むと、ようやくディーノは顔を上げた。
間近に見た琥珀色の双眸は、やはりどこか愉しそうだ。雲雀にしてみれば、一向に痛みの取れない咽喉に嫌気も差しているというのに。
「病人相手だから、好き勝手出来るとか思ってる訳?」
最悪だね、と、真上から見下ろされた体勢のまま雲雀が言い捨てると、ディーノは髪と同じ金色の睫を、二、三度瞬かせた。
「好き勝手? 何が」
「だから、いきなり押し掛けてきて何の用」
迷惑なんだけど、と続けようとした雲雀の先を制して、ディーノの指が雲雀の口元に触れる。
「駄目だ」
「……何?」
「喋るな、って言ったろ。治るもんも治らなくなるぜ」
「そんなの、余計なお世話だよ」
ディーノの声が、ゆっくりと近付く。
最後まで可愛げのない言葉を零す雲雀の顔の横に手を付きながら言い聞かせるその声音は、ひどく甘い。
二人分の体重を受けて、ベッドのスプリングがぎし、と軋む。その錆びた音は、並盛中の応接室に据えられたソファの音とも、ましてやディーノが日本滞在中に泊まっているホテルのベッドの音とも全然違っていて、妙に雲雀の耳に付いた。
舌先で雲雀の唇を割ると、ディーノは閉じたままの歯列をなぞり、受け入れる様に促す。僅かに生まれた隙間に舌を滑り込ませた場所は、いつもより少し熱い様に感じられた。
雲雀の口腔に溜まった唾液を舌で掬い飲み込むと、くちゅ、と音が鳴った。
雲雀の舌が、ディーノのそれを追って動く。ぶつかった柔らかく濡れた肉を緩く噛みしだいてやると、組み敷いた細い身体が身じろいだ。
「……、っん、く」
互いの口腔を愛撫し合う内に、一気に忙しなくなった自分の心拍に気付き、雲雀の体温が上がる。
舌を擦り合わせたまま僅かに唇を離すと、継いだ息には、病院独特の匂いが混ざっていた。
先刻から聞こえている錆びた音と、消毒薬の匂い。
そしてその中に混ざり込んだ、ディーノが付けている香水の甘い香りが、ずきりと脳に響く。
その瞬間ふと感じた表現し難い心許無さに、雲雀の指が無意識に伸びて、相手の背に回された。指先にだけ篭めた力でディーノの衣服を掴む。すると雲雀の仕草に気付いたディーノは、重ねた唇の薄い皮膚を宥める様に啄ばんでから、身体を離した。
「恭弥」
目に掛かる長さの黒い髪を撫で、額に触る。
「咽喉以外にも、どこか痛いか?」
「……大丈夫だよ」
「ホントかよ。熱出てきたんじゃねーか。赤いぜ、顔」
頬を包まれ顔を覗きこむ様にされて、雲雀は目を伏せた。
跳ね馬の服を掴んでしまっていた自分の手を、無作為を装ってそっと外す。熱が出てきた、など。……誰の所為だと言ってやりたいが、それは雲雀のプライドが赦さない。
「あなた、本当に何しに来たの」
「何って、お前の看病しに」
「看病……?」
至極真面目に答えたディーノに向かって、雲雀は呆れた様にため息を零した。
「こんなの看病なんて言わないんだよ、日本じゃ」
黒いパジャマの長めに作られた袖で、散々に濡れてしまった口元を、きゅ、と拭う。
「ただのキスだ。……それともあなたの国だと、入院患者にキスする習慣でもある訳?」
「流石に、それは無いな」
自分を見上げてくる黒い瞳に苦笑すると、ディーノは雲雀の眦に触れ、そこに唇を落とした。けれど、拒む類の言葉を零しているくせに、身体の下に捕まえた相手は避けようとしない。
眦から顔の輪郭をたどり、唇を掠めて顔を離すと、いつもより潤んだ目で睨まれる。さらさらとした手触りの黒髪を梳いてやると、それはディーノの指が離れるのを拒む様に、絡みついた。……身体は正直、とは、よく言ったものだ。雲雀の心の中が垣間見えた様な気がして、ディーノは唇の端に刻んだ笑みを、深くした。
「……・重いよ。どいて」
「分かった」
ぎし、とスプリングを鳴らして起き上がると、ディーノは雲雀の枕元に座り直した。
「怒るなよ。退院するまで、付いててやるから」
そう言って、乱れてしまったパジャマの襟元を整えてやる。先刻付けた赤い徴が指に触れ、確かめる様にそこを撫でると、すぐにきつく睨まれた。
「それ、迷惑なんだけど」
「……お前な」
ぷい、とそっぽを向いてしまった雲雀に向けて、やれやれ、といった風にぼやくと、ディーノは雲雀の額に手を伸ばした。
「ホントに、分んねーの?」
長く器用な鞭使いの指が、自分のこころに素直ではない少年の、しかしそれだけは素直な黒髪を絡めて撫でる。自分とは反対側、窓の方を見ている顔を、墨を入れた左手で顎を取って振り向かせる。
「……恭弥と一緒にいたいんだよ、オレが」
薄らと赤く色付いた耳元でそう囁くと、顎に添えた左手の袖口をぎゅっと握られた。
「……勝手にすれば……」
やはり素直ではない言葉と、けれど引き止める、指。
掠れた声の答えと、相反する雲雀の仕草にひかれて、ディーノはもう一度唇を寄せた。
触れる吐息から、未だ感じられる微熱。
大切な、きみが。
早く元気に、なりますように。
>>fin.
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