vacant sanctuary
written by Miyabi KAWAMURA
2007/0905











「……そこで何してるの」





それを言う為だけに、雲雀は十二秒の時間と、三回の呼吸を必要とした。







 彼が日本を訪れる理由。
それが、決して自分に会う為だけだとは、雲雀も思ってはいない。むしろ、それ以外の、きな臭く物騒な用件の方こそが、本当は最たる理由なのだろう、と、そう理解している。ただそれでも、自分がどう考えていようと、相手の中では「雲雀に会う」ということが、非常に多くの意味を持ってることらしいということも同時に、雲雀は理解しているつもりでいる。




会いたかった




必ずこう告げて、彼は雲雀の元を訪れる。

それは並盛中に在籍する彼の弟弟子に会う前だったり、会った後だったりとまちまちではあるが、しかしそれでも、彼は必ず雲雀と言葉を交わすために、そしてそれ以外のことをするために、応接室に足を運んでくるのだ。しかし、今日は。


既に見慣れた黒塗りの車。
それが並盛中の正門前に横付けされたのは、もう一時間以上も前のことだというのに、一向に彼は姿を見せなかった。








「そこで、何してるの」




繰り返し同じ言葉が口をついて出たのは、問い質す為ではなくむしろ、時間稼ぎに近かった。

自分の声が掠れも震えもしなかったことを、頭の片隅で他人事の様に賞賛しながら、雲雀は目の前の相手から、目を離せずにいた。


自分の声に振り返った相手の後ろには、屋上のフェンス越しに、並盛の街並みが広がっている。


常と変わらない街並み、遠くに在る高層ビル群。
青い空には、雲はひとつも無い。――晴れた日ほど、上空の風が強いから雲が無くなるんだ、と、なにかの会話の延長に雲雀に言ったのは彼で、それも確か、この屋上でのことだった様な気がする。

そんな、最早雲雀の中に於いて日常となった……否、日常の中の非日常、といった方が正しいのかもしれないが、屋上、そこから見える街並み、そしてそこにいる相手、という「ひとかたまりの風景」の中に、今。


不可思議な異分子がひとつ、紛れ込んでいた。




「……恭弥?」




その異分子に名を呼ばれ、しかし違和感を感じなかったこと自体に、雲雀は違和感を感じた。


足が動かない。違う、動けない。


何か答えなければならない、そう思うのに、しかし何も答えてはいけないとも思わされた。
脳が瞬間的に下した、相反する判断。
そのどちらを選ぶべきか、雲雀自身が戸惑っている内に、相手はゆっくりと近付いて来る。



間近に見下ろされ、見上げた。



「恭弥」



蜜色に近い金色の髪、鳶色の目。

その両方共が雲雀の知っている彼に酷く良く似ていて、雲雀の記憶の中の相手に重なる。……重なるのにけれど、違う。


……何かが、違うのだ。




口を閉ざし見詰めていると、頬を、掌で包まれた。


大きな掌。節張った長い指。
雲雀の髪に触れ、梳く様に動き撫でる仕草。

びくりと反応した雲雀の指が、動いた。

得物のトンファーを掴もうとしてしかし、その前に相手の指が雲雀のそれに絡み抗いを封じる。


黒い目に、尖った戦意が浮かんだ。


咄嗟に身を捻り、脚に力を篭め相手との間合いを取ろうとした雲雀の動きは本能に近いもので、しかし、それすらも無駄だった。

掴まれた手首を引かれ、離れる為に動いた身体を腰に回された腕で抱き寄せられた。――雲雀が何を考え、どう動くのか。どうやら相手はそれを完全に把握しているらしい。抵抗の為にした全ての動作を逆手に取られ、結果、余計逃げられない体勢に持っていかれて、危険だ、と感じたときには、もう手遅れだった。


「ッ……」


抱き締められ、身体が軋む。
痺れる様な息苦しさと、じわりと湧き上がる甘い苦味。……その感覚は、いつも彼にそうされるときに感じるものに酷似していて、雲雀は目を見開いた。



「……会いたかった」



髪に、吐息が掛かる。
いつも言われるものと、同じ言葉。
けれどひたすらに甘い筈のその言葉は、雲雀の鼓膜を揺らすと同時に何故か、ずきりと心臓に鈍い痛みをもたらした。


相手の着ているスーツの胸元に頬が触れる。
息をついた雲雀の中に、良く知っている匂いと、そして肺を内側から錆びた金属で抉る様な、きつい火薬の残り香が流れ込んだ。
否、それは残り香なんて生易しいものではない。
もっとずっと濃い、それこそたった今まで、身をその中に浸していたかの様な、濃く重い匂い。……焼け焦げた廃墟を思わせる昏い匂いが、雲雀の中をひたりと滑り落ち内側から満たそうとする。


息を詰め、自分を抱く腕から逃れようとした雲雀を、けれど相手は逃がしてはくれなかった。


離せ、と声にする前に。
更に強く抱き寄せられて、雲雀の背が反った。




「恭弥」
「や、だ……っ」




身じろいでも拘束は解けず、雲雀は相手の背を拳で叩き、爪を立てた。……こんな子供じみた拙い抵抗は、彼相手にも一度もしたことはない。けれど今は、そんなことには構っていられなかった。


「……ッ、離……!」
「離さない」


髪に寄せられたままの唇から零れた声音に、雲雀の動きが止まる。

先刻感じた、鈍い痛み。――その正体に、不意に気付いてしまった所為、だった。

静かで深い声に満ちる艶。
けれどその中には、雲雀の知る彼の声には無いものが、満ちていた。



「……お前は、オレが知ってるお前じゃない」



身体を強張らせたままの雲雀の耳に、わけの解らない言葉が雪崩れこむ。


「簡単なきっかけで、世界は簡単に枝分かれする。……オレも、お前が知ってるオレじゃ、ないんだ」
「……っ……」
「意味が解らないよな。――解らない方がいいんだ、こんなことは」


自嘲めいた苦笑の後、恭弥、と、殆ど吐息の様な声で呼ばれた。




「離さない。……離したく、なかった」




自分を包む腕の、痛い位に強い力。


「なに、言ってるの……」


それに、雲雀の黒い目が揺れた。


「お前に言っても、どうしようもない事だ。……それでも、どうしても言いたかった」




意味の通じないままの告白。

相手の言っている事が、雲雀には全く理解出来ない。けれど、それ以上問い質すことは、出来なかった。


「……あなた……」


乾ききった雲雀の咽喉から、声が零れた。
しかし、誰、とは聞けなかった。聞くまでもなかった。



彼は、ディーノ、だ。間違いなく、ディーノなのだ。



確かに、いつもの彼とは違う。
金色の髪の長さも、鳶色に透けて見える目も、いつもとどこかが、確実に違う。

けれどこれは彼だ、と。
雲雀は頭より先に、抱き竦められ触れ合った体温から直感させられていた。



どく、どく、と心臓が鳴って痛い。



こんなにも近くにいるのに、いつも通り甘くて苦しいのに、けれど酷く、心臓が痛い。
髪を幾度も撫でられて、その感触に、雲雀は表情を顰めた。



……涙が、出そうだった。



どれだけ戦いで怪我を負おうが、それ以外でも、痛みで泣いたことなど今までに一度も無かったのに、けれど優しいだけの筈の愛撫のせいで、涙が零れそうになる。


先刻、抗い叩いた背に、雲雀は指先で触れた。


いつもそうしている様に――雲雀の知っている、いつもの彼にそうする様に力を篭めると、甘い、けれど痛い程に苦しい位の力が、雲雀を包む腕に篭った。



「もう少しだけ……」



このまま、と告げられ、雲雀は無言のまま頷いた。
声を出したら多分、心臓の痛みを我慢出来なくなると思った。




「……会いたかった」




もう、頷くことも出来なかった。



確かな理由が在る訳でもない。
彼の言うこと全てを、理解出来た訳でもない。けれど、今の。

自分を抱き締める今の彼には、絶対に。



泣き顔だけは絶対に見せてはいけない、という気持ちだけが、雲雀の中に滲むように生まれていた。








>>fin.




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