それでも、鳥はその翼で空を翔ける
彼の足元には、一羽の鳥が落ちていた。
ばさばさと、乾いた音を立てて羽ばたきを繰り返し、しかしその翼は折れてしまっているのか、力無く、くたりと羽根の先を土にぶつけているだけで。鳥の身体を空へ運ぶ力は、もうとっくに喪われているようにしか、見えなかった。
「なんだ、お前」
飛べねえのか、と。
話しかけて黙り込んだ彼が膝をつき、鳥を手の中に拾い上げた瞬間、オレは驚きこそはしなかったがしかし、理解もまた、出来なかった。
彼、が――ロックオン・ストラトスという男が、戦場に於いてどれだけに冷静であり非情であるか、その点に関しては疑う余地も無い。否、そもそも疑う余地なぞ残っている人間が、マイスターを名乗ることを許される立場に立てる訳がないのだ。
「治療するのか?」
「ああ」
「……意外だな」
「何が?」
精密射撃を能くする男の指が、壊れた鳥の骨の形を、なぞる。
何故か、それに目が引き寄せられた。
風の音と、そしてオレ達の背後でメンテナンスされている機体から聞こえるGNドライブの、微かな駆動音と。
地上での補給基地として使っているこの島で、既に当たり前のものになってしまっているその二つの音が作り出す景色の中で。
壊れかけの鳥とロックオン・ストラトス、という取り合わせは、酷く不似合いな、アンバランスなものに感じられた。
「大丈夫だ」
語尾が低く掠れる、もう、とっくに耳に馴染んでしまった声。
「すぐに治る」
ぱた、ぱた、と、掌の中で未だ羽ばたこうとする鳥に向かって言う声には、およそ彼が戦場で見せるような、標的に照準を合わせ引き金を引くときに呟く言葉に含まれているような、硬質な冷たさは微塵も含まれていない。
……ふと、思った。
多分、彼は、本当は此処にいるべき種類の人間ではないのだ。
もっと、明るい、暖かな。
そんな、オレからしてみれば、想像することさえ出来そうにない、そんな場所に、もしかしたら彼は生きていたのではないだろうか。
だから、そんな。
「また、すぐに飛べるようになるから」
そんな声が、彼には出せるんだと思う。
強いるでもなく、柔らかく撫ぜるような、包みこむような、そんな――、
「……だから、心配すんな」
” 刹那 ”
「――ッ」
名前、が。
突然に出された自分の名前に、オレは思わず息を飲んだ。
「どーした、刹那」
すると勘のいい相手は、振り返ってオレを見た。
緑色の、狙撃手の目が、真正面から据えられる。
「……何で」
「ん?」
「どうして、オレに言うんだ」
「そりゃ、お前」
訳が分からず、ろくな反応が出来なかったオレとは違い、ロックオンの声には、何故か苦笑めいた笑みすら滲んでいる。
「さっきから、心配そうな顔してるぜ? ずっと見てんじゃねーか、こいつの事」
言いながら、鳥の身体を、辿っていく指。
――違う、と訂正しかけてオレは、けれどギリギリで言葉を止めた。
(鳥じゃない)
(見ていたのは、鳥なんかじゃない)
……そのとき、ふと。
ものすごく不確かな、けれどどこか確信めいた警告が、それは告げてはいけない、と、オレの唇を凍らせた。
黙って相手を見詰め返すだけになってしまったオレからふと視線を外すと、彼は、再び鳥を見遣った。風に揺れた茶色の髪が、彼の表情を隠す。
「治せば、飛べる」
顔は、見えない。
けれど鼓膜に届く声はやはりとても柔らかくて、そして。
「飛べるんだ。羽根を全部、失くす前なら。――失くしてさえ、いなけりゃ、な」
そして酷く静かで、いっそ苦しそうな程に、オレには聞こえた。
利き目を失った狙撃手が、けれど戦場に赴くという無謀な沙汰を、しかしあのとき、誰も止めることは出来なかった。
答えてくれる相手がいなくなった後だというのに、けれど今になって、オレの中には彼に対する問いが山積みになっている。
お前にとっての、ロックオン・ストラトスにとっての、翼とは何だ。
例えば、引き金を引く為の指。
でなければ、標的を捕捉する為の目、だろうか。
その二つ共が、狙撃手にとっては生命線に等しいもので、けれど多分これは、答えではない。……そのことを、オレはあのとき、気付かされた。
あの、とき。
目を失い、デュナメスを降りて尚、彼は戦っていたから。
無くしたものも、壊れてしまったものも絶対に彼の中にはあった筈で、けれどそれでも、彼は戦っていたから、だから。
”刹那 ”
「……ッ……」
耳に残る声に、心臓が反応する。
聞こえない声、消えてしまった緑色の目。
今になって聞きたいことが、こんなにもあるのに。彼の口から、彼の声で聞きたいのに、なのに。
この生まれ変わった世界の中で、
その声だけはもう、見つけることは出来ないのだ。
<end.>
絶対生きてるって信じてる。信じたい(泣)。
2008/0319 written by Miyabi KAWAMURA
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