☆展示物の無断転載・コピーは一切禁止です☆
☆文字サイズは中か小推奨です。最小だと読めないです多分☆

 

ルシファ
written by Miyabi KAWAMURA
2006/0908
Count>>54800hit,memorialSS


 そとに行きたい、と。

前置きもなく自分の部屋を訪れたウルキオラにそう言われ、グリムジョーは頷いた。
寝転がっていたベッドから起き上がり、斬魄刀を手に取る。触れた柄の、思いの外冷たい感触。部屋から出て扉を閉めると、暗がりに音が反響した。


「……雨のおとがする」


城外へと続く大回廊。後ろを歩くウルキオラが、ふと呟いた。




 びしゃ、と、足に肉塊が落ちた。
左手で掴んだ獲物が、ギィ、と呻きを残して沈黙する。……そのあまりの手応えの無さには、苛立ちを通り過ぎむしろ感動すら覚えるほどだ。
「いい加減にしろ、グリムジョー」
「……あァ?」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこには岸壁に背を預け、先刻から黙ったままのウルキオラがいた。
大きく息をつくと、グリムジョーは掴んでいた獲物をウルキオラの目の前に放った。
瀕死の虚。
体組織の殆どを失くした状態で絶命するか、その前に飢えた同胞に喰われてしまうのが先か。どちらにしろ数刻の内に消滅するであろうその姿を、ウルキオラは無感動に見下ろして、言葉を続けた。
「全ての虚は、藍染様の持ち物だ。十刃といえども、それを無為に浪費する権利は無い」
「はっ。この程度の屑に使い道なんざねぇだろ」
言うなり、ぐしゃりと踏み潰す。
弾けた赤が、僅かに眉を潜めたウルキオラの頬に跳ねた。
「……ひとの言う事を聞いていたか?」
「ったく、暇潰しにもなりゃしねえ」
ウルキオラの呟きを無視し、グリムジョーは血に塗れた左手を払った。そしてそのまま、水浅葱の髪をかき上げる。……虚圏には常に魔素を含んだ霧が満ちているが、今夜はそれがひどく濃い。湿った髪の感触を指に残したまま歩を進めると、グリムジョーはウルキオラの顔の横に手をついた。
岸壁の表は、冷たく濡れている。
グリムジョーと同じく、ウルキオラの髪も霧を含んで濡れてしまっている様だった。真白い筈の装束も水分を含んで色を重く変えており、先刻跳ねた数滴の血も、青白い頬の上で滲んでいる。
「城の外に出たがったのはお前じゃねえか」
「そうだったな、そういえば」
見下ろすグリムジョーの視界の中、伏せられたままのウルキオラの目。
薄い瞼の下のその双眸が、至近距離から覗くと玻璃を思わせる程に透けてみえる事を、グリムジョーは知っている。

「……ウルキオラ」

ひとつ、名を呼び。
グリムジョーは相手の答えを待たずにその顎を掬い上げて捕えると、唇を重ねた。
「……、っ……、」
冷えた、薄い皮膚。
グリムジョーの舌先が、擽る様にウルキオラの唇をなぞる。
突然の熱に一瞬身体が震えた刹那、角度を変えて深く口付けられた。
差し込まれた舌に喉を犯され、指先に力が篭る。
「……ッ……、グ……、」
背後の冷たい岸壁と、グリムジョーの間に挟まれた。
自分の口腔内で、くちゅりと唾液が混ざる感触が、音になって鼓膜を揺らす。
「ぁ……、」
否応無しにそれを飲み込まされ、ようやく解放された唇から吐息が漏れる。……ゆっくりとウルキオラが目を開けると、そこには水浅葱の双眸が在った。

「……痛むか?」

問い掛けられた言葉の意味を捉え損ね、ウルキオラは僅かに眉を寄せた。

「何だ、突然?」
「……左」

言われた言葉に、ああ、と呟く。

「別に」

痛みは無い、と答えるが、グリムジョーの視線はウルキオラの左目に……本来の碧色より遥かに薄い色彩のそれに注がれたままだった。

数日前、二十の同胞と主の前で抉った左目。

再生を始め、色を取り戻す段階にまで癒えたそれを間近に見遣り、グリムジョーは口を開いた。

「今迄、何回潰した?」
「……何?」
「覚えてねぇのか? テメエの目、だろ」
「……、」

顎に触れていたグリムジョーの指が、ウルキオラの左目の淵をなぞった。
指先の冷たい感触に、相手と自分、どちらもひどく濡れてしまっている事に気付かされる。いつの間にか、周囲に立ち込めていた霧は、尚濃く重い霧雨に変わっていた。

「……グリムジョー……っ!」

ふいに左目の眦に爪が掛けられた。抉られる、と反射的に動いたウルキオラの左手が、グリムジョーの右手を払う。一瞬の事ではあったが、確実に破面の黒い爪は水浅葱の右手を手首ごと落とす力と速さをもって動いていた。

「逃げんな」
「……馬鹿か。何のつもりだ」

グリムジョーの勝手な言い草に、ウルキオラは碧の中に疑問と、僅かな……それこそ本人にも気付かない程に僅かな困惑の色を浮かべて、自分を見下ろす相手を見据えた。

ぽたり、と、水浅葱の髪から滴ったしずくが頬に落ちる。

幾滴も幾滴も、しずくは肌の上を滑ってウルキオラの顎先から落ちていった。まるで涙の筋の様に見えるそれを、グリムジョーが親指で拭う。……つい今、ウルキオラの左目を抉ろうとしたのと同じものである筈なのに、今度は信じられない位に繊細に、ウルキオラの肌を扱う水浅葱の手。

(……、)

ずき、と。
己の中に湧き上がった、肉体が破損した時とは全く別の種類の痛みに背を押され、ウルキオラの口から言葉が突いて出る。

「……俺の目は、」

息苦しい沈黙を破った自分の声。
……自分の声の筈なのに、ウルキオラの耳には何故か遠くに聞こえるが、かといって言葉を止める術は無い。

「俺が、自分で『見る』為の目じゃない。主の為に『使う』道具だ」
「……」
「何度でも再生する。痛みも無い。……お前に干渉される筋合いも、無い」
「……だろうな」

自らの発した言葉に、グリムジョーが皮肉げに笑う。

「完璧すぎてムカつくんだよ、テメエは」
「お前の言う事は、訳が解らない」

いつも、こうなのだ。グリムジョーと自分は。

崩玉の力で造られた破面の中で、無力な役立たずと判断され、粛清された者の数も少なくはない。
それ以前に、破面として造り変えられる負荷に耐え切れず、失敗作として処理された虚の数は、二十の成体のそれを遥かに上回っているのが真実だ。・・しかし。その事を全て識った上で尚、自分達は主たる藍染に仕えている。
疑問など必要無い。自らの存在意義を疑る必要すらも無い。
ただ、主の所有物として、有能たる駒として「在る」ことだけが重要なのだ。ウルキオラにとって、それは唯一絶対の論理であり、揺らぐことなど考えもつかない。勿論それは、グリムジョーにとっても同じ事がいえる筈なのだ。

……それなのに。

見上げる碧、見下ろす水浅葱。
視線は重なっている筈なのに、本当はお互いの見ている先は全く違うものなのではないか、という疑惑。

「ウルキオラ」

名前を呼ばれるのは、嫌だった。
肩を掴まれ、引き寄せられた。……それも嫌だ。

「……っ、駄目、だ」

ウルキオラは身じろいだ。
こんな風に名前を呼ばれるのは嫌だった。揺らぐ。自分の中で、何かが酷く揺るがされる。

見てはいけない。

主の為に、全てを『見なければならない』筈の目を、ウルキオラは自分の為に閉じた。
暗くなる視界。映してはいけない。何も見てはいけない、これ以上は。

「グリムジョー……ッ!」
「……逃がさねえ」

囁かれる。
閉じた視界に反して、鋭敏になる聴覚。抱き締められる体、抱き締める腕の力。


聞きたくない声の変わりに。

ウルキオラは聞こえる筈の無い霧雨の雨音に、耳を澄ませた。

>>fin.


Back