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融解点
written by Miyabi KAWAMURA
2007/0328
(2007/0328〜5/8迄のWEB拍手御礼文)








 理由は聞かずに付いて来てくれ、と声を掛けてきたのは、見知った顔の男だった。


いいよ、と僕が答えると、あまりに簡単なその返答に驚いたのか相手は片眉を上げて、面白そうに笑った。


「やけにあっさりじゃねぇか。ちょっと見ねぇ内に、じゃじゃ馬は返上したのか?」
「別に。ただ、あなたのボスに貸しを作っておくのも悪くないからね」
「……相変わらずだな」


正門に横付けされた黒い車の後部座席に乗り込んで、僕は目を閉じた。
行き先なんか、聞かなくても想像はついていた。








 ホテルの最上階にある部屋で待っていた相手に、言葉を交わす間もなく抱き締められた。

僕が苦しくないように、けれど絶対に逃げられないように、身体に回された腕は器用に僕を拘束する。きょうや、と頬に押し当てられた唇に名前を呼ばれて、掠れた声と息がそのまま口の中に流し込まれた。……彼と僕の身長差は、頭ひとつ分以上ある。だから、立ったままキスをするときには、僕が首が軋むくらいに顎を上げるか、彼が僕に覆い被さるみたいにするか、どちらかになってしまう。

舌先で、上顎を何度もくすぐられた。
悪戯みたいなその動きを止めさせようとした僕の舌は、逆に簡単に捕まってしまって、そうなると次に彼は、お互いのそれを擦り合わせる行為を始める。

「……ッ、ん」

飲み込みきれなくなった唾液が口に溜まって、ぬるついた音が立つ。
くちゅ、とそれを掻き回されて、下唇を舐められた。

びくりと反応した僕の身体が、ふいに持ち上げられる。

足が床から離れた、と意識した次の瞬間には、ソファに座らされていた。
そして、唇が離れる間際に。


(……?)


……なんとなく、舌先に何かの甘みを感じたような気がして、僕はたった今、自分がそうされたように、彼の唇を舐めてみた。

薄い皮膚の上を確かめるように、慎重に。

口付けるときとは全然違う触れ方をしている所為か、尖らせた舌先で彼の唇を辿ることに、なんの抵抗も感じなかった。(後になって思えば、あのときの僕の行動は、慎重どころか理性を欠いていたとしか考えられないのだけれど)


彼が制止しようとしないのをいいことに幾度も舌を動かしていたら、苦笑した彼の両掌が、僕の頬を包んだ。


「くすぐってーよ」


間近に見詰めた鳶色の目は蜂蜜色にとても似ていて、けれどそんなのが、唇に感じた甘さの原因である訳が無い。
黙ったままの僕を訝しんで、彼は僅かに首を傾げた。


「どうした? なんか、気になる?」


頬を包んでいた掌が背に回り、ぎゅう、と引き寄せられる。
正体不明の甘さの答えを見つけられないまま、彼の肩に口元を埋める形になって、そのとき僕は初めて、自分達が座っているソファの横、サイドテーブルの上に置かれたカップに気付いた。


白い陶器の中には、つやつやとした茶色の液体が入っている。
表面からは柔らかな湯気が立っていて、温かい飲みものであることは間違い無い。


「……ココア?」
「ああ、コレか」


僕の目線に気付いたのか、鳶色の目も、茶色のそれに注がれた。


「ショコラショー。美味いぜ」


飲むか、と聞かれて頷くと、僕の身体を包んでいた彼の腕が離れた。
自由になった手で、カップを手に取り口に運ぶ。
薄い造りの陶器を唇に当てて、ゆっくりと傾けると、とろりとした液体が唇に滑り込んだ。


ココアよりもずっと濃くて滑らかな、温かくて純粋なチョコレート溶液。
飲み下し、咽喉の奥を過ぎる瞬間に感じた、薫り高い甘い匂い。


気になっていた甘さの答えに僕は納得して、温かなものから唇を離した。


「確かに美味しいけど。……甘すぎるよ」
「まあな。でも、たまにはいいだろ、こういうのも」


久しぶりに飲むと妙に美味いんだよな、と言葉が続くうちに、僕の手から彼の手へカップが移る。それを目で追うと、自然僕の視線は、彼の横顔で止まった。


高い頬骨と、彫りの深い眼窩。
もともと鋭利だった頬と顎の線が以前より尖って見えるのは、多分、僕の気のせいではない。


この数ヶ月、姿を見せなかった彼。
久しぶりに来日して、なのに自分では並盛を訪れず、僕に迎えを寄越したこと。
僅かに痩せた……というよりは、研ぎ澄ました神経の矛先を未だ何処かへ据えているような、鋭い雰囲気の残る横顔。

そして、そんな状態の彼に余りに不釣合いな、舌がとろける位に甘いショコラショー。


かちり、と。
まるでパズルのように、全部が僕の頭の中で繋がった。

彼は多分、酷く危険で難しい<仕事>を終えて、そのまま日本に来たんだろう。



僕は、溜息をついた。



確かに甘いものは疲労回復に効くけれど、マフィアのボスが抱える、神経と同時に命まで磨り減らす類の疲労にまで効果があるのかといえば、それは甚だ疑わしい。



「こんなところで寄り道してる時間があるなら、早く国に帰れば?」



そんなに疲れているのなら、日本なんかに立ち寄って時間を潰すよりも、母国に帰って休む方がどう考えても合理的だ。
僕が言外に篭めた意味を完全に理解している筈の相手はしかし、カップをテーブルに戻すと、苦笑して吐息を零した。


「お前、言ってることとやってること、滅茶苦茶じゃねー?」


さっきまで、あんなに可愛かったのに、と伸ばした指で頬と唇に触れられて、僕は眉を顰めた。


「滅茶苦茶じゃない」
「じゃあ、なんで帰れとか言うんだ?」



もしかして、離れてる間にオレのこと嫌いになった?



そう聞く彼の声には幾分かの甘ったるい揶揄が混ざっていて、僕は反射的に口を開いていた。


「何言ってるの? 僕は……」



最初からあなたなんて、すきじゃない。



そう続く筈だった声は、けれど音にならなかった。
彼の、手が。
僕の右肩と左腕を掴んで、引き寄せたからだ。



きつく抱き竦められて、顎を持ち上げられる。
薄く隙間の空いた唇同士が重なって、躊躇いも無く咽喉の奥まで舌が伸ばされた。

「……ディー、……」

呼ぼうとした名前は、声を出す為に動かした舌ごと押し返された。
口腔に含まされた柔らかく濡れたものは、さっきより、もっともっと、ずっと甘い。

僕の舌は、ほんの少し前に飲んだばかりのショコラショーの、滑らかにとろけた感触を覚えていて。……無意識の内に、彼の舌と口腔に残る甘さを欲しがり、もっと、とせがむみたいに動いていた。

いつの間にか僕の口の中から彼の舌は退いていて、逆に僕の舌が、彼を追うように伸びて相手の口腔の中に入り込み、濡れた音を立てている。

「ァ……、」

舌を吸われ、呼吸すらままならなくて、動物の啼き声みたいな声が、僕の咽喉から漏れた。
ちゅくちゅくと甘噛みされた肉は感覚を無くしかけて覚束なく、ただ、擦れる粘膜から伝わる甘い匂いだけが鮮明だった。



「オレは、お前にずっと会いたかった」



二人分の唾液で濡れた僕の唇を緩く甘く噛みながら、彼はゆっくりと言葉を続ける。



「恭弥のこと、ずっと考えてた」



後頭部に添えられた彼の掌が、僕の髪を緩く掴む。
くん、と仰のかされた首につれて唇が薄く開き、覗いた舌を彼のそれで弄るみたいに舐められた。



「恭弥」



もう一度改めて名前を呼ばれて、その声が鼓膜に届いた途端、僕の中で、何かがどろりと溶け始める。放り出していた手で彼の服を掴むと、僕の唇から頬、眦を通った彼の唇が、瞼の上で止まった。
掴まれていた髪を撫でられて、瞼から離れたキスが、僕の髪に落とされる。


……それはもう、直感みたいなもの、だったのかもしれない。


唇の戒めの外された目を、それでも僕は、開けずにいた。
なんとなく、今の彼は僕に、顔を……表情を、見られたくないんじゃないかと思った。



ぎゅう、と抱き締められて、身体中苦しくて、そして酷く甘い。甘苦しい。



抱き締められた姿勢のまま、僕は、彼の耳元に唇を寄せた。
彼の手が、僕の背を撫でる。



普段の彼なら、決して誰にも見せようとしない、悟らせようともしない胸の奥に抱え込んだ、重い塊。
それが今、有り得ない位の近くに、僕の手が触れてしまいそうな程の近くに、無防備に透けて見えている。

僕は、彼の背に回した指先に力を篭めて、ゆっくりと口を開いた。



「……僕も」



負けてあげても、いいのかもしれないと、思った。

僕の中で、どろどろに溶けて溢れ出した正体の知れない甘苦しい気持ち。
それに今だけは、この瞬間だけは、負けてあげても良いような気がした。



彼が聞きたがっているかもしれないことばを。



「僕も……、あなたに、会いたかった」



……今なら、今だけなら、あげてもいいと思わされた。


最後の音が零れた瞬間、僕のついた吐息は酷く甘くて。




壊れる位に抱き締められた身体の痛みで、気がくるいそうだと、僕は思った。









>>fin.


いつもご愛顧ありがとうございますvv 今後も精進いたしますvv
 
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