あなたが好き
written by Miyabi KAWAMURA
2008/0222
「……悪かったな。待たせた」
部屋の空気を揺らした爆風の後、煙が薄れた先に現れたディーノを見て、ロマーリオは深く息を吐いた。
「いや。……時間通りだ、ボス」
「そうか」
手渡された銀色の、意匠を凝らした造りの銃を受け取って、ディーノは壁の時計を見遣った。――確かに、この銃を受け取ったときに制限時間≠ニして聞いた通りの時間が過ぎている。
『弾は一発です。――どう使うかは、キャバッローネ十代目の意思にお任せします』
そのときの会話を思い出して、ディーノは眉を寄せた。
入江正一。ミルフィオーレファミリーの擁する、科学者にして部隊長を務める青年は、己が作り出した兵器の恐ろしさを知った上で尚、それをディーノに手渡したのだ。
お伽話や伝説と同じレベルの信憑性で、ボヴィーノファミリーに伝えられていた十年バズーカと呼ばれる時間兵器を、より精密な、過去との入れ替わり時間の長い、実用性の高い兵器に改良し直したのが入江正一だった。
彼とそのボスである白蘭は、それを使って歴史の改変を繰り返し、今の世界を――ミルフィオーレを頂点とした、この世界を作り上げたのだろう。……だろう、というのは、それがあくまでディーノの推測に過ぎないからだ。
歴史を、過ぎ去るのみで巻き戻すことの叶わない筈の時間を書き換えるという、所業。
しかしそれは、企てた本人達にしか、確かめようが無いことだ。他の人間達は、自分達の生きている世界が誰かの手によって操られ、ときに掻き消され、その誰かの望む方向に向かって導かれていることにすら、気付くことは出来ない。
ディーノがその歴史改変の事実を知り得たのは、彼が白蘭や入江正一が知る以前に、十年バズーカの存在を知っていたからだ。……あるときを境に、世界はその秩序を急速に喪い、崩れていった。大ボンゴレの崩壊、巨大ファミリー同士の、意味の無い潰し合い。その、殆ど天災に近い位の出来事の連続に、ボンゴレ十代目――ディーノの弟弟子にあたる青年がまず気付き、そして最初に、その命を奪われた。
気をつけて下さい、と、彼はディーノに、言い残した。
危険なんです、あの方法は。許していいことじゃない。本当は、僕が止めなければならない筈だった。けれど、彼らは、その「決められた流れ」すら、変えてしまった。
……ボンゴレリングと、そして守護者を相次いで欠いていく中、何故かディーノだけは、書き換えられた時間の中で、生き残っていた。しかしそれは、やはり、仕組まれた計画の中の一部だったのだ。
『何度もシュミレートした結果です。あなたにしか、この役目を果たすことは出来ない』
ミルフィオーレが、否、白蘭が彼の目的を果たす為には、ボンゴレに繋がる全てのものを消さなければならないのだと、ディーノが交渉の席で言われたそのとき、既にキャバッローネ傘下のファミリーや、そして町の、直接マフィアとは関わりの無い住民達の全てもが、人質に取られていたのだ。
――飲まざるを得なかった要求を、しかし、ミルフィオーレは、「契約」と称した。
『ボンゴレの雲の守護者は、キャバッローネ十代目、あなたにしか倒せない』
……その結論を得る為に、何度自分達がシュミレートと呼ぶ歴史の改変を行ったかについて相手は何も言わず、けれど、代わりに差し出されたのが、この、銀色の銃――改良され、幾度もの、幾人もの運命を狂わせ崩してきた、この時間兵器である、銃だったのだ。
『あなたにとっては、辛い役目だ。それは知っている。だから、これはその代価です。……むしろ、キャバッローネへの信頼の証だと、思って貰ってもいい』
ディーノは、掌の中の冷たい金属の固まりを見た。
こんなものが、ただの銃にしか見えない道具が、世界を変えてしまった。
誰かに訴えたところで、信じるものはいないだろう。自分で体験しなければ、否、したところで、簡単には信じがたいことなのだ。……時間を越える、運命を変えるなどということは。
「――十年前のオレは、大人しくしてたか?」
「ん? ああ……それなりに、な」
自分が過去に、雲雀のもとに行っていた間、そういえば過去の自分がこの未来に来ていたことを思い出して、ディーノは表情を険しくした。
ロマーリオには、過去から来たディーノに、一切この時代の事情は告げるなと指示していた。万が一、過去の自分が何かに気付き過去で行動を起こそうものなら、キャバッローネの存在自体が消される♂ツ能性があったからだ。
「大人しく、か」
苦笑すると、ディーノは自分の手の甲を、見遣った。
そこには、鬱血した細い三日月型の、傷が付いている。これは、先刻――十年の時を隔てた時間をそう呼んでいいのかは解らないが、先刻、雲雀の立てた爪によって残された傷だった。……過去の世界に戻った自分は、雲雀の身体に残された情痕を見て、未来の自分が雲雀に何をしたのを理解するだろう。――ディーノの中では、既に新しい記憶が、作り出されている。十年前、雲雀に会いに行った並盛で、自分は何故か突然、未来に飛ばされたのだ。……行き着いた先、年を重ねた右腕と会い、どこか落ち着かない気分のまま時間を過ごし、そして。戻った世界では、雲雀が。
そのときのことを「思い出して」、ディーノは笑いたいような気分になった。
十年の時を経て得た答えは、残酷で単純だった。
あのとき、雲雀は。酷く傷付いた身体と、そして泣き腫らしたような赤い目をしたまま、しかし何も言わなかった。
未来の自分の代わりに謝り、抱き締めることしか出来なかったディーノに向けて、借りは十年後に返して貰うからいいと、自分がされたことを何一つ、言わなかったのだ。
『十年後の僕に、伝えて』
雲雀の声が耳に蘇り、ディーノは傷の残る手の甲を、強く掴んだ。――いない。雲雀は、もうこの時代には、いない。
『今だけは、きみの代わりをしてあげる。でも、この一度だけだ。……そう伝えて、僕に。絶対に』
――絶対に、と。
十年前の雲雀と、十年後の自分が交わした最後の約束すら叶えることは出来ず、けれどそれを知っていて、自分は雲雀を抱いたのだ。……代わり、なんかじゃなかった。自分にとって雲雀は、ただ一人の、大切な。
十五歳の初めて出会ったときの彼も、二十五歳の喪ったときの彼も。それぞれ違う存在な訳じゃない、ただ一人の、大切な、相手だったのに。……それでも。
暫しの沈黙の後、ディーノは一つ息を零すと、傍で控えていたロマーリオを呼んだ。
銀色の銃を渡し、誰の手にも、もうこれ以上誰の手にも渡らないように処分することを命じて、下がらせる。
過去への道は閉ざされて、もう二度と繋がることは無い。
誰もいなくなった部屋の中で、ディーノはそっと、雲雀の名前を呼んだ。――今までに何度も、数えることも出来ない位に呼んだこの名前も、これで呼ぶのは最期だ。
祈るような思いで唇に乗せ、音にする。
誰にも聞かせたくない。聞かれたくない。自分の中にだけこの名前が残れば、それでいいとすら思えた。
ディーノは、手の甲に残された傷に、唇を寄せた。
握り締めた掌に残る、温かで柔らかな熱の記憶と、そして、耳に残る声と、吐息の感触。
雲雀が自分に残した、あえかな感覚の、全て。
言葉でもない、形でもないその儚い愛しさを、ずっと、この掌の中に閉じ込めておきたいと。
独りきりで残された時間の中で、ディーノはそう、祈るように想った。
<終>
>>back
|