残滓
written by Miyabi KAWAMURA
2008/07/25
彼と僕が一緒に過ごした時間は、そう長いものではなかった。出会った最初の十日間と、あとは月に数回……否、半年に数回だとか、その程度だ。外国に住んでいるのだとは聞いていた。僕の知る赤ん坊が、彼の知人なのだということも。その他にも、彼は僕に色々なことを話し聞かせていた気がする。彼を常に取り巻いていた群れの話や、飛行機の窓から見た空の色の話。そんな、他愛の無いことばかりを、沢山。
彼と戦うのは楽しかった。彼は強かった。とても強かったから、相手として全く不足は無かった。不足どころか、僕は自分から彼に、戦え、と求めすらした。彼との戦いは、病み付きになるほどだった。僕は並盛の町を愛してはいたけれど、しかし手応えのある獲物が少ないことだけは残念だとあの頃感じ始めていたから。……そんなとき、目の前に現れた彼は、格好の獲物であり標的だった。――咬み殺したい。そう思い愛器を振るって、だけど一向に仕留めることが出来ない、獲物。彼と対峙するときに感じる高揚と喜悦。今日はここまでだ、と、終わりの言葉を彼が口にするのが我慢出来なかった僕は、何度もそれを無視して、戦いを続けようとした。もっと。これだけじゃたりない。もっと。逃げるなんてゆるさない。ねえ。もっと。僕の頭を占めていたのは、それだけだった。
全てのはじまりの十日間の最後の夜に、彼は彼の唇で、僕の髪に触れた。修行と称して色々な場所を連れまわされていたときのことだ。今も、そしてあのころも、自分の行動を他人にどうこうされるのは僕は嫌で、それでも彼と幾らでも、毎日、毎夜、好きなだけ戦えるという状況は悪くなかったから、少しばかりの不自由に目を瞑って、十日間という時間を、彼と共に過ごしていた。――その、最後の夜のこと、だった。
次に彼と会ったとき、彼は再び、僕に唇で触れた。頬や顎、指先、手の甲。唇で辿った後には舌が沿わされた。彼が自分の国に帰る間際には、それだけでは飽き足りなくなったのか、彼の舌が、僕の中に差し込まれた。僕は他人の体温を、自分のくちの中に初めて感じさせられた。……その次の夜、また次の夜、と。夜と夜との間に数日、数週間の間隔はあったけれど(なにせ彼は一度姿を消すと、次に現れるまで時間がかかったから)、彼と過ごす回数を重ねていく度に、彼は新しい方法で、僕に触れるようになっていった。そして気がついたときには、僕の身体で、彼が触れていないところは、ひとつも、ひとかけらすらも、無くなってしまっていた。
爪で、指で、掌で、唇で、舌で。彼は彼の身体の器官の使えるもの全てを使って、僕に触れたいと思っているようだった。皮膚の表面を彼がなぞると、そこには正体の解らない熱が篭った。――僕の表面をなぞりつくした彼は、僕の内側の感触すらも、知りたがった。信じられないようなところに彼の指と唇が伸ばされた。きつく閉じた場所をなだめ、様子を確かめるように、解すようにしながら、彼は、僕の名前を何度も呼んだ。……僕は、彼を拒まなかった。壊れ物を扱うような、けれどそれより少し我儘で身勝手な動きをして見せる彼の表情は僕が初めて目にする類のものだったから、あのとき僕は、それをもっと見たいとすら思っていた。――僕と戦え、と。もっと、と。かつて彼に何度も求めたのと、同じように。
身体の中を喰い荒らされるような行為は、痛みと違和感を伴いはしたけれど、それと同時にひどく不思議な感覚を僕に知らしめもした。彼と僕の身体が、皮膚が擦れ合ったところから、尽きない泡のように生まれる「何か」。人肌程度のぬるさの、けれど火傷しそうに感じる体液を肌に、そして中に注がれる度、下腹には重たるくうねるような熱が溜まって、僕は耐え切れずに声を上げた。……どうしたらいいのかわからなくて、持ち上げた腕を彼の背に回して爪を立てると、彼は僕の耳を噛んで、笑った。ありえない位に甘い声と言葉を、彼は僕に何度も何度も浴びせかけた。脳味噌がどろどろになりそうだと思いながら下肢を揺さぶられ、彼が僕の中に穿っていたものを引き抜いたときには、彼と僕の身体は、僕が自分で吐き出したものと、彼が僕の身体から指を使って搾り出したものとで、グチャグチャになっていた。――身体の奥を開き、穿ち、揺すり上げる。咽喉に咥え、あじわうように舐めて、飲み下す。……どうして彼は、僕相手にそんなことをしたがったのか。その理由は解らないけれど、それよりも、彼に行為を許した自分の気持ちの方が、僕にはよく解らない。ただ、僕はそうしたかったし、されたかった。……そうだ、僕は――、彼、と――、
息を詰めた瞬間、掌の中で震えた肉塊が、白く濁った液を吐きだした。
――ずきりと、頭の奥が痛む。くちゅ、と指に絡んだものが音を立てたのを合図に、僕はそのまま、閉ざされた口に指先を伸ばした。……く、と指の腹を淵にかけて、開く。吐精を済ませた下肢は弛緩したがっているけれど、僕は行為を続けた。作り出した隙間に、ゆっくりと力を篭め、けれど内側のうねりに合わせるように、指を沈めていく。――きつい。くるしい。ぎちぎちと、自分の指に自分の中が容赦無く噛み付いてくる感触。……けれどこの先を過ぎたところにある、身体全部が溶け出してしまうような熱が僕は欲しい。だから奥へと、届く限りの奥へと、指を穿っていく。――もうこれ以上は無理だと思ったところで、僕は目を閉じた。息を整えて、そして彼の金色の髪と、目と、声と、吐息を頭の中に思い描いていく。……何故かは解らないけれど、そうすると自分の中が驚くほど従順になることに、僕は最近になって気付いた。……今、も。ぞくりと、心臓が跳ね上がるような感触が生まれ、途端に僕の身体を満たし始める。……怖いくらいに気持ちがいい。ここに彼はいないのに、彼からされたこと、彼としたことを思い出すだけで、どうしようもないくらいに、ひどく気持ちがいい。一度引き抜いた指に、自身からぼたぼたと溢れ続けている白濁を絡める。そしてまた中に沈め、愛撫されたがっている内襞に塗りこめていく。――塗りこめ、掻き混ぜ、奥を突いて、耐え切れずに声を上げて。……僕の頭と、そして身体に残る、彼の記憶を確かめるように。
>>終.
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