雨、甘粒
written by Miyabi KAWAMURA
(2007/0715〜0829迄の拍手御礼文)
屋上で戦っているうちに、雨が降ってきた。
悪天候を全く意に介さず、戦いを続けようとした雲雀に向かって、ディーノは「休憩しようぜ」といって背を向けてしまう。……実戦ならば、相手の見せた隙を逃すことなど有り得ない雲雀だが、この金色の髪の、押し掛け家庭教師に対してだけは、別だった。
グチャグチャにしてやりたい。
けれどそれは、相手の本気を引き出し、戦った上でのことでなければつまらないし、意味も無い。
屋上から校舎内に戻る為の鉄扉を開くと、そこは狭い踊り場になっている。
雨が上がれば、戦いの続きだ。応接室まで戻る必要は無いと判断したのか、ディーノはそこで足を止めた。
「なあ」
開け放したままの扉の前に立ち、雨雲で暗く覆われた空と降りしきる雨粒を見上げていた雲雀に向かって、ディーノが声をかけた。
「恭弥。キョーヤ」
「……何?」
無視していると際限なく名を呼ばれそうで、その煩わしさよりも答える方がマシだと判断した雲雀は口を開いた。
「顔、痛くねぇ?」
言われた意味が解らず黙っていると、壁に凭れて立っていたディーノが苦笑して近付いてくる。
「左頬だよ」
ほら、とディーノの指が、雲雀の頬に伸びた。
……すこし前に終わったボンゴレリングとかいうものを巡る戦いの中、共に過ごした十日間の内に、雲雀は(不本意ながら)ディーノの、他人への接触過多ともとれる性格に慣れてしまっていた。……あのときも、ディーノは何かにつけて、雲雀の世話をやきたがったのだ。
それはもしかしたら「性格」というよりも、幼い頃から大勢の年長者に囲まれ育ってきたが故に培われた、ディーノの「性質」なのかもしれない。
どちらにしろ普段の雲雀からすれば、そんな群れなす生き物の特性を持った相手なぞ、自分の視界に入らなくとも、存在自体赦せないのだが、ディーノはそれを補って余る程に強かった。結果、雲雀は生まれて初めて、我慢したのだ。
他人に、必要以上に構われることを。
「深くはねーが……しばらく、痕になるかもな」
見せられた指先には、確かに赤い色が滲んでいた。
「別に。どうでもいい」
ふい、と赤い色から目を逸らし、雲雀は言い捨てた。
顔に怪我をしようが痕になろうが、女子でもあるまいし気にすることでもないだろう。
「ま、恭弥は男だしな」
怪我も勲章の内か、とふざけた様に言いながら、しかしやはり気になるのか、ディーノはもう一度、恭弥、と雲雀の名を呼んだ。
……多少の譲渡ならば考えてやっても良いが、限界以上に煩いのは赦せない。
不機嫌を黒い目に滲ませ、ディーノの方を見遣った雲雀は、しかし不意に頬に触れた感触に、動きを止めた。
雲雀の両肩は、いつの間にかディーノに掴まれていた。
節ばった長い指と、大きな掌。
自分の肩が完全にディーノの掌中に包まれてしまっていることに気付き、改めて相手との体格の差を認識させられる。
「……血、まだ出てる。ちゃんと消毒しねーと」
頬に唇を寄せたまま囁かれたせいで、声と吐息が一緒になって雲雀の鼓膜を揺らす。応急処置のつもりなら必要無い、と告げようとして、けれど雲雀の声帯は何故か、持ち主の意思に反して痺れたように動かなかった。
傷口の上をなぞられ生まれる、熱いとも痛いとも取れるぴりぴりとした刺激。
息を詰め、僅かに身体を揺らすと、それに気付いたディーノの指が雲雀の肩から離れた。
「……、」
耳慣れない言葉が、ディーノの唇から紡がれる。
相手の母国語だ、と雲雀の脳が判断するより早く、添えられた指で顎を持ち上げられていた。
自分の唇に押し当てられた、温かいもの。
乾いた感触のそれが何か理解出来ず、咄嗟に閉じていた瞼を開けた雲雀の視界に映ったのは、鳶色の色彩だった。
目を見開いたままでいると、上唇と下唇の境目を、濡れたもので探られる。
歯列まで達したそれが、隙間をこじ開け口の中に滑り込んできても、雲雀は抵抗しなかった。否、出来なかった。
口腔の隅々までを、柔らかで熱いものが撫でていく。
雲雀の舌が咽喉奥で強張っていると、後頭部に回されていた掌で、ぐ、と身体ごと引き寄せられた。
「……っ」
深く差し込まれ、ゆっくりと引き抜かれる。
ディーノが顔の角度を変える度、雲雀の頭蓋骨の内側に、濡れた音が響いた。
「ん、ぅ……ッ……」
舌の裏に溜まった唾液を、息継ぎの拍子に飲み下してしまう。嚥下したそれが咽喉を滑り落ちていくとき、甘い香りが、強く薫った。
濡れそぼり、痺れきった唇を甘くきつく噛まれ、また宥めるみたいに舐める仕草を繰り返される。離れていくディーノの顔をぼんやりと見詰めていると、両腕で、強く抱き締められた。
「恭弥」
名前を、幾度も幾度も、呼ばれる。
その合間に囁かれる、異国の言葉の意味は雲雀には分からない。……けれど。
先刻飲み込まされた、ディーノの纏うトワレと同じ甘い香り。
そして自分の奥の方で生まれた、熱の固まりみたいな正体の知れない感情は、降り注ぐ雨に身体を晒しびしょぬれになったとしても、もう二度と、洗い流せないもののような気がした。
>>fin.
これからも精進します…!
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