告解
written by Miyabi KAWAMURA
2007/08/04







 初めて相手の顔をみたとき、人形みたいだと思った。


黒い髪と、黒い目。
オレの周り……イタリア人の中にも勿論、黒い髪と目をした人間は沢山いるが、その子供みたいな、見るからに柔らかで艶のあるそれを持ってるやつには、それまで会ったことがなかった。

オレより八つ年下ということは、十歳。

けれど、とにかく細くて小さい身体をした相手は、柔らかそうな頬の線をしているせいか年齢よりも幼く見えて、ただその目は、逆の意味で年不相応な冷たさと無表情を湛えて、オレを見据えていた。

「ボスがこの歳のときは、ホントに赤ん坊みたいなもんだったがな」

苦笑交じりにそう言ったのは、この子供を日本から連れてきたロマーリオだった。

「ここに着くまでの間、泣いたり喚いたりは一度もしなかったぜ?」

大したガキだ、と褒める言葉を並べながら、しかし何故か苦い溜息をついた腹心の顔をオレが見遣ると、小声で耳打ちをされた。……オレ達の前に立っている子供の耳に届かない程の小声で。更に、万が一聞かれてしまった場合を考慮してか、選ばれた言語はイタリア語だった。

その、妙に慎重なロマーリオの行動を訝しく思いつつ、けれど告げられた言葉の内容を理解して、オレは彼の配慮に感謝しつつも、きつく奥歯を噛み締めた。


 「……後は任せた、ボス」

子供の横を通り過ぎる間際、じゃあな、とひとこと声を掛けると、ロマーリオは出て行った。
扉が閉まり、部屋にはオレと子供の、二人だけが残される。
養い子として引き取った子供を迎えたとき、最初に何をどう話し掛けるか、考えてなかった訳じゃない。けれどいざこうして向かい合うと、良い言葉はなかなか浮かばず、沈黙だけが続いてしまった。

黙り込み自分を見下ろす、金色の髪をした見知らぬ外国人の顔を、同じくただ黙って見つめる子供。

ここはどこ、あなたは誰。
そんな古い映画の台詞めいたことでもいいから、一言声を出してくれさえすれば楽なのにとすら思い、オレが沈黙に降参しかけたそのとき、無意識の内にだろうが、子供が僅かに黒い髪を揺らして、首を傾げた。

動きにつれて、黒い目がオレを見上げる角度が、少しだけ変わる。

その瞬間、綺麗ではあっても無表情で、作り物にしか見えていなかった黒い目が、驚くほど大きく印象を変えた。


突然、故国から連れ出されたことに対する疑問。
今、自分がいる場所はどこなのか。そして目の前の相手は何なのか。


様々な感情が一緒くたになったような色が相手の目の中にはあって、今この瞬間、信じられない位に重くて多くのことを、この子供が一人で抱え込もうとしていることに、オレは気付かされた。




「……キョウヤ、っていうんだよな?」


お前の名前。

二人きりの部屋に満ちかけていた沈黙を破り、日本語で話しかけると、子供はゆっくりと二度、瞬きをした。眦が少しつり上がった、印象的な雰囲気の目がオレの目を見たあと伏せられ、頷く仕草がそれに続く。


「オレは、ディーノだ」


名を告げて、そしてほんの数歩の距離をゆっくりと詰めていきながら、オレはもしかしたら相手が逃げ出すんじゃないかと危惧していた。……何故なら、此処に着くまでの間、一度も泣きもしなかったという子供は、本当はこのとき、間違いなく傷付いていた筈だから。

伸ばした手が届く近さまで来たときに、オレは自分がこの後どう動くべきか、自然と理解していた。
触れた肩を強引に引き寄せるのは絶対に駄目だ。腕を回し、壊れ物を包む様に抱き締めなければいけなかった。


「これから、よろしくな」


キョウヤ、ともう一度名前を呼んでも声が返ってくることは無かったが、それでも構わなかった。

掌で感じた子供の体温は高く、幼さが直に伝わる。
腕の中で強張った身体が力を抜いてくれるのには幾らかの時間がかかって、けれどあのときは、それだけで十分だった。







 吸い込んだ空気で咽喉がひりつき、軽く咳き込む。
その衝撃で身体が揺れて、オレは閉じていた目を開いた。……視界に入った天井を見、自分の寝室だと思った瞬間、ぐらりと景色が回る。

「……ッ」

もう一度目を閉じそれからゆっくりと開くと、今度はかろうじて大丈夫だった。息を整え、意識して深呼吸を繰り返す。本調子には程遠い呼吸器が枯れた音を立てるが、それでも大分楽になる。

帰国するまで続いていた頭痛は殆ど消えていて、倒れる前に飲んだ薬が順調に効いているらしいことが知れる。首元に感じる違和感の正体は、緩め引っ掛けたままにしているネクタイせいだと気付き、言うことをきかない指を動かしてどうにか外した。しかしそれだけでも、熱にやられた身体にとっては大仕事だったらしい。

ベッドに預けた身体全部が、底無し沼に沈んでいくような錯覚。

頭の奥の方にこびりついている鈍痛と、思考を鈍らせる倦怠感をどうにかしたくて、オレは目の端に映った水差しに手を伸ばした。が、そのとき。


指の先に。
そして、掌に。


……何か柔らかで温かい、けれどそれだけではない感触が残っているような気がして、オレは眉を顰めた。軋む関節を無理矢理動かし、目の前に翳した手をぼんやりと見つめる。緩く指を握り、少しずつ記憶を巻き戻していくと、先刻まで見ていた夢の内容が思い出されてきた。


ああ、そうだ、と自答する。
目が覚める直前に見ていた夢は、初めて恭弥に会ったときのこと、だった。


もう五年も前のことなのに、最近妙に思い出すことが増えたあの日のこと。
……夢に見る理由は、たった一つだ。

あの日から始まった、オレ達の絶対的な関係。血の繋がりの無い、けれど親子という関係を恭弥と作ることを決めたのはオレ自身で、今更それを覆せる訳が無い。……訳が無いのに、けれど今、オレの中では身勝手な我儘が、諦めきれず暴れている。

触れたい、欲しい。
声も言葉も表情も、どんなことでも全て欲しい。

この貪欲な我儘を戒める為に、オレの頭の中ではあの日のことが――恭弥を守ろうと決めたときのことが、繰り返されているんだろう。否、そんなことを繰り返さずとも、もうオレには、恭弥に触れる資格なんて、とっくに残されてはいないんだ。



そう、オレは本当は。
既に一度、酷く恭弥を傷つけてしまっている。



 五年前、恭弥をキャバッローネに迎えることに、反対した人間は多かった。
先代の頃からファミリーの中枢を支えてくれていた部下の忘れ形見とはいっても、彼と恭弥に血の繋がりは無い。しかも彼が日本で不本意な死を遂げ身辺の情報が洗い出されるまで、恭弥と、そしてその母親の存在は、ファミリーの誰にも知らされていなかったからだ。

今のオレには、その気持ちが解らないでもない。

彼はただ、巻き込みたくなかっただけなのかもしれない。
自分の素性を隠したまま、日本で見つけ、情を掛けた女を守って、傍で安らぎたかっただけなのかもしれない。いつ死ぬかも、人を殺し手を汚さなければならないかも定かではない生き方をしている中で、どんな形でもいいから、自分の傍に「きれいなもの」を置いて守りたかっただけなのかもしれない。
その欲求はおそらく皆が持つもので、けれど見つけるには難いもので。……しかし彼は、幸運にも、それを見つけてしまった。

見つけてしまったことは悪くない。……ただ、隠しおおせてしまったことが間違いだった。
隠し過ぎてしまったから、残された人間は、キャバッローネの人間達は、疑わざるを得なくなってしまった。

裏の社会と繋がりのない、あまりにまっさらな素性の女と、そして子供。

オレたちは逆にその「疑いようの無さ」を警戒し、確かめざるを得なかった。女や子供を鉄砲玉に、そして罠の餌に使う方法は、昔から幾らでも行われてきた策だからだ。

そして、紆余曲折を経て。
子供だけをイタリアへ引き取ることを決めたとき、その子供に何かが「仕掛けられていないか」を調べることは、キャバッローネの当主として、しなければならない最低限の措置だった。


イタリアに着き、オレの目の前に連れて来られるまで、恭弥は泣きもしなかったという。


……けれどあのとき間違いなく、恭弥は酷く傷ついていた筈だった。
子供をファミリー間の抗争の武器に使う一番簡単な方法。それは、身体の中に罠を仕掛けるやり方だ。胃袋の中、そして直腸の中。場所なんてどこでもいい、外から見えない、見付け辛い場所に火薬を仕込んで、標的の前で爆発させる卑怯な方法。

あのとき、恭弥を目の前にして、ロマーリオからオレが告げられたのは、短い言葉の羅列だった。


『処置は済んでる』
『腹の中は、空だ』


この簡単な言葉を導くために、目の前の子供が何をされたのか、オレは知っていた。
知っていて、指示を出したのはオレだった。


怖くなかった筈が無い。いきなり連れ出され、見知らぬ大人に囲まれ身体の中を探られて、恐怖を感じない人間がいる訳がない。
吐瀉物で窒息させないように、処置するときは意識を保たせたままでいさせなければならないのも常識だ。上と、そして下から器具を入れられて……強いられた行為で恭弥がどれだけ傷付いたのか。「想像もつかない」なんて言葉を、オレが使って良い訳が無い。


だからオレはあのときに決めてしまった。もう二度と恭弥を傷付けない、怖がらせない。


あのとき抱き締めた恭弥の身体の、幼さの残る細さ、体温の高さ。
それすら忘れずにいられれば、オレはずっと恭弥を守っていけると思っていて、それなのに。



『別に、あなたが来るのを待ってた訳じゃない』


『あなたが刺されたとか、撃たれたとか……』



つい先刻、恭弥と交わした言葉、そして抱き締めた身体。
そのとき感じた「今の」恭弥の感触が、オレの指と掌に残っていた、五年前の恭弥の壊れ物みたいな温かさの記憶と、そして今まで頑なに押し殺してきた感情への戒めを掻き消し、塗り替えていく。



オレは、自分の指と掌を見、そして自答した。



その通り、だ。
オレは、恭弥が欲しい。



傷付けても怖がらせても、それでもオレは本当は恭弥が欲しい。



……五年前、あんなに酷く傷付けておきながら。



それでもオレは、自分の思いを傾ける先を、変えることが出来ずにいる。





>>fin.



 
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