まくらきほとり
written by Miyabi KAWAMURA
2008/07/22
肺を満たす空気が、酷く重い。
一呼吸ごとに視界が歪み、甘い痺れが脳を侵し思考を乱す。そんな空間に、雲雀はいた。
まるで泥に嵌ってしまったのように、自由の利かない四肢。
指先だけはどうにか動かすことが出来たが、もしかしたらそれは、雲雀の脳が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれない。僅かに、震わせる程度に動かした指で掴めるものは何も無い。……今、雲雀が明確に感じ取ることを許されているのは、身体の上を撫ぜるように行き来する冷たい手の感触、そのひとつだけだった。
「……ッ……」
脇腹をなぞり上げられ、息が引き攣った。
眉を顰め、間近で見下ろしてくる赤い目を睨みつける。
暗がりに浮かぶ、整った造りの顔。唇に佩かれた笑み。そして、咽喉を鳴らすような、独特の笑い声。――六道骸、だ。
雲雀の胸の内に、ふつり、と凶暴な、灼けつくような感情が湧き上がる。
この男をグチャグチャにして、咬み殺してやりたい。もう十年近くずっと、雲雀そう思い続けている。なのに未だにそれは叶えられていない。否、叶えられるどころか。
「悔しいですか? ――ろくに抵抗も出来ず、組み敷かれるのは」
声と共に、冷たい指で頬を撫ぜられた。
何が楽しいのか、先刻から骸は、雲雀の頬から咽喉、そして鎖骨までをゆっくりと辿ることを繰り返している。
「もし殺意だけで人を殺すことが出来るなら、僕はとっくに死んでいるでしょうね。……それくらい、今のきみは怖い顔をしていますよ、雲雀恭弥」
雲雀の耳に唇を寄せ、殊更愉しげに言う声。
耳朶を掠める唇と吐息、その両方共が、やはり冷たい。
「……こうしていると」
独り言のように呟きながら、骸は雲雀の浴衣に手を掛けた。
帯を緩められ、殆ど肌蹴てしまっていた黒い布が白い肌の上から滑り落ちる。ひたりと、心臓の真上に押し当てられた掌。そこから体温という体温を吸い取られていきそうな気さえする程の熱の落差が、雲雀と、そして骸の身体との間にはあった。
「きみと初めて出逢った日のことを、思い出します」
胸から離れた掌が、雲雀の薄い身体の上を彷徨った。
指先が肌を掠める度に、ぴく、と雲雀の身体が揺れるのは、本人の意思からのことではない。先刻から、じくりとした熱が腰の奥でざわめいている所為だ。骸が指を走らせるたびに、それはだんだんと酷くなっていく。
時折、肌に立てられる爪。――痕を刻まれた予感に雲雀の表情が険しくなるが、骸は全く、意に介していないようだった。
「此処、と……此処も、ですね」
雲雀の身体に浮いた肋骨の形を確かめながら、言葉を続ける。
「きみは骨を何本折られても、呻き声ひとつ上げなかった。あのときは正直、面白くなかったですよ。啼くことも出来ない鳥には、何の価値もない」
……面白くなかった、と、目を細めて言う骸は、けれど(彼にとって)不本意であった過去の出来事を、今この瞬間、確かに愉しんでいる。触れる手と、注がれる赤い視線。そして声音からもそれは明白で、骸が愉しめば愉しむ程、雲雀にとって状況は悪い方へと傾いていくこともまた、事実であった。
「――っ……!」
かろうじて雲雀の肌を隠していた布を掻き分けるようにして、骸の指が、下肢へと辿り着いた。黒い色の生地が作り出す暗がりの中で敏感な器官を掴み撫ぜられ、雲雀の咽喉が引き攣る。
「そんなに睨まないで下さい」
怒りと拒絶と嫌悪と、そして理性でどう拒んでも防ぎようがなく滲み浮かんできてしまう、快楽。その全部がない交ぜになった雲雀の目を塞ぐように、骸の唇が、雲雀の瞼に触れた。
「僕にこうされるのは、嫌ですか。……でも、気持ちがいいでしょう?」
「! ……ん……ッ」
先端を嬲っていた冷たい指に粘膜を守る甘皮を引き下ろされ、びく、と雲雀の膝が震えた。自分の意思ではなく、蹂躙する手によってしどけなく開かれてしまった脚の付け根に、濡れた感触と音が生まれ始める。
「ッ……、ぁ」
四肢のみならず、声帯すらも自由を奪われつつある中、聴覚だけは酷く冴えていた。
耳に気紛れに注がれる揶揄の言葉や、吐息の掠れる様。自身を弄られるたびに立つ、ちゅく、というぬかるんだ音。――こんな事、許せる訳が無い。声のひとかけらも、聞かせやりたくなどない。眦を色付かせながら、それでも唇を噛んで自分を見据えてくる雲雀に向かって、骸がそのとき、声を立てて笑った。
「どれだけ怒っても構いませんが。――ですが、きみにも非はあるんですよ」
解りませんか? と殊更に丁寧に雲雀に問い掛けて、骸は、尚も続けた。
「僕ときみがいる此処は、きみが見ている“夢”の中だ」
「ン……ッ……ぅ」
きちりと耳朶を噛み締められ、付いてしまった痕をなぞるように舌を這わされる。
刺激を拒んで雲雀が首を捩ると、その反応が気に入ったのか、骸の目が甘く――毒を含んだように甘く、眇められた。
「雲雀恭弥、きみの意識は他の誰よりも固く扉を閉ざしていて、いつもなら僕も迂闊に近付くことすら出来ない。――なのに、今夜のきみは、“隙だらけ”だった」
不思議ですね、と。
獣が獲物を意地悪く嬲るときのような声音が、骸の薄い唇から滑り落ちた。その合間にも、冷たく傲岸な指先の動きは止まらない。雲雀自身の裏筋をつたい登り、先端の窪みを犯そうと爪を幾度も立てては、そこを掻くことを繰り返している。
「ああ。……もう、弾けそうだ」
己の掌と指に絡んだ先走りを、骸は雲雀の目の前で舐め取って見せた。
「全部、出していいですよ。ですが……、」
「――ッ……! ぁ……っ」
「その前に。僕に、教えてくれますか?」
蠢く五指で肉塊をきつく扱かれ、背を仰け反らせた雲雀の耳に、問い掛けが注がれた。
「――眠りの深み墜ちる間際に。……きみは、誰の夢を見ていましたか?」
>>終
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