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彼方-カナタ-
written by Miyabi KAWAMURA
2006/0831


   

 消失が生んだ空隙、空隙から生まれた喪失。


 喪うという言葉の本当の意味はまだ解らない。


 左腕を失ったお前がその為に無くしたものを、俺が完全には理解し得ない様に。

 ここがいつ誰が通るかもしれない回廊だとか、そんな事はどうでも良かった。否、そんな些末な事は、もとよりウルキオラの思考の隅にすら無かった。

 
ウルキオラはグリムジョーの顎を掴み、噛み付く様に口付けていた。


目を閉じて口腔を探る。

互いの柔らかく湿った肉が触れる。純粋な腕力だけで考えれば、ウルキオラはグリムジョーには及ばない。しかし、体格の差を封じる為に、ウルキオラはグリムジョーが何かを言おうと僅かに唇をずらした隙に、舌先に力を篭めて、相手の喉奥へとそれを深く突き立てた。
「……っ、ルッ……!」
いつにないウルキオラの行為に、グリムジョーが眉を顰める。

……構うものか。

ウルキオラは、閉じた自分の薄い目蓋の上に相手の訝む様な視線を感じながらも、行為を止めようとはしない。


足りない。
こんなことでは足りない。


 ……先刻見た光景がウルキオラの意識の隅で警鐘を鳴らし続けていて、見たもの全てを記憶する己の左目を、今すぐ抉り潰したい様な衝動が身の内で暴れていた。

 主の命に従い、奪ってきた人間の女が、両手から生み出した光。

類稀なその能力が時の流れを手繰り寄せ、水浅葱が失った左腕を再生していく様は、確かに脅威であると同時に十分な満足に足るものだった。グリムジョーを組成している霊子密度は急激に以前のレベルまで回復し、そしてその直後に続いたのは、一方的な血の粛清と哄笑。

同胞の腹を貫き破いて、再びセスタの名を冠した、水浅葱。

あのとき、全ては在るべき姿へと戻った筈なのに、それでも今、表現し難い、敢えて言うなら「焦燥」に似た何かが、ウルキオラの神経を灼いている。

「……っ……、」

 踵を浮かしグリムジョーの両肩を掴んで、自分より背の高い相手の唇を、下方から噛み付く様に奪う。
ちゅく、と音を立てて唇が離れた後、唾液の細い糸が互いの舌先を繋いで切れる。濡れた自分の唇を手の甲で拭うと、ウルキオラは、グリムジョーの口元をぺろ、と舐めた。
明らかに誘うその動きに、今まで黙っていたグリムジョーが苦笑する。

「気ィ狂った事してんじゃねぇよ」
「狂ってなんかない。こうしたいから、しているだけだ」
「……そういうとこが。らしくねぇだろ」

 揶揄する様に囁きながら、今日初めてグリムジョーの方から重ねられた唇。
かち、と互いの歯がぶつかる小さな音がして、強引な舌がウルキオラの歯列を割った。
無防備な粘膜の表面に、直接感じる相手の熱。
口腔に溜まった唾液を飲み下すと、ウルキオラはグリムジョー、と名を呼んだ。
……呼んで、相手の肩口に額を押し付ける。

「……グリムジョー……」

名前を呼ぶ。……解らないのだ、他に何を言うべきか。

 ずき、と、重苦しい感覚が刹那ウルキオラの内に走る。……しかし、「感情」という物の価値も意味も認めたがらない破面十刃としての深層意識が、全ての思考の邪魔をする。自分でもままならないもどかしさを抱えたまま、ウルキオラはグリムジョーの左肩を掴んでいた自分の右手を、先刻再生されたばかりの水浅葱の腕に沿わせていった。


肩、肘、手首、手の甲。そして指を通り過ぎ、硬い爪に触れる。


白い装束の布越しでも解る、グリムジョーの腕だ。
いつの間にか、触れられ、そして触れる事に慣れてしまった、水浅葱の左腕。

ウルキオラの指先が、グリムジョーの掌に辿り着いた。
自分の掌を重ねて、ぎゅ、と指を絡ませる。
ウルキオラの黒く染めた爪先が、グリムジョーの手の甲に食い込んだ。

一度は喪われた、左腕。

重なった掌から伝わる熱は、直前まで触れ合っていた唇や、擦り付ける様に弄られていた舌から感じたそれよりも幾らか低い。

ゆっくりと、右手を-グリムジョーの左手を捉えたままの右手を持ち上げる。

目を伏せて。
口元の高さまで運んだ手の、節だった長い指を、噛む。

「おい、いい加減にしろ」
「動くな」

顔を上げ、グリムジョーを見据えてウルキオラは言った。
重なる視線の中、グリムジョーはウルキオラの真意を測りかねているのだろう。しかし。
「……ったく。我儘な野郎」
そう言うと、グリムジョーは回廊の壁に寄りかかった。自然、密着しているウルキオラもそちらに引き寄せられる。
「好きにしやがれ」
呆れているのか諦めたのか、溜息混じりに言われた言葉に目を伏せると、ウルキオラは左手に唇を寄せた。


左手の、五本の指全てに触れる。
ウルキオラの唇の薄い皮膚が、爪の先から、第一間接、第二間接を通り過ぎる。
冷たい唇の感触と、その隙間から零れる吐息に篭る温かさの相反する感覚に、ウルキオラの好きにさせていたグリムジョーが、舌打ちをした。

投げ出されていた右腕が、ウルキオラの腰に回り、抱き寄せる。

「煽んじゃねえよ。……犯すぞ」
「戻ったばかりの左腕で、か? ……笑わせるな」

耳に注がれる声、引き寄せる腕の力、そして間近に見上げる水浅葱の色。

いつの間にかウルキオラの手中から逃れていたグリムジョーの左手が、先刻迄とは逆に、ウルキオラの細い顎を捕えて持ち上げた。


「……次に腕を無くしたら殺す」


唇が重なる、直前に。


「……腕だけ残して、俺より先に消えるのも許さない」


無意識の内に言葉になった自分の声を耳にして、その時、初めてウルキオラは理解した。



それは、いつか訪れるかもしれない別離への不安。
彼方のさきに必ず在るであろう、喪失への恐怖。



水浅葱の体温を感じながらも消えないそれに、ウルキオラの身体が、小さく震えた。

>>fin.


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