琥珀時間
written by Miyabi KAWAMURA
2008/0201
Happy birthday dear Dino.








 もう会うことはないと思っていた、相手だった。

けれど同時に、彼がここに現れることを、雲雀は予感してもいた。




 窓も、そして扉も、かたく鍵を閉ざし外界の誰の声も聞こえなくした部屋の中で抱き合う。脱ぎ捨てた衣服が床に散らばり、肌を隠す布を丁寧に剥ぐ時間すら厭わしくなって千切り、破ってしまった布の残骸は、シーツの上でわだかまっている。

恭弥、恭弥。……恭弥。

先刻から、ディーノが言葉にしているのは、雲雀の名前だけだ。
長い指と大きな掌が、雲雀の身体を隅々まで撫で、探っていく。ディーノの肌とは違う色味の白さをもった雲雀の身体。それを間近に見詰めながら、触れるだけでは飽き足らないのか、唇と舌も使って、ディーノは繰り返し愛撫することを続けていた。

いままで、こんな風に、雲雀とディーノが触れ合ったことは一度も無い。

数年前に行われた「修行」の合間、治療のために手を取られたことがある位で、今のように、唇を重ね、吐息を飲み込み、そして唾液と互いの身体に薄らと浮いた汗や、固くなり熟れた場所から滲み溢れた体液を肌にまみれさせるような深い接触は、一度たりとも。


「――ッ、ぅ、あ……っ」


一糸纏わぬ姿のまま、脚を広げ、全てを相手にさらけ出すことの、快楽。


羞恥とそれ以外の不確かな感情にずきりと胸を痛ませたまま、しかし雲雀は、両脚の間に迎え入れたディーノの身体に、自身を擦り付けた。

「ん、んん……っ、ぁ」

肉塊同士がぶつかり、粘液が混ざる。
くちゅ、くちゅ、と、そう大きくもない筈の水音すら耳に付く。下肢に広がる濡れたぬるい感触に、雲雀は首を振って耐えた。押し殺しきれない吐息と呻きを、ディーノの口腔に口移しにして、喘ぐ。きつく絡んだ舌を噛み、吸う。……こんなことを雲雀がするのは、今日が生まれて初めてだ。しかし誰に教わったわけでもないのに、雲雀の身体はディーノを欲しがって、もっと、もっと、とねだるように動く。

もどかしくて、気持ちが良い。

身体全部が信じられない位に敏感になって、ディーノの爪の先が少し肌を擦っただけでも、雲雀は咽喉を震わせて、啼いた。


――恭弥。


また、名前が呼ばれた。
乞われるままに腕を伸ばし、ディーノの首に両腕を絡め引き寄せる。これ以上は無いという程に近付いた吐息。全身で受け止めた体温と、心地良い重み、肺を満たす甘いトワレの香り。――それまで、ただ強く、誰よりも強く、戦うためだけに在れば良かった雲雀の身体は、ディーノの愛撫によって溶かされ、快感にとろけるだけの身体に、変えられてしまった。


……そのことに対する躊躇いも、何もかも。
自分達を包むこの濃密な、しかしどこか壊れ物じみた危うい時間を邪魔する思考の全部を、雲雀は意識の外に追いやった。

そんな、もの。
いまはいらない。不要だと、無意識の何かが雲雀に教えている。






 何度目かの射精を向かえ、互いの吐き出したもので、もう肌はドロドロだった。

雲雀の腹部に飛び散った白濁を舐めとり清めたディーノの舌が、下肢を辿り始める。腰骨を噛まれ、噛み痕を残された予感に、雲雀は腰を捩って耐えた。そんなところより、もっと。もっと弄って欲しいところがあると、金色の髪を掴む。


――熱く、濡れた粘膜に、包まれた。


「――ッ!!!」


信じられない位の嬌声が、明かりを落とした部屋の中に響く。


「っ、……ふ、ぅ、……ァ、んんっ!」


きつく食まれ、甘く扱かれ、びくびくと腰が跳ねる。
舌と唇と歯と、唾液と吐息。ディーノによって施される愛撫の全て。気が狂いそうになる。与えられる刺激に応えるように、雲雀は指に絡めた金色の髪を引いた。


もっと、奥まで飲み込んで欲しい。
ディーノの口の中の、もっと奥で。もっと。もっと舌で擦って、気持ちよくして欲しい。


雲雀の口から零れ始めた、淫らな、甘える言葉。
愛撫をねだる言葉の数々を、もう雲雀の耳は、殆ど拾っていない。否、自分で聞く必要はないのだ。届きさえすれば。ディーノに、届きさえすれば。

そうすれば、ディーノは。
数年前、雲雀の前に現れて、そして今日、雲雀の身体も心もその全てを甘いものに、愛撫を受け取りとろけるものに変えてしまった男は、望むものを与えてくれる筈だから。


「――ッ、……ァ」


嬲られ、愛されきった肉塊から、白濁が溢れ出る。


きつく閉じたままにしていた瞼を、雲雀は震わせながらゆっくりと開いた。……目の前には、鳶色の双眸。どうしようもない息苦しさに、雲雀の眦から、透明の雫が滑り落ちた。



「……恭弥」



頬を包まれ、口付けられる。
密着した身体から伝わる心臓の音。重なる唇と、ひたりと吸い付く皮膚と皮膚から感じる、熱。……もう、どうしようもない。唐突に理解して、雲雀は表情を歪めた。


……どうしようもない、くらいに。
いつの間にか、自分は。――この、目の前の、相手のことを。



その、とき。




「……恭弥、オレは」



お前のことが、ずっと。


胸の中に凝る、甘苦しい思考に雲雀が目を伏せたそのとき、まるでその心の内を読んだかのようにディーノが告げた言葉に、雲雀の黒い目が、揺れた。


――応えてしまいたかった。



僕も、と。
あなたのことだけ、多分僕も、ずっと、今まで、これからもずっと。



たった今、身体全部を愛され気付くことが出来たディーノへの思いを、全部、全部。
……応えて、しまえたのなら、どんなにか。けれど。




「……僕、は」




その、言葉の続き。
ディーノを拒絶するための、言葉。――言わなければならないそれをどうしても声にすることが出来ないまま、雲雀はもう一度、伸ばした両腕で、ディーノの首を掻き抱いた。


今日、このときに、この思いを叶えることはもう出来無いのだと、雲雀は知っていた。



……二月、四日。午前零時。



イタリアよりも、数時間早く新たな一日を迎えるこの国で。
時計の針は、既にその時刻を指していた。



キャバッローネの十代目が、偶然にも彼の生まれた日であるその日を選んで妻を迎えるということは、数ヶ月前から、周知の祝い事として知らされていたことだった。



もし今、ここで。
ディーノの思いが雲雀を捕らえ、雲雀の心がディーノに通じたとしても、でもそれでも、キャバッローネの長として、ディーノはイタリアに帰り彼の責務を果たすだろう。――異国で過ごした二人きりのこの時間は、その瞬間に消える。

否、消えるわけではない。
身体を重ねた事実も吐息を交わした愛撫の記憶も決して二人の間から消えるわけでなく、しかし、二人で迎えた「二月四日」は失われ、ディーノは花嫁の待つイタリアで、彼にとって二度目の「その日」を迎えることになる。そういうことだった。




「……愛してる、恭弥」




囁かれ、雲雀は首を振った。
汗に濡れた黒い髪がシーツを打つ。が、拒めるわけが無かった。
拒みたいなど欠片も思っていないのに、雲雀にディーノを、拒めるわけがなかった。


もしこの時間が、抱き締められ、身体を繋いだ時間が消えてしまうものだとしても。


けれどそれでも、ディーノによって雲雀の中に注がれた思いは、雲雀の中できっと永遠に残り甘い残香を零し続ける筈だった。



「ディーノ」



自分の声に滴る蜜のように甘い響きと、それからふと連想した物騒な思いつきに、こんなときだというのに、雲雀は笑いたい気分になった。



……いっそ、ディーノを、自分の中の蜜で包んで、固めてやろうか、と。


金色の髪の、この跳ね馬を。
抱き締めた腕で引き寄せ包んで、身体の一番奥深くに咥え込んだまま、そう、例えば。





琥珀に捕まり眠り続ける、古の、生き物のように。





>>fin.



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