★展示物の無断転載・コピーは一切禁止です★
★文字サイズは中か小推奨です。最小だと読めないです多分★

 

甘。
written by Miyabi KAWAMURA
2006/0819


 リビングへ続く扉を開けると、そこは天国だった。

「水と茶。両方いるか?」
「……みず」
「了解」

 冷房の効いた部屋に入るなり、ソファに崩れるように座りこんだウルキオラの手から鞄を奪うと、グリムジョーはそれを壁際へ放り投げた。
「……投げるな……、馬鹿」
「あー、悪ぃ」
具合が悪くてもそういう所は見逃さないウルキオラから文句が飛ぶが、ソファの上のクッションにうつ伏せて、無防備に転がったまま言われたそれには、普段の様な力があるワケも無く。
風邪をひこうが熱が出ようが、ここまでウルキオラが弱って隙だらけになる事は普通ないので、キッチンへ水を取りに行こうとしていたグリムジョーは、ソファの横に膝をつき、ウルキオラの顔を覗き込んだ。
「なーに死んでんだ?」
「……死んでない」
「無理すんな。……大丈夫か?」
「……頭がいたい……」
「分かった。とにかく水だな水。」
大分具合が悪そうではあるが、救急車を呼ぶとかどうとか、そういうレベルではない事を確認して、グリムジョーは立ち上がった。

 キッチンに入り、冷蔵庫の扉に手を掛ける。

母親がこだわって選んだ総ステンレス製の銀色の冷蔵庫は、普段はまるっきり業務用のそれに見えて可愛げもそっけもないが、今日のような真夏、太陽からの灼熱光線を浴びた後に見てみると、その「物を冷やすためだけに作られました」という無駄の一切ないフォルムが、逆に視界に心地よいものに感じられた。
軽く力を篭めて扉を開くと、冷気が雪崩れ落ちてくる。
目の前に、目当てのもの−独逸産の硬水だ−のペットボトルを見つけると、グリムジョーはウルキオラの分と自分の分、2本を手に取り、ばたんと扉を閉めた。


 今年の夏は、信じられない位にキツい。

 21世紀に入って、日本から四季が消えたとか、気候がほとんど亜熱帯並に変化してるだとか、専門的に突っ込めば小難しく説明はつくのだろうが、普通に暮らしてる人間からしてみれば、「今年は猛暑だ」という事実だけ分かれば十分だろう。
 高校が夏休みに入って一ヶ月弱、グリムジョーとウルキオラ、それにロイの三人は、学校で行われている特別補習に通っていた。…とはいっても、それは成績の悪かった学生が強制的に受けさせられるものではない。予備校で行われる夏期講習に加えて、更に受験勉強をしておきたいという生徒対象のクラスである。
……正直、こんな補習、わざわざ受けに行くやつは気が狂ってるとグリムジョーは思う。(多分、ウルキオラも本心ではそう思っているんじゃなかろうか。)



 そもそも事の発端は、下らない事だった。
期末考査の結果が無残に終わったロイが、彼だけは正真正銘の赤点救済補習を受ける羽目になり、

「つか夏休みに一人で補習だよ? 絶対死ぬ。俺死ぬから」

とイールフォルトに泣きついて自業自得だと粉砕され、

「じゃあアンタは夏の間俺に会えなくていいんだ!?」
「何言ってる。そもそもそんな予定は有り得ない」
「根性悪……っ!!」
「煩いカス」
「!! もういい分かれてやる!!」
「ふん。赤点馬鹿なんぞ最初から選んだつもりは無い」

……と、それこそ暑さで頭がイカれていたとしか思えない痴話喧嘩を繰り広げていた現場に運悪くウルキオラが居合わせていて、そしてどこで話がそんなノリになったのか、

「せめてウルキオラが一緒だったら頑張れるかも」

と結論づけたロイが、その場でウルキオラの名前で補習を申し込んでしまったらしい。ただ、普段から上位の成績をキープしているウルキオラが赤点救済補習に飛び入り出席出来る筈もなく、結果、成績上位者向けの、特別補習に申し込む事に決まってしまった、との事なのだが。
 ……終業式の後、事の顛末を聞いたグリムジョーは、まず脱力した。
「お前、今からでも断れ。ロイを甘やかすな。つーか馬鹿な話に付き合うんじゃねえ」
そうウルキオラに伝えるべく頭に浮かんだ言葉はしかし、続くウルキオラからの先制の一撃であっけなく粉砕された。

「補習は14日からだ。遅刻するなよ、グリムジョー」

強制参加、おめでとー! と、ウルキオラの後ろからひょこりと現れたロイの、申し込み書、たまたま二枚重なってたから、ついでにグリムジョーの分も出しといたよ。ラッキーだねー、夏の間も制服姿のウルキオラと一緒にいられるし! 成績も上がっちゃうし!……という浮かれた長台詞を最後まで聞いてから、グリムジョーは右の拳を握り締めたのだった。全くもって、思い出したくも無い事に。



 「ほら」
持ってきたペットボトルのキャップを捻り、半分程開けてからウルキオラに渡す。しかし、肝心の相手はそれを飲まずに、ぴたりと左頬に当てた。
「冷たい」
「オイ。飲めよ。頭冷やすんだったら、タオル持ってきてやるから」
「……いい」
このままでいい、と呟いたウルキオラの声は、最後が掠れてほとんど吐息のようだった。その様子に、グリムジョーは舌打ちする。
「お前、そんなんなる前に言えよ。朝から具合悪かったのか?」
言いながら、ウルキオラの額に手を伸ばす。
汗で張り付いた前髪を払って額に触れるが、熱は特に無い。思い返してみても、朝は全く普段通りのウルキオラであったし、補習の間も別に何もなかった筈だ。しかし……。
(あー、)
ふと原因を思いついて、グリムジョーの眉間に皺が寄った。

(窓側に座ってたか、コイツ)

 教室の中にいくらクーラーが効いていたとはいえ、確かに直射日光を浴びていては辛かっただろう。よく、真夏日は室内でも熱中症になるとはいうが、確かに自宅にいるのと違って授業中に水を飲みに出る訳にもいかない。結果、室温が涼しい分、じわじわと体力が削られていくのに気づけず、ダウンしてしまったといった所か。
 そういえば帰り道の電車の中、常より余計な事はあまり喋らないウルキオラが、今日は更に無口であった。手すりに薄い肩をもたれさせて目を閉じていたから、眠いのか、位にしか考えていなかったがしかし、あのときから既に気分が悪かったんだろう。
 近所に住んでいて、同じ駅・同じ路線を使っている自分達だが、グリムジョーの住むマンションより更に先にある自宅まで帰る、と、フラつきながら言い張ったウルキオラを、自分の家に引っ張り込んで良かった、とグリムジョーは思った。

 ウルキオラは、普段からそんなに体調を派手に崩す事はない。

 華奢な体つきで、そのうえ色まで白く、如何にも「壊れやすそう」に見えるわりには元気なので、滅多にない今のような状態は、きっととても辛いだろう。
確かに、基本的にしっかりしている彼の事だ、具合が悪いまま帰宅して、それで一人で寝込む事になったとしても、水を飲んだり頭を冷やしたり、幾らでも自分自身で何とかしてしまうだろうとは思うのだ。けれど。

「ウルキオラ……、」
弱っている相手の耳に障らないように、小声で呼ぶと、閉じられていた目が薄らと開いた。

碧色の目。

普段は冷たい位にくっきりと澄んでいるその目尻が、赤く滲んでいる。
頬に当てられていたペットボトルをそっと取り上げると、黙ったままのウルキオラの頬を右掌で包み込んだ。
「馬鹿。濡れてんじゃねえか」
水滴で湿った柔らかい肌が、ひたり、とグリムジョーの掌に吸い付いた。薄い造りの皮膚。そっと、濡れてしまった頬を拭う様に親指を滑らせると、指先がふと唇に触れる。

「……乾いてんな」

大丈夫か、と呟いて、グリムジョーは頬に沿えた掌はそのままに、空いていた左手をウルキオラの額に当てた。そして、ゆっくり幾度か髪を撫でてやる。

「……ひとを猫扱いするな……」

 いつにないグリムジョーの仕草に、黙ったままだったウルキオラが口を開いた。
「もう起きる」
そう言って、身じろいだウルキオラの右肩を、ソファに緩く押し付ける様にグリムジョーの左掌が動いた。
「……っ、グリム、」
「いいから、」

ねてろよ、と言って。

ほとんど囁きに近い言葉と一緒に近付いたグリムジョーの唇が、ウルキオラの乾いたそれに僅かに重なり、そしてすぐに離れていった。

「……グリムジョー……?」

未だ掠れたままの声で、ウルキオラは問い掛けた。
唇が重なった瞬間、閉じてしまった両目を開くと、そこには覆い被さる様にして自分を見下ろしている相手がいる。
(……、)
落ち着かない。
ちり、と、胸の奥、否、喉の奥だろうか、焦りにも似た感覚がウルキオラの意識の端を掠めた。瞬間、とくんと鼓動が跳ねる。
(……なんだ……、)
グリムジョーの掌が触れたままの自分の左頬と、ソファに押し付けられた右肩に感じる重みを唐突に意識する。重い、とか痛い、とか、そういう訳では決してないのに。


静かすぎる水浅葱。


嫌ではない。
触れられるのも、常に無い柔らかさで髪を撫でられるのも。けれど。

「……おい、」

太陽にやられて−不本意な事ではあるが−具合を悪くしているのは自分の方の筈なのに、自分を見下ろしているグリムジョーの方が実は参っているのではないか、という錯覚に捕われて、ウルキオラは自由になる左手を伸ばした。
グリムジョーの首に腕を回し、そしてそのまま、ぐい、と引き寄せる。

「……っ!! ッコラ!」

 まさかウルキオラがそう動くとは思っていなかったのだろう、突然下から引かれ、グリムジョーの上体がウルキオラの上に落ちた。
「いきなり引っ張んな!」
いくらウルキオラが自分で仕掛けた事とはいえ、具合の悪い相手を押し潰している体勢はマズい、と考えて、グリムジョーは腕をついて身体を起こしかけた。
しかし、その時意外な事に、ウルキオラの両腕が、グリムジョーの背に回された。
「……ウルキオラ?」
「お前の方が、具合が悪そうだ」
「……は?」
「いいから。静かにしてろ。」
頭に響く、と言われてしまえば、黙るしかない。
言葉とは裏腹に、ぽんぽん、と宥める様に背を叩かれて、グリムジョーは溜息をつくと身体の力を抜いた。

真夏の日差しに灼かれて、お互い普段より僅かに高い体温を持った身体。
グリムジョーはウルキオラの、ウルキオラはグリムジョーの首筋に顔を埋めている為、相手の呼吸が聞こえ、そしてそれに連れて上下する胸の動きも直接に感じられた。

「ウルキオラ」
「……?」
「重くないか?」
「ああ」

そうか、と呟いて、グリムジョーは目を閉じた。
自分の髪を緩く掻き混ぜているウルキオラの細い指の感触。
具合の悪い彼を労わっていた筈が、逆に労わられてしまっている状況に苦笑すると、その吐息がくすぐったかったのか、ウルキオラがふるり、と震えた。
咎める様にグリムジョーの後ろ髪が引かれる。
どこか幼いウルキオラのその反応に、にやりと笑うと、グリムジョーはウルキオラの首筋に唇を寄せ、そこを舐め上げた。

「……っ、!」
「甘い」
「……訳無いだろう、馬鹿」

即座に返った反論に、にやりと笑うともう一度舐めてやる。

「やっぱ甘い」

びくんと震えたウルキオラの耳元で、お前も舐めてみろよ、とわざと囁く様に言ってやると、がつ、と後頭部を殴られた。
「っのやろ……、」
流石に顔を上げたグリムジョーとウルキオラの視線が、至近距離でかち合った。

碧色の目。未だ、僅かに赤い。

それに吸い寄せられる様に顔を寄せると、反射的に閉じられた瞼の上に、グリムジョーは小さくキスをした。

「悪かったな、今日は」
「……?」
「具合。悪くなる前に俺が気付けばよかった」
「……お前、」

いつになく直球なグリムジョーの言葉に、一呼吸間を取ると、ウルキオラは口を開いた。

「そんな事気にしてたのか、さっきから?」
「気にしてた」
つーか、と、言って、グリムジョーは眉をしかめる。
「お前がひとりで家に帰って、ひとりで気分悪ィの我慢して……、」
言葉の合間に、グリムジョーはウルキオラの髪に触れ、撫ぜた。
「で、俺がそーいう事に全然気付かないでいたかもしんねぇ、ってゆー事に、ムカついた」
「……」
「? なんだ?」
「いや、」

グリムジョーの言葉に、ウルキオラは目を伏せた。

「おい。ウルキオラ」
「……だったら……、」

言葉の後を追う様に、再びウルキオラの腕が、グリムジョーの背に回された。
引き寄せられて、お互いの頬が擦れ、吐息が耳に触れる。

「そう思うなら、ちゃんと労われ」

小さな声でそう告げたウルキオラの、白く、薄く、そして汗で僅かに濡れた首筋を間近に見ながら、グリムジョーは笑った。

「……ああ」



引き寄せられて、引き寄せて。


ゆっくりと重なる唇、
涼しい部屋の中、窓から差し込む灼熱に肌を灼かれて、



それでも、

自分を抱き締める相手の腕が、ゆっくりと自分を癒す。


……その優しい抱擁こそが、最高の甘露。

>>fin.


Back