まだ知らない涙の色
written by Miyabi KAWAMURA(KiraKira★Lovers)
special thanks ! Aoi FUJISAKI(platinum spider)
2008/0412

22歳ディーノと15歳雲雀






 元々、オレは人と話をすることが嫌いじゃない。それに加えて、今日取材を受けたライターは、以前からの顔見知りだった。

 仕事上の付き合いだ、「気心の知れた」というまでの仲ではないにしろ、どうやらお互いの音楽の好みや、今まで聴いてきたものの端々に共通性を感じることが出来る相手との会話は弾んで、取材が終わる頃には、予定の時間を大きく越えてしまっていた。
このままスタジオに戻れば、膨大な量のマスタリング作業が待っている。
その前に少し気分を変えたくて、オレはインタビュー用に持ってきていたギターを掴むと、ブレイクエリアへ向かった。



 「息抜き」という意味の軽い呼び名が付けられているそこは、しかしシティホテルの一室のような、凝った内装の個室になっている。
ソファ、リクライニングチェア、テーブル。透かしの入った布張りのパーテーションで区切られた奥に、もうひとつソファ。冷蔵庫が置かれていないのは、必要以上のアルコールの持ち込みを防ぐためだろう。
 スタッフと兼用の休憩場所と違って、此処はスタジオを使うアーティスト専用の部屋なのだ。他の階に設けられている会議室のような味気ない造りの控え室と違い、落ち着いて過ごせるあたりは確かに魅力的で、しかし逆を返せば、「壁にぶち当たったときは、好きなだけ此処にこもって悩むように」と、あらかじめ釘を刺されている感じがしなくもない。……スタジオ主の思惑が本当はどこにあるのか、一度聞いてみたいところではある。




 軽くノックをしてからドアを開けたのは、殆ど無意識の動作だった。

今日、スタジオ入りしているメンバーは自分一人しかいない。
要するにこの部屋は、終日オレの貸切状態になっている。室内に他の人間がいる可能性はゼロ。――だからオレは、回したドアノブが思いのほか大きな音を立てたことに、さして気を払わなかったのだが。



「……っ、恭」



咄嗟に呼びかけた相手の名前を、オレは途中で飲み込んだ。
後ろ手に閉じかけていたドアを、今度こそ意識して静かに閉める。口を閉ざしたまま歩を進め、辿り着いたソファに凭れかけさせるようにしてギターを置いて(勿論、そのときも音を立てないように気を払った)、そこでようやく、オレは一つ、息をついた。


(どうして、恭弥が)


ヴォーカルの録りは、全部終わっている。
余程のことが無い限り、恭弥は『歌うこと』以外の作業に興味を示したりはしない。細々とした取材も全部片付けて、彼はほんの数日間の、短いながらも貴重なオフに入っている筈だった。それなのに。

(なんで。ここにいるんだ)

その理由を考えながら、ソファの上に横たわっている相手を見遣る。閉じられたままの瞳。ほんの僅かに瞼を震わせたものの、恭弥の目が覚める気配は無い。……どうやら、彼の安眠を護ることには成功したらしい。良かった。

革張りの大きな黒いソファの上で、眠る恭弥。
その身体は、改めて見れば如何にも細い。

彼の隣の、空いている場所にそっと腰を下ろす。しかしそれでも、恭弥は目を覚まさない。うたた寝と呼ぶには少しばかり深すぎる眠りに入ってるらしい様子が気になって、オレは寝息を零している相手の顔を見詰めた。



 いつ人が訪れるとも分からない場所で、無防備に寝入っている恭弥の姿を目にするのは、初めてだった。

移動で乗る車の中でも新幹線の中でも、席につくとすぐに目を閉じてしまうくせに、しかし天性の鋭敏すぎる聴覚が災いしてか、恭弥はいつも、少しまどろんでは目を覚まし、またまどろんでは目を覚ます、ということを繰り返しているだけなのだ。その姿を知っているからこそ、オレにとって今のこの事態は、非常に奇異なことに感じられた。

ドアをノックした音。
そして、回したドアノブが立てた音。

その二つの、彼にとっては完全に邪魔でしかない筈の音を耳にして、なのに目を覚まさないなど。


まさか、体調でも崩しているんだろうか。
浮かんだ考えに眉を顰め、オレは一瞬の躊躇いの後、伸ばした指で恭弥の前髪を掬った。一見して恭弥の呼吸は穏やかで、どこか痛いだとか、苦しいだとかいった風には感じられない。けれど、もしかしたら熱でも出している可能性もある。黒い髪の柔らかでしなやかな感触を指に感じたまま、覗かせた額に掌を当てようとしたそのとき、オレは、あることに気付いた。


恭弥の黒い目を隠している、伏せられたままの瞼。
そこには、いつもある筈の、静脈が透ける白さが無かった。代わりにあったのは、薄らとした腫れと、眦に差した赤い色味。――その意味するところに思考が辿り着いた刹那、オレは知らず、息を詰めていた。

勝手な推測でしかない。確信があるわけじゃない。けれど恭弥の顔に残る痕跡は、オレの心を波立たせるには十分だった。


腫れた瞼、赤く充血した、眦。
……それは、泣いた痕にしか見えなかった。






 自分の表情が固く険しいものに変わったことを自覚しながら、オレは無意識のうちに動いていた。

壊れ物についた傷の形を確かめる様に、指先の神経を尖らせたまま、恭弥の目元を撫ぜる。……触れた睫毛は、濡れてはいなかった。

どこか息苦しさの残る安堵が胸に広がる。――もし、少しでも濡れた感触がそこに残っていたのなら、オレはきっと、恭弥を揺り起こしてしまっていただろう。どうして恭弥が、ここにいるのか。何があって、そんな顔をしているのか。一番最初に抱いた危惧と、気付いてしまった彼の異変。オレの理性が衝動に勝てたのは、触れた皮膚から伝わる恭弥の温かさと目に映る彼の寝顔が、穏やかであってくれたからに他ならない。


オレは、ゆっくりと手を離した。


本当は、もう少し触れていたかった。けれど今、眠りの中にいるとはいえ、恭弥の状態は落ち着いている。その時間を、オレは壊したくなかった。



なぁ、何があった? 



問い掛けても、答えが返る訳がない。恭弥は、目を覚まさない。否、起きていたところで、素直にオレに理由を話したりはしないだろう。



オレは、恭弥のことが好きだ。……けれど、彼について知っていることは酷く少ない。恭弥の、声は知ってる。彼の歌を初めて聞いたときにはもう惹かれていた、冷たい中にひとつ火を灯した様な熱を持っている声。

歌うときの、横顔も知ってる。黒い目で遠い先を見詰めながら、時折何かを思う様に目を伏せて歌う、恭弥の顔。なのに、何物にも代え難いそれらを知れる立場にはいても、恭弥の心は。彼の、心だけは。


それがどこを向いているのか、オレはまだ知ることが出来ずにいる。




オレは恭弥から離した目を、愛器へと据えた。
波立たされたまま縺れるばかりの思考を、緩く頭を振って払う。今、自分に出来ること。しなければならないこと。……本当はしたくて、たまらないこと。恭弥が目を覚ますまで、このまま傍にいたい、ということ。けれど。


どうしようもなく引かれる気持ちを、押し留める。


ソファから立ち上がる間際、恭弥に触れたがった自分の指を、けれどそのままギターに伸ばした。掴んだ、固く冷たい感触。恭弥の為に空気を揺らし、恭弥の為の音を作り出す為の道具。



……おやすみ。



伝えたい思いは苦しい位にオレの中にあって、けれど扉を閉める刹那に浮かんだのは、そんな短い単純な、そして柔らかな言葉だけだった。

 

 

>>fin.


 
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