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齧。
written by Miyabi KAWAMURA
2006/0826


 グリムジョーの席。
 窓際の列の、後ろから2番目。此処は、B組の中のベストポジションである。

 壇上の教師の目が止まり易やすい、座席の端の列の一番後ろから僅かに一つ前にずれている事で、灯台下暗し的死角になっているばかりか、なんといっても、教室後方に据えられたエアコンの風が、ちょうどよく当たる位置なのだ。今月の初めに行われた席替えで、強運にもグリムジョーがこの席をゲットして以来、此処はグリムジョー、ウルキオラ、そしてロイの昼休み固定位置となっていた。

 いつもと変わらない昼休み。

 午前の授業が終了し、やっと訪れた時間である。
ウルキオラとロイが、昼食持参でグリムジョーの席にやって来る。
グリムジョーは当たり前だが自分の席に、そしてウルキオラは近くの席の椅子を借りて座り、ロイはグリムジョーの前の席の机に座って脚をブラブラさせている。なんとなく決まっている3人の定位置。近過ぎず離れ過ぎずのちょうど良い距離で、昼食を摂っていた。
 
 教室の中は、級友達の話し声やら笑い声やらでザワついている。
一日の中で最も貴重といえるこの昼休みに、皆思い切り羽を伸ばして騒ぐのは常ではあるが、教室前方の扉から一人の訪問者が現れた瞬間、その喧騒がピタリと止んだ。
「あ、イールだ」
思いがけない人物の登場に、扉近くに集まっていた級友達が固まる中、最初に反応したのは、やはりロイであった。

現風紀委員長、イールフォルト。

さらりとした薄い色合いの金髪に、長い手足の無駄なく引締まった長身痩躯。
造作の整った、どころではない、はっきりきっぱり「美形」と評して間違い無い容姿。挙句頭も良いという、問答無用に神に贔屓されまくった男である。
「邪魔する。」
一応、よそのクラス……しかも文系B組と理系D組、普段はほとんど交流が無いクラスに立ち入る礼儀か、一言そう言ったイールフォルトはしかし、躊躇い無くB組の中を、窓際の後ろから2番目の席を目指して歩いてきた。

机の間を進む金髪美形に、クラス中の視線が注がれる。

……この一見完全無欠に見える風紀委員長と、方や、成績に於いても容姿に於いても標準レベルの2年B組の某生徒が付き合っているらしい、という事は校内の公然の秘密であるのだが、どこそこで二人きりでいただとか、そういう決定的場面はあまり目撃されていない。そのため、

「イールフォルトとロイの噂は、イールフォルトが虫除けの為に自ら流したデマで、本命は別にいるに違い無い」

という、本人達が聞けばそんな面倒な事するか的な説も、ある程度の支持を得ている今日この頃なのだった。

 そんな事は露知らず……否、どうせ何をしていても目立つイールフォルトの事である、噂を打ち消す手間こそ無駄だ、と思って放置しているだけかも知れないが、とにかく本人、そして彼の友人であるB組所属の3人は、周りの視線や思惑には、とんと無頓着であった。
「何? 飯一緒に食いたくて来たとか?」
「……カス」
ロイの言葉を一蹴すると、イールフォルトはさも不機嫌そうに言葉を続けた。
「まあ、貴様に用があるには違いないが…、時間が無い。さっさと返せ」
「返す? 何を?」
「辞書だ。ロイ、お前が勝手に人のロッカーから持ち出した辞書だ」
「……ああ? ああ!」
パンを齧りつつ首を傾げたロイだが、思い当たる事があったのか、自分を睥睨するイールフォルトに向かって文句を垂れた。
「つか、あの辞書全然役に立たなかったぜ。何であんなん使ってんだよ」
お陰で授業中、俺寝てるしか無かったし。
それは辞書のせいじゃないだろう、と、周囲で会話に耳をそばだてている級友達が漏れなく思ったロイの言葉を、イールフォルトはふん、と鼻先で笑った。
「お前に理解出来なくて当然だ。英英辞典だと書いたあったろう表紙に」
「エイエイジテン?」
「……解らないならいい。とにかく返せ」
一から説明する気は全く無いらしいイールフォルトは、溜息混じりに言い捨てた。……国公立理系狙いの金髪美形にとっては使えるアイテムも、ロイにとっては役に立たない分厚いただの本、らしい。
 じゃ、持ってくるから待ってろよ、と。
よいしょと立ち上がったロイが机の上に置いた食べかけのパンに、ふとイールフォルトの目が止まった。
「……なんだコレは」


『激ウマ!! でっかい☆小倉クリームコッペ』 


 赤と黄色の星模様が、でかでかと印刷された、「いかにも菓子パンです」な袋。
しかも小倉クリームコッペ。
『でっかい☆』と言うだけあって、確かに大きい。否、大き過ぎる。30センチ近くはあるのではなかろうか……?
なのに、値段は110円。

「……原材料の原価が知れるな」

 イールフォルトならば、いくら大きかろうが安かろうが、自分では絶対に手には取らない類のパンである。
「こんな物を食ってるのか、あのカスは」
「そういう言い方はするな」
さも呆れた様にイールフォルトがそう呟いた直後、帰ってきた反論の声。
は? と思って金髪美形が目を遣った先にはなんと、ロイと同じく『激ウマ!!』なパンを、もぐもぐと頬張るウルキオラがいるではないか。
「美味い、かなり」
「……」
その姿をたっぷり一呼吸分まじまじと観察し、イールフォルトは残る一人、グリムジョーの方を見た。
「……んだよ」
「……いや、」
案の定、そこには眉をしかめた男の姿があった。……表情に、諦念が浮かんでいる。

 普段の雰囲気やその容姿から、如何にも和食や、綺麗に細工された菓子のあれこれが似合いそうなウルキオラはしかし、実はかなりの偏食家なのである。否、食材に関して好き嫌いが激しいという訳ではないので、偏食と呼ぶには語弊があるかもしれないが、一度「これは美味しい。好きかも。」と思ったものを、飽きるまで延々食べるという変な癖を彼は持っていた。……もっとも、ある日突然そのウルキオラ的ブームは終わりを告げて、そうすると普通の、まっとうな食生活に戻るのだが。
 どうやら今はその偏食対象が、この『激ウマ!! 以下略』に向いているらしい。
……それこそ普段の雰囲気から、如何にもジャンクフードばかり食べていそうなグリムジョーの方が、ウルキオラより余程常識的な健啖家なのである。おそらく、こんなものをウルキオラが主食にしているのは気に入らない上、色々な意味で心配なのだろうが、そこは所詮、惚れた弱みというヤツだ。

(……せっかく美味そうに喰ってんじゃねーか)

自分的には許せない。
……しかしウルキオラのする事だから、許したい。

結論。我慢しろ、俺。

「……所詮、お前もカスか」
「五月蝿ぇよ」

グリムジョーの思考回路全てを理解したかの如く、哀れむ口調で投げかけられたその言葉に、水浅葱の男はやはり唸るしかなかった。


 「ホイ、これだよな」

 イールフォルトとグリムジョーの間に漂う微妙な空気にも我関せず、戻ってきたロイが英英辞典をイールフォルトに差し出した。受け取ったイールフォルトは、そのまま辞書でロイの頭をばしりと叩く。
「痛!!」
「黙れ。次勝手に俺のロッカーを荒らしたら絞殺する」
そして続けて、もう一撃。
「それと、もっとマトモな物を食え」
たんこぶ出来た、と殴られた部分を摩っているロイにそう言うと、イールフォルトは溜息をついて、もう一人の当事者に目を遣った。
「おい、お前もだ。ウルキオラ」
……実はイールフォルトは、ウルキオラの偏食癖を既に一度目撃していた。
昨年、彼らが同級だった時の事だ。延々二週間、ウルキオラに昼食時に『本格仕込み、揚げあんぱん』なる菓子パンを目の前で食べられ続け、げんなりした記憶はまだ新しい。……そういえば、前回も今回も餡子つながりのパンだな、と、それこそどうでもいい事がイールフォルトの脳裏をよぎった。
「? 食べたいのか?」
隣に立つイールフォルトの様子に、ウルキオラが声をかけた。
確かに食事中、黙って手元を見つめられたら、そう勘違いもするだろう。
「どうせコイツは食わねぇよ」
イールフォルトが断る前に、友人の嗜好を理解しているグリムジョーが口を開いた。
 なんといっても、自称『でっかい☆』パンである。これでもか! という位に挟まれた大量の餡子とクリームをこぼさない様に食べていた為、ウルキオラの手の中のパンは三分の一程しか減っていない。グリムジョーにしてみれば、こんなクソ甘いパンなんぞは一刻も早く食べ終わって、烏龍茶でもなんでも飲んでくれ、と言いたい気持ちなのだろう。
「ほら。さっさと食っちまえ」
「……そうか、」
促されて頷いて(声に、僅かにしゅんとした響きが混ざっていたのは気のせいではないだろう)、再び食べ始めたウルキオラと、彼を見るグリムジョーの様子に、イールフォルトは心の中で苦笑する。

甘い。
基本的に、グリムジョーはウルキオラに甘い。

イールフォルトとロイの関係が「公然の秘密」なら、グリムジョーのウルキオラに対する思いは「周知の事実」と呼んで差し支えは無いだろう。
(……まあ、仕方無いのかもしれないが、)
しっかりしている様に見えて、しかし何処か無防備な部分も持っている相手、ましてやそれが自分の好きな相手なら、構いたくもなるだろう。

「ウルキオラ」
「?」

ふと思いついたそれは、悪戯心の様なもので。

「気が変わった。一口貰う」
「そうか。それなら、」
「いや……、」

まだ口を付けていない部分を分けようとした相手を止めると、イールフォルトはパンを持っているウルキオラの右手首を掴んだ。

……こういう所に隙があるのだ、ウルキオラには。
そしてそれは、こういう事態の発生を赦してしまうグリムジョーにも、等しく言える事であり。

「このままで良い」
「イールフォルト?」

座っているウルキオラに見上げられる。
イールフォルトの真意を測りかねて、問いかける目は、深い碧色だ。
他人からの賞賛の言葉を聞かずとも、自分の容姿には絶対の自信もあるし気に入っているイールフォルトだが、ウルキオラの持つ黒い髪、自分のそれとは色合いの違う白い肌色も、確かに綺麗だと素直に思った。

イールフィルトの上体が、傾ぐ。

ウルキオラの右手を掴んで戒めておき、そこにゆっくりと顔を近付ける。
さらりとした髪がその動きにつれて流れ落ち、イールフォルトとウルキオラ、二人の顔に影を落とした。……瞬間。


「「「「……!!!!」」」」


その様子を見ていた級友達が、驚愕の叫びを心の中に留めた事は褒められるべきだろう。……というより、声も出なかったという方が正解か。


齧った。


イールフォルトは、ウルキオラが手に持ったままの『激ウマ!! 以下略』を。

これ以上は無い、という程の仕草で、直接齧ってみせたのである。


……そこそこ程度の外見レベルのカップルがもし同じ事を公衆の面前でしたならば、冷たい目で見られて然るべきだが、この金髪美形がしたのなら話は別だ。
しかも相手は、当人に負けず劣らずな黒髪美人、である訳で。
「有り得ない!!」と周囲の人間は思い、そして目の前で起きた出来事の意味する恐ろしい事実に思い当たって、刹那、教室中の空気が凍りついた。


食べかけ、である。


ウルキオラの「食べかけ」を、イールフォルトが直接「齧った」のである。


それはつまり。
……要するに……。


 ガタン!! と、机に何かがぶつかる音が響いた瞬間、教室の中にいた誰しもが、ヤバい、グリムジョーがキレた!! と思った。……思ったのだが、


「……イールー、」

皆の予想に反して、グリムジョーは、自分の席に座っていた。
そしてわざと意地悪く語尾を延ばし、イールフォルトの名を呼んだ。

「マジ殴るぞお前」

声音に隠しようも無い不機嫌の色を滲ませてグリムジョーはそう言ったが、何かを考える様に一旦言葉を切ると、大きく溜息をついて苦い表情のまま続けた。

「……ったく」
今すぐ目の前の、不埒な風紀委員長を殴ってやりたい気は勿論あるのだが。
それより先に、フォローしなければならない事がある。

「仕方ねえな。後にしてやるから。さっさと行けよ」

グリムジョーが言外に篭めた意味を理解して、イールフォルトが眉を寄せた。

「……面倒だな」
「何言ってんだ。今のは確実にお前が悪い」


イールフォルトがウルキオラにした、所謂「間接キス」。
教室中の空気が凍りきった瞬間に、飛び出してったのは、ロイだった。


ふう、と吐息をつくと、イールフォルトは掴んでいたウルキオラの手首を放す。
「前言撤回だ。それなりに美味かった」
「……、」
言葉以上に物を語る大きな碧眼に見上げられ、イールフォルトは苦笑した。
グリムジョーにせっつかれるのは不愉快だが、ウルキオラにまでこういう目をされては、どうにかしない訳にもいかないだろう。

 当初の目的だった英英辞典を手にして、イールフォルトは踵を返した。
入ってきた時と同じ様に、その後ろ姿をB組所属の生徒たちの視線が追う。
ガラ、と、扉が閉まり。
イールフォルトが室外に消えた途端、緊張の糸が切れたのか、誰のものとも知れない溜息が無数にこぼれた。



 「グリムジョー……、」

 ようやく昼休みらしい喧騒が戻った教室で、パンを片手にウルキオラが問いかけた。その目に浮かぶ友人への、ロイに対する憂慮の色に、グリムジョーは苦笑いする。
「お前は気にすんな。どーとでもするだろ、あいつ等なら」
「そうだな……、」
「ほら。予鈴鳴っちまうぞ」
食事の続きを促したグリムジョーはしかし、ウルキオラの手からパンを取ると、二つに割った。

「喰いきれねぇだろ、どうせ」

そう言って、半分をウルキオラに返す。
頷いたウルキオラは、受け取った半分にぱくりと噛み付いた。

「やっぱり美味い」
「……そりゃ、良かったな」

(……本気で解ってねぇな、こいつ)

グリムジョーは心中、苦笑する。


半分に割ったパン。
尻尾の方、誰も口を付けていない半分を、ウルキオラに返し。
自分の手の中、残ったのは、齧りかけの半分。


イールフォルトを殴る代わりに、グリムジョーが犬歯を立てて思い切りその半分に噛み付いた時。


昼休み残り5分を告げるチャイムが、音高く響いた。




「……どこに消えた、あのカスは」

午後の授業まで、あと5分。
廊下には、僅かに眉を顰めて歩く、金髪美形の姿があった。


この日。


5限の授業に、ロイは戻ってこなかった。そして。


D組所属の完璧を誇る風紀委員長が、午後の授業に出たか否かについては、次の休み時間まで、事の顛末を目撃していたB組生徒達を大いに悩ませる事となったのだが、それはまた、別の話。




>>fin.


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