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堕落の果実
written by Miyabi KAWAMURA
2006/0819


 任務を終えた後、必ずウルキオラは藍染の元へ赴く。

自分の「見た」ものを主へ伝え、そのまま何もなく退出する事もあれば、次の任務を命じられる事もある。……が、時折、主が戯れ混じりに話す言葉を聞く機会も、ある。

どうやら今回は、その「時折」にあたるようだった。


「……ああ、そうだ」

 視線を伏せて一礼し、半歩後ろに退がりかけたウルキオラを引き止めたのは、呟きに近い藍染のひとことだった。
「ウルキオラ」
呼ばれた名に顔を上げれば、高みに座した主が、緩く微笑し、ウルキオラを見下ろしていた。
おいで、と呼ばれ、黒曜の階段を一歩づつ登る。如何に十刃の上位にあろうと、破面の誰しもが、藍染からの赦しの言葉無しに「上」へ進む事は許されていない。

こつ、こつ、こつ、と。

威様を誇る大階段から響く硬質な足音が、暗い広間に浸透していく。
主自身から呼ばれたとはいえ、最上段まで足を進める事は躊躇われ、ウルキオラは幾段かを残して歩みを止めた。
膝をつき、先刻までとは比べ物にならない程に近くにいる支配者の貌を仰ぎ見れば、彼の視線と自分のそれが重なった。
「何かございましたのなら、此処で」
「そんなに畏まる必要は無いんだが」
頭を垂れたウルキオラに向かって、苦笑交じりの声が掛けられる。
「面白いものが手に入ったからね。……見てごらん」
「……はい」
視線を上げて。
どこから取り出したのか、藍染が掌の上に乗せている「それ」を見て、破面の中でも冷静明晰を誇るウルキオラが、数瞬黙り込んだ。
「解らないかい?」
無意識の内に小首を傾げたウルキオラに、それこそ面白いものを見た様な笑みを浮かべて、藍染が問いかけた。

目前の赤い果実。
ひとの掌に乗る大きさの、艶やかに光る表皮。
微かに香る芳香。

「林檎……ですか」
常より探査能力を能くする破面の性(さが)か、瞬間その「林檎にしか見えないもの」の霊子密度を探ったウルキオラは、主からの問いかけにそう答えた。
「……お言葉ですが、」

おもしろいもの、なのだろうか。主にとって「それ」が。

普段、藍染の言葉に異を唱える事など無いウルキオラだが、流石に今回ばかりは真意を測りかね、疑問の言葉を口にする。

林檎ではないのか。ただの。

自分の顔と、掌の上の「ただの林檎であるはずのもの」を交互に見つめるウルキオラの碧の眸に浮かんだ困惑の彩を堪能すると、藍染は微笑し、ゆっくりと口を開いた。

「そうだな。君には教えてあげようか。これは……、」




 「……で?」
そこまで話を聞いて、グリムジョーは先を促すふりをして、話を遮った。
「有難く頂戴してきた訳か」
「ああ」
賜りものだ、と言って、手の中のそれを撫ぜたウルキオラの指先を見て、グリムジョーは眉をしかめた。
「……騙されてんじゃねえか。どー見てもただの林檎だ」
ウルキオラには及ばないものの、セスタの地位に恥じない精度の探査能力で「それ」を検分したグリムジョーはそう言い捨てる。
「……お前もそう思うか」
「ああ。思う。つーか間違いねぇ」

ウルキオラの視線と、グリムジョーの視線が、同時に林檎に注がれる。しかし。
ただの林檎……の筈のそれを指して、破面の主、藍染惣右介は、


「これは、呪具だよ」


と、確かにはっきり、そう告げたのだった。


 「藍染様が仰ったのでなければ、ただの偽物だと判断するんだが……、」
考え込んでしまったウルキオラは、ベッドに腰掛けている自分の隣に、転がらないようにそっと林檎を置いて、9度目の溜息をついた。
やわらかい布の上に安置された赤い果実を見遣り、そして正面に座るグリムジョーを見る。
どう思う? と視線で問いかけられ、グリムジョーは唸った。

 主の元を辞して、自室へ戻るべく歩いていたウルキオラを捕まえたグリムジョーは、当然ながら相手が持っている物に気付いて、何でそんなもん持ってんだ、と問いかけたのだ。

どう見てもそれは、虚圏には無いものだった。
否、探せば似たようなモノはあるのかもしれないが、それでも破面が、ましてやウルキオラが持っている必要は無い筈のものだった。

「林檎なんか食うのかお前」
「返せ。食い物じゃない」

茎の部分を摘んで、ひょい、とウルキオラの手からそれを取り上げると、思わぬ速さでウルキオラに取り返された。
「扱いに気をつけろ」
奪還した林檎を大切そうに手に包んだウルキオラの言葉の意味が解らず、疑問の表情を浮かべたグリムジョーにウルキオラが顛末を話し、今に至っている訳ではあるが、「呪具」と明言された林檎の扱いを、どうも二人は決めかねていた。
とりあえず保管する、と言って自室に戻ったウルキオラに付いて来たのはいいが、改めて見てみても、どうしてもそれは「ただの林檎」にしか思えない。
「ウルキオラ。お前、これの使い方……つーか、あくまでホンモノの呪具だとしてだな、呪いの効きがどんなもんかは聞いたのか?」
「当たり前だ」
頷いたウルキオラは、口を開いた。
「これは、呪の対象者の霊性を、意のままに変質させる事が出来るらしい」
「ふうん?」
それが本当ならば、かなりの力を秘めた呪具だ。
腕を組み、話を聞く体勢に入ったグリムジョーを見遣って、ウルキオラは話を続けた。

「最初にこの呪を行った人間は、生まれながらに死神共の王族に成りえる程の陽の資質を持った魂を、虚圏の最下層レベルまで堕とす事に成功したそうだ」

話しながら、ウルキオラは林檎を手に取った。

「そりゃ凄え」
「……真実、ならばな」
「んだよ。信じてねぇのか?」
自分で話しておきながら、どこか納得していない風情のウルキオラの様子に、逆にグリムジョーが問いかける。
「お気に入りのお前に疑われたら、藍染様も傷つくんじゃねえか?」
意地悪く笑ってそう言われ、ウルキオラは軽く相手を睨む。
「茶化すな。……考えてもみろ、そこまで霊圧の高い虚がかつて存在していたのなら、虚圏にも何か霊的痕跡が残る筈だ。なのに……、」
「それが全く無い。確かに妙だな」
「そういう事だ」

ウルキオラの手の中の林檎。
それについて話している今も、何か特別な力は何も感じられない。
貸せよ、と言って手を伸ばすと、ウルキオラが頷いた。

「他には? その一回しか使われてないのか?」

林檎が手渡される間際、グリムジョーが尋ねた単純な疑問に、ふとウルキオラの手が止まった……様な気がした。

「おい。ウル?」
「……ああ、」

 気のせいだろうか。
一瞬、躊躇ったかに見えたウルキオラはしかし、あっさりと林檎をグリムジョーに渡した。逆に受け取ったグリムジョーは、ウルキオラの態度に一抹の違和感を覚え、掌に乗せられたそれをまじまじと見つめてしまう。……が、そうした所で林檎の正体が判る訳でもない。気を取り直して、グリムジョーはウルキオラを促した。

「で、続きは」
「その次の人間は、これを使って自らに呪いをかけたそうだ」

意外な言葉。

「自らに?」
「ああ。正確に言うなら、自らともう一人にだな」

言葉を切ったウルキオラの碧の目が、グリムジョーの手の内の赤に注がれる。

「人間の中に、強欲と傲慢にまみれた女がいた。その女の外面は、その穢れた魂に反して、魔的な程に美しかった。そしてまた、自分は美しい人間なのだと、他人に信じ込ませる術にも長けていた」


美しい女
漆黒の髪、氷の様な肌、淡く色付く唇。
人々は女に雪の名を冠し、愛おしんだ。
騙されているとは誰一人、露も気付かず。


「ある日、女はどうしても手に入れたい男を見つけた。しかし、男は高潔で聡明だった。どう仕掛けても、確実に相手が靡くとは限らない。……そして女は考え、『呪具』を用いて自らに呪いをかけ、一度死んだ」


人間達は悲しんだ。
女の美しさに惹かれていた、人ならざる者達すらも、涙に暮れた。
男も騙された。
女が死んだと思って嘆き。
その亡骸に、くちづけた。
……そして。


赤から逸れた碧が、ひた、とグリムジョーの視線に重なる。

「女の仕掛けた呪いは巧妙だった。その瞬間に、呪いが、男の魂を支配した」


魂の、強制屈服。
自らのくちづけで女が生き返ったのだ、と信じこまされた男。
女は男を手に入れた。偽物の愛情を、男の魂に植え付けて。


「……怖ぇ話」

 全て聞き終えて、にやりと笑ったグリムジョーが、ウルキオラに問いかけた。
「で、そこ迄聞いて、お前はどう思ったんだ?」

この「林檎」は本物の呪具か、否か。

「……お前こそ、どう判断する?」

伝え聞いた呪の結末は、真実か、否か。

 黙りこんでしまったウルキオラを見て、グリムジョーは何を思ったか、突然立ち上がった。
そしてそのまま、ウルキオラの前に立つと、左肩を掴んで力を篭め、無造作にウルキオラを押し倒した。
ウルキオラの背が、ベッドに沈み込む。

「っ、グリムジョー!」
「テメエ自身で判断しねぇなんざ、いつものお前らしくねぇよなぁ?」

自分の上に覆い被さる男の表情に、事態を楽しむ不埒な色を感じてウルキオラが睨むが、当のグリムジョーはそれを介せず、ウルキオラのきつく閉じた襟元に手を掛けると、一気に剥いだ。
布の裂けるとほぼ同時に、ウルキオラは霊圧を篭めてグリムジョーを退けようとする。しかし、目前に突き出された赤に動きが止まった。
「流石。反応イイな」
「……何のつもりだ?」
「試してみようぜ?」

何を、と、問い掛ける間も無かった。
甘い芳香が弾け、晒されたウルキオラの肌の上に、生温い液体が降る。

「……っ、お前!」

グリムジョーが左掌をゆっくりと開くと、たった今、握り潰された林檎の残骸が、ぼたぼたと落ちた。

「ダラダラ考えてても、意味ねぇだろ」
「……馬鹿かお前は」
相手の言わんとするところに気付き、ウルキオラは口を開いた。
「試してみる価値も無い。……偽物だ、これは。藍染様が、退屈しのぎに俺を使って戯言を仰ったに過ぎない」
だから退け、と。
続けた言葉はしかし、グリムジョーに一笑された。
「ニセモノだ、……ってんなら、どうして受け取った?」
言いながら、グリムジョーは果汁で濡れた掌を、べろりと舐めた。
手首まで伝った液体を追って、舌が這う。
「……っ……、」
自分がそうされた訳でもないのに、無意識の内に舌の感触を想像したウルキオラの身体が、ぴくんと跳ねた。
「使い道はあるんだぜ、ニセモノでも、ホンモノでも、な」
ウルキオラの上に、グリムジョーの手が伸ばされる。肌の上で、べたつく液体がぴちゃりと鳴った。そしてそのまま撫でまわされて、甘い匂いが更に強く立ち上る。
「グ、リム、……っ……!」
掌で、そして指で、自分の身体を好き勝手に弄る男の顔からウルキオラが一瞬目を離した刹那、胸元を舐め上げられた。
反射的に相手を押しのけようとするが、胸元の空洞の淵に這った舌先に執拗にそこを嬲られ、力が抜けてしまう。
「は……、っ、」
「ウルキオラ、」
名を呼ばれると同時に、唇が触れた。
「…………っ……!?、」
歯列がこじ開けられ、強引な舌が口腔の奥まで差し込まれる。
普段とは違う、赤い果実のどろりと甘い香りが溢れ、息苦しさに唾液を嚥下した瞬間、それと混じって、何か硬い異物が喉奥を滑り落ちた。


「くちづけた瞬間、呪いが男を支配した……だよな?」


囁かれた言葉に目を開けると、自分を組み伏せる相手の視線と、ウルキオラのそれが重なった。
「……試してみようぜ?」
身じろいだ眼下の抵抗を削ぐように、グリムジョーの左手が、ウルキオラの両手首を頭上で戒めた。そして、空いた右手が顎を捕えて固定する。

ゆっくりと。

相手の熱との距離が、限りなく零に近付いた瞬間に、どちらともなく目を閉じた。


>>fin.


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