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降水確率、九割九分九厘
written by Miyabi KAWAMURA
2007/06/24






 普段、恭弥の様子を好きなだけ観察出来る機会など、そう多くは無い。



応接室に辿り着くなり、殆ど意識を失う様に寝入ってしまったオレが、まさかこんな短い時間で目を覚ましているとは思っていないんだろう。恭弥は、自分をじっと見ている相手の気配に気付かないまま、机の上に広げた書類に黙々と目を通している。


恭弥らしくない、信じられないくらいの無防備。


眠っている(と、そう恭弥的には思い込んでいる)オレの横で、彼は何の構えも無い、素の表情を晒していた。




 周囲から最強、凶暴等と称されることが常な恭弥だが、黙って静かにしているときは意外と年相応の幼さが垣間見えるのだということをオレは知っていた。けれどそんな顔を実際いつ目に出来るのかといえば、それは恭弥の寝顔を見るときくらいで、意識の有る……要するに起きている間の恭弥はそれこそ野生動物みたいに感覚の鋭い奴だから、たとえ互いに触れ合うような関係になったとはいっても、オレの前でもそう簡単に、無防備な表情を覗かせたりはしないのだ。なのに、その恭弥が。無防備どころか、オレに見られている、ということにすら、今、気付かずにいる。


本当なら。
オレが今ここで第一にすべきは、「黙って恭弥を見詰めてる」なんて事じゃない。


さっさと声をかけるか何かして、他人が、いくら同盟関係にあるとはいえ、他ファミリーのボスという純然たる他人がいる横で、一瞬でも油断を見せることがどれだけ危険で迂闊なことであるのか、伝えてやるべきなのだ。それが一時でも恭弥の家庭教師として教育を任されたオレが負うべき責任でもある。……けれど。そんなことは全部抜きにして、今オレはこの僅かな時間を少しでも引き伸ばそうと半分息を殺すみたいにしてソファの上に転がっている。


黒い髪、黒い目。得物を振るう腕も肩も、こうして少し離れたところから見てみれば、未だ頼りなく細いものであることに改めて気付かされる。

恭弥を形作るその全部がオレは好きで、ここまで自分の思いが深くなってしまっていることがいっそ信じられないような気分になってくる。



伏し目がちになった薄い瞼のあたり。尖った顎。そこから続く頬の線が、実は意外な程柔らかいこと。



実際に何度も指で触れ口付けたのだから、その感触はオレの身体に完全に記憶として残っていて、こうして見詰めているだけでも、思い出し辿ることが出来る。
何も気付かず、ただ静かに仕事をこなしている恭弥には悪いかもしれないが、オレと戦っているときとも、身体を触れ合わせているときとも違う恭弥の表情はひどく新鮮で、いくら見ていたって飽きるもんじゃない。飽きる訳が無い。否、飽きるどころか。


ただ愛しいと、大切だと思うレベルを越えた馬鹿みたいなことすらも。
恭弥を見詰めているうちに、ざわりと脳味噌の奥に浮かんでくる気すら、するのだ。




なあ、恭弥。


お前を閉じ込めたい。
逃がさない。
オレの傍にいつも置いておきたい。
戦うのも傷付けるのも全部オレだけにして他の奴には関わらせたくない。


そう言われたら、怒る? それとも困る?
下らないこと言うなと問答無用でオレに殴りかかってくるだろうか。それとも無視か。


恭弥のことを知ったつもりでいても、オレの頭の中の架空の問い掛けに、オレの頭の中の架空の恭弥がどう答えるか、という一つのことすら、明確に予測するのは難しくて。



口付けても抱いても何度好きだと伝えても、無くならない隔たり、埋まらない距離。
互いの立場や年齢や、どうしようもなく在り続ける壁。そもそも他人同士なのだから完全に繋がることなど出来なくて、そんなこと頭では解っているのに、でも、もどかしい。

悲しいとか苛立つとか、そんなんじゃない、ただ、もどかしいんだ。





……そのとき。





ぽつん、と小さな雨粒が、恭弥の背後のガラス窓を打った。


改めて見遣れば、いつの間にか空はすっかり灰色の雲に覆われている。
水分を限界まで蓄えた雲が、我慢し切れなくて零した雨粒。ぽつ、ぽつ、ぽつ、と、音も無く溢れ始めたそれに、ガラス窓に背を向けて座っている恭弥は未だ気付いていない。




オレは、自分の思いつきに、ひそかに苦笑した。




ああ、これが「答え」だ。




オレの思いの丈を全て告げたら、きっと恭弥はこんな風に、静かに泣く。

決して他人に自分の泣き顔など見せる奴じゃないから、涙は零さず、それに表情さえ変えずに、もしかしたら恭弥本人ですら自分の心に気付けないまま、静かに泣くに違いない。

オレは恭弥に、そんな思いをさせたい訳じゃない。けれど……。




「恭弥、雨降ってきた」




殆ど衝動みたいに口を突いて出た言葉を、オレは止めることが出来なかった。




恭弥にそんな悲しい顔をさせたい訳じゃない。

けれど、オレといるときにだけ、それこそ自分自身ですら気付けないほど無防備に変わってしまう「今の」恭弥が浮かべる表情の、全てを見たいし全てが欲しい。


その誘惑にはどうしても抗えなかった。





オレの心の中の非道な我儘を知らない恭弥が、少しだけオレの方を見る。

窓を閉めて、と促がされ、オレはゆっくりと窓辺に向かった。
濃灰色の雲を見上げる。雨粒が頬に辺り、ひそかな冷たさが肌に染みる。





何があっても泣かない恭弥の代わりに、雲が泣いてる様に見えて。





オレの胸はキシリと痛んで、けれど締め切ったガラス一枚で、躊躇いを全部断ち切った。







>>fin.



 
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