まるで恋に堕ちているみたいに。


written by Miyabi KAWAMURA
2010/0207






 がち、と、歯列同士がぶつかった。




 鈍い振動が、頭蓋骨の中に響く。顔の角度を変えるたびに深さを増していく、唇の交わり。

「――っ、ン……ッ」

 息を継いだ臨也の唇から、くぐもった声が零れた。ジャケットの襟首を掴み上げられ、自分より十五センチ近く上背のある相手と、唇を重ね合わせているのだ。……脇腹が、じくりと痛んだ。けれどそれも当たり前だった。ほんの数分前に、脇腹にくらってしまった拳。直撃こそかわしたものの、池袋最強の男の拳の尋常ならざる重さは、臨也の身体に確実に負荷を与えていた。


――折れてはいないだろうけど……、


 アバラにヒビくらいは、入っているかもしれない。

 そう、思った瞬間。

 仕返しとばかりに、臨也は自ら顎を仰のかせて静雄の唇に己のそれを寄せると、薄い皮膚の張った柔らかな肉に思い切り噛み付いた。

「ッ……、!」

 刹那互いの口腔に広がった、錆びた鉄の匂い。……血の味。

 近すぎるほどに近い場所にある相手の眼差しが険しくなったことは、サングラスの、昏い色味のレンズ越しにも知れた。――ぐ、と、首に掛かっている圧迫感が増す。只でさえ唇を塞がれ、呼吸すら口移しで奪い取られているのだ。窒息しそうな息苦しさに、けれど臨也は、恐怖など感じてはいなかった。否、恐怖どころか。

「……、っ、ん……」

 首を傾けていきながら静雄の歯列を舌先で探ると、臨也はその合間に無理矢理舌を捻り入れた。――くちゅ、と鳴った唾液が、唇の端から溢れ落ちる。どちらのものともしれない透明な体液は、絡み合った舌を伝い落ちてきたもの。その生温い感触が顎先にまで届いた頃、ようやく臨也は、顔を引いた。


「――ッ、ふ、ぁ」


 舌と、舌。ざらりとした表面を擦り合わせるようにしながら、解けていく口付け。


 唇が離れても触れ合わせたままにしていた舌先は、臨也が喘ぐように大きく息を吐いた瞬間、ついに離れた。




 ――じくりと、身体の奥で重たるい熱が疼いた。




 唇が離れても、けれど臨也と静雄の身体は、近すぎるところにあった。
互いの体温、乱れた呼吸、そして吐息の温かさすら感じ取れそうな程の距離。突き放し、ぐちゃぐちゃに叩き潰してやりたいという欲求と、力づくで引き寄せてぐちゃぐちゃに掻き乱してやりたいという衝動とが相殺されて零になる距離。


「……切れちゃったね」


 語尾の擦れた、吐息めいた声音でそう呟いた臨也の指に金色の髪を掴むようにされても、静雄はそれを振り払わなかった。



「どうせなら、噛み切っちゃえばよかったかな」



 舌。



 ……挑発めいた言葉を吐きながら、なのにまるで静雄に「噛み切ってみせろ」とでも言わんばかりに、重ねられた唇。再び口腔の内側に這わされた柔らかに濡れた肉塊を、静雄は自分の舌で、絡め取った。







>>終

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