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こえだけをきかせて
written by Miyabi KAWAMURA
2007/0211







 「どうしてここに来たんだよ」


正体の知れない息苦しさを溜息に混ぜると、ツナは口を開いた。




十日程前から、頭の奥の方で微かに聞こえていた水音は、この数日の内、耳のすぐ横で響く様になっていた。

だから、何も驚かなかった。


ボンゴレの邸宅の最深部にある自室に戻り、扉を閉じた瞬間、顔を撫でたのは、この場にある訳が無い冷たい水の感触。
ゆら、と揺らぐ視界を細かな水泡が横切り、まるで水中に投げ出されたかの様な錯覚が過ぎった、瞬間。


自分しかいない筈の部屋の中に、唐突に現れた気配。


振り返るとそこには、右目に赤い色を宿した、霧の守護者が、いた。






 「お前、マフィアが嫌いで、オレの事も殺そうと思ってて、……だったら、たまに外に出れるとき位、どこでも好きなところに行けばいいじゃないか」
「そうですねぇ……」

 薄い笑みを浮かべたまま、ツナの言葉を黙って聞いていた骸は、少し考え込む様な素振りを見せた。
不法侵入も甚だしいというのに、さも当然の如くボンゴレ当主の革椅子に座る姿は、相変わらず超然としている。殊更ゆっくりと脚を組み直すと、扉の前に立ち尽くしたままのツナへ、ふいに視線を向けた。


遠目にも解る、赤い、右目。


「確かに僕にとっては、ここは煩わしいばかりの場所だ。君の言葉を借りるなら、僕はマフィアが嫌いで、その上、今は……」

言いながら、骸は左手の指に嵌められた霧の刻印がされた指輪を、眼前に翳した。
薄暗い部屋の中なのに、僅かなひかりを反射して光るそれを、検分するように見遣る。

「今は、こんな枷を付けられた上、ボンゴレに……いや、君に”飼われている”身の上ですし」
「……っ!!!」
「何を驚いてるんですか?」


それが現実でしょう?


平静な声音でそう言い切られ、ツナは一瞬息を飲むがしかし、頭より先に身体が反応した。

「違う!! 飼うとか枷とか、そんな」

口を突いて出た声はかなりの大声で、ツナと骸、二人しかいない室内にひどく響いた。けれど、そんな声にすら、骸は表情ひとつ揺るがせはしない。それどころか、ツナを面白いものであるかのように見遣ると、更に笑みを深くした。

「そんなものとは違う、と考えるのは、確かに君の自由です。けれど僕には、そんな綺麗事に付き合う義理は無い。……それとも、大空の指輪所持者として命じますか? 君の率いる部下達と同じように、忠誠を誓えと。それに対する拒否権は、僕には与えられていませんよ」
「骸……っ」
「怖い顔、ですね」

彼独特の笑い声を立てながら、骸は今度は困ったように眉を寄せた。

「あまり大声を出さないで下さい。只でさえ生身で人間と相対するのは久しぶりなのに、疲れます」
「ぁ、……」

 端正な顔立ちと流暢な話術、そしてさらりと切り替わる表情の全てが、骸の武器だ。
ツナ自身、そのことは嫌というくらい理解している筈なのに、相手の言った”生身で”という単語と、そして骸の現状……未だ、約十年もの間、復讐者の牢獄に繋がれたままでいる骸本人の現状に思い至って、思わず口を噤んでしまった。


骸は今、確かに目の前に居る。
しかし彼は同時に今この瞬間ですらも、深く昏い水牢に繋がれているのだ。


 類稀な術者である彼は、普段外界との媒介としている凪の身体を憑代とすることで、こうして外の世界へと出てくることがある。……しかし、それは骸だから出来る、奇跡にも近い技だと言えた。

 復讐者の牢獄は、ただの監視の為の檻ではない。
捕えられたものは、すべての自由を奪われ、秘密裏に処理される。大罪を犯した骸が未だ命を奪われずにいるのは、なにも彼がボンゴレの霧の守護者となったから、という理由だけではない。

彼の持つ、幾度もの生を巡る特異な能力。

その研究価値の高さ故、収監という名目で生かされているにすぎないのだ。
牢獄の中で、骸がどのような生かされ方をしているのかは、ボンゴレの長たるツナも、完全に把握している訳ではない。否、知ることなぞ出来る訳が無い。
復讐者の牢獄は、言うなれば「世界の外」に有るものであり、それを支配する鉄の秩序は如何なる他者の干渉をも受け付けはしない。ましてや骸は一度既に、「特例」の対象となってしまっているのだ。

 骸をボンゴレ十代目の守護者とする為に、当時門外顧問であった沢田家光は、復讐者の牢獄に対し、「骸の部下を見逃せ」と要求をした。そしてそれは叶えられている。牢獄にとってその取引は、破格の譲歩であった筈だ。……故に。
その要求を叶えた以上、骸本人に対しては、二度と繋いだ鎖と、そして生体研究の手を緩める事は、今後一切、ありえないだろう。



「……君は、本当に甘い」



黙り込んでしまったツナの思考は、どうやら骸には完全に読まれているらしい。

「気に病んでいるんですか? それとも心苦しい? 自分の為に、他人の人生を犠牲にした、とでも思っているんでしょうね、君は」

愚かですねぇ、と、語尾に滲む笑みを、ツナは信じられない思いで聞いた。

「現状全てが、君にとって喜ぶべき要素だろうに。自分の命を狙う敵に首輪を付ける事に成功した上、その力すらも有効利用出来る。……喜びますよ、僕なら」
「喜べるわけないだろ……っ!!!!」

骸の言葉を遮ると、ツナは歩を進めて骸の横に立った。
見下ろした相手の赤い目の色が、視界の中で一際目立つ。おそろしい力を秘めているにも関らず、ひどく綺麗な色をした目は、まるで骸そのもの、だ。


超然と、さも当り前のように禍禍しい企み事を考えているくせに。
ツナや大切な人々を、散々に傷つけた張本人であるくせに、冷たくさらりと酷い言葉を投げ付けてくるくせに、なのに……最後の最後で、ツナは骸を、嫌いきることが出来ない。


「利用とか犠牲とか、そんなのっ!!!」

言葉が上手く纏まらないまま、けれど続けるしかなかった。

「お前がオレもボンゴレもマフィアも大嫌いで、今でもオレの事殺したいとか思ってて、でも霧の指輪なんか持ってる事だって無理矢理みたいな結果なんだろうけど……っ」
「……一度、黙ったらどうですか?」

ぐちゃぐちゃに乱れる気持ちばかりが先に立ち、言葉すら持て余しているツナを一瞥すると、骸は息を付いた。

「全く、意味が通じませんよ。今の君の言葉では」
「いいから、オレの話最後まで……」
「聞きません」

そう言って、骸はツナの左手首を突然掴むと、先刻自分の手をそうしていた様に、大空の指輪が嵌められたツナの指を、愉しそうに見つめた。

「全く、君というひとは。……こんな大層な指輪を継いでいるくせに、語る言葉は相変わらず子供並みだ」
「……っ!!!!」
「僕を懐柔しようなんて、思わない方が良い。……無駄です、君の言葉では」
「だから、違う……っ」
「何度繰り返されたところで、君との会話は所詮平行線だ。僕は飽きました」
「!! 手、離せ……っ」

その酷い言い様に、ツナが掴まれた手首を振り払おうとした瞬間、骸が掴む指の力を強くした。

「痛……っ」

感じた痛みに思わずツナが声を漏らした瞬間、小さく笑った骸が、囁いた。



「それに、今日はもう、時間が無い」



途端、二人の周囲で、空間がひび割れる様に歪み始める。


ざあっ、と全身に冷水を浴びたのに似た冷たさと、そして聞き覚えのある水音が鼓膜を打って、思わずツナは骸の顔を見遣った。


「……、む、くろっ」
「僕はもう帰ります」


まるで家に帰るかの様に簡単に言われ、ツナは継ぐ言葉を失った。




……帰る……? 違う。



引き戻され、そしてまた、あの暗い水牢に。 ひかりも音も、空気を感じることすら許されない、完全なる隔絶の檻に。




……ひとり繋がれるのだ、彼は。





「骸……っ!!!」


自分の手首を掴む相手の手が、段々と水に染まり冷たくなっていく錯覚に襲われて、思わずツナはその名前を呼んでいた。

「君は、いつも叫んでばかりですね」
「何……っ、暢気なこと言ってるんだよ!」

焦るツナを見遣る骸の目は、反して冷たい位に冷静だった。

「愚かで甘いだけだと思っていると……、君は時々、本当に面白い」
「骸!!!!」


こんな話をしている間にも、刻々と骸の気配が、遠ざかっていく。

手首は未だ、掴まれたまま、なのに。
赤い色の目が、愉しそうに眇められる様も、こんな近くで見えているのに。




「そのまま、続けてください」




その、とき。
突然言われた言葉の意味を理解出来なくて、ツナは再び呼びかけた名前を飲み込んだ。


「な、に……?」
「ですから、そのまま、叫んでいて下さい」


それ位の事なら、君にも出来るでしょう、と言うと、骸はくすり、と微笑った。


「君の語る理想論は、正直僕が理解出来るものではない。けれど僕は、初めて戦ったときから、君の声だけは……叫び声だけは、気に入っているんですよ。それこそ、刻み殺したい位に、ね」


言いながら、空いている左手で、ツナの右手首を掴む。
両手の自由を拘束されて、しかしその緩さにも関らず、ツナは動けなかった。


「ほら、黙り込まないで」
「……お前」
「何ですか?」
「お前の言う事、全然解らない……っ!!!」
「解る必要がありますか?」
「……骸……っ!!」
「無いでしょう? 少なくとも、僕はその必要を、感じてはいない」
「……っ……・、くろっ!!」


見返した赤い目は、別離の間際だというのに、やはり酷く愉しげだった。
水の塊を飲み込んだ様な息苦しさと、掴まれた両手首に感じる冷たさにツナの身体が震える。



「……オレ、は……っ」



先を促す様に自分を見遣る赤い目に向けて、ツナはゆっくりと口を開いた。


「お前なんて……っ……」


最後の言葉を投げ付けてやろうとした、瞬間。




「……ここまで、ですね」


さようなら。


掴まれていた手首をふいに離され、ツナの身体が傾いだ。



「……っ!!!」



刹那、相手に向かって伸ばしかけた左手を、ツナは自ら右手で掴み、押し留めた。
直接声が届く距離にいてすら、互いの心の欠片も見えはしないのに、自分と骸の間には、言葉を交わす時間すらも無い。


大嫌いだ、と。
いつも言い切れない自分の気持ちが、一番良く解らない。


遠ざかる声、遠ざかる気配、消えていく水音。
消えていく、赤いひかり。禍禍しいのにそれだけは、とても綺麗な。



――痛い。
心臓が痛い。噛み締めた唇も、呼吸を繰り返す肺も。 声、を。骸の声を、受け止めていた鼓膜も。そして掴まれた手首も、全部全部、千切れるみたいに痛かった。


……大嫌いだ、と。
思っている筈なのに、しかしツナは何故かいつも、赤色の残照から、目を離すことが出来なくて。




「……骸……」




こうして、名前を呼ぶことですら。 互いにとっては、何の意味も、無いことなのかもしれないのに。






>>fin

っつ>>fin.


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