ただ、いちどきりの
written by Miyabi KAWAMURA
2008/0804
“彼”の限界が近いことは、遠目であっても、ディーノには簡単に見て取れた。
表面上は、確かに“彼”は、完全なる平穏というか平静というか、無関心を決め込んでいる。しかし、そういうときこそが一番に危険なのだということを、ディーノと、そして“彼”の隣で穏やかな笑みを(やはり表面上にだけ)浮かべているボンゴレ十代目も、理解している筈だった。
(あ、馬鹿)
――ディーノの鳶色の目が、僅かに、他には気付かれない程の僅かにだけ顰められた。
「ボス?」
傍らに控えていた腹心が訝しげな声を寄越してきたときには、ディーノはもう、一歩を踏み出していた。目指す場所まで、十数メートルの距離。ほんの数秒あれば詰められる距離だが、“彼”にとってその数秒は、ひと一人を片付けるに十分な時間だ。急がなければ、手遅れになる。
ディーノの心の内も知らず、見据える先で、如何にも仕立ての良いスーツを着込んだ壮年の男が、先刻からずっと“彼”に何事かを話しかけている。そして、“彼”と男との間に入り、未だ笑みを崩さずにいる、ボンゴレ十代目。……弟弟子の尽力が、ディーノにとっては有難かった。そうだ、このまま、上手く会話の矛先を変えてくれれば。
少しばかりの期待をディーノが胸に抱いた刹那、それまで手にしたグラスに目を伏せていた“彼”が、動いた。ふ、と視線が上がり、黒い双眸が目の前に立つ黒いスーツの男に据えられる。それは、波立った雰囲気も無い、静かな目だった。――獲物に飛び掛る瞬間を計る、獣の目。ひやりと、“彼”の周囲の空気だけが温度を下げた様な錯覚を覚えて、ディーノは舌打ちをした。間に合うだろうか。危ない。本当に、このままでは。
タイミング良く(むしろ悪く、とも言える)、“彼”の横を、ボーイが通りがかった。
その手に掲げられている、銀色のトレイ。その上にグラスを戻した後、“彼”がどう動くかは想像に難くなかった。――真新しい、黒いスーツに包まれた“彼”の身体に仕込まれている、金属製の牙。トンファー。鋭く強過ぎるそれは、けれど今此処で使っていいものでは、決して無いのだ。
「失礼」
どん、と肩が来賓の誰かにぶつかったが、ディーノは押し通った。無礼は承知で、しかし謝罪は背後に付いて来ている筈の腹心に任せることにする。
あと、五メートル。
四、三……、
「久しぶりだな、恭弥」
――我ながら芸のない、と自嘲しつつも、この瞬間に使うべき言葉として、これ以上のものはディーノは思いつかなかった。
「! ……っ、ディーノさ、いえ、ドン・キャバッローネ」
「歓談の最中に申し訳ない、ドン・ボンゴレ」
一瞬解けかけた緊張の糸を、しかし立て直して見せた弟弟子に労る意味も篭めた笑みで返すと、ディーノは手に掴んだ“彼”の――ボンゴレの雲の守護者の右手首を、きつく握り締めた。
>>続
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