■この恋は、僕たちの心臓を止める。
前編■
2009/1/31
初出>>無料配布本「この恋は、僕たちの心臓を止める。」
「恭弥」
――そう呼ばれた声も、向けられる笑みも。
金色の髪も、何もかもが以前と変わりないのに、けれどディーノは、少しだけ変わった。
雲雀は、ふとそう思った。
小さく啼いた黄色い小鳥が、雲雀の指先から飛び立った。
幾度か羽ばたき、そして伸びやかに翼を広げた小さな影が、茜色の空に映える。……とはいっても、それは造り物の「空」だ。風紀財団の地下施設で見える「空」は、日本の標準時に合わせて、時間ごとに色が変わるよう、プログラムされていた。
昼には明るく、夕暮れには暗く。真夜中には漆黒の闇、そして朝には、薄墨に朱を溶いた色へと。自ら「生物としての性能が違う」と言い切る雲雀は別として、『普通の人間』、要するに、この施設に詰めている研究員や風紀財団の人間にとっては、例え紛い物だったとしても、時の移ろいの目安となるものが、どうしても必要だった。
ただ明るいばかりの空間と時間の連続は、脳の機能を著しく低下させ、人の正気を危うくさせる。それを防ぐための光の細工が、ディーノの金色の髪を柔らかなオレンジ色に染めている様を、雲雀は黙ったまま、見詰めた。
「恭弥」
……また、呼ばれた。
笑みを含んだ、甘い声音。
相手が何を求めているのか、考えなくても分かってしまえる自分の方こそが不思議だと考えながら、雲雀は僅かにだけ、隣に立った相手に向けて顎を上げた。
それに連れて目を閉じてしまったのは、殆ど条件反射みたいなものだ。
待たされることなく、唇に吐息が触れた。
弾力のある、けれど薄い皮膚の冷たさ。ふ、と鼻腔を掠めた空気の冷たい匂いに雲雀が瞼を震わせた刹那、唇の隙に舌を差し込まれた。
「――、……」
中に、入りたい。
そうねだるディーノの舌先と、中に入れて欲しいとねだる、雲雀の唇。
口腔に受け止めた、濡れていてそして熱い肉塊に、雲雀は己の舌を擦り合わせた。
互いの舌に唾液が絡み、湿った音が立つ。顔の角度を変える僅かな合間に息を継いで、深く重ね、混ざり合った唾液を雲雀は咽喉を鳴らして飲み下した。
脚に僅かにだけ力を篭め、踵を浮かせて、自分の方からディーノの唇に己のそれを触れ合わせていく。
「ン……っ、ん」
上顎をなぞられ、ぞくん、と背が震えて、背伸びする様になっていた踵が、床に戻る。
「……ぁ」
雲雀の舌先が、ディーノの唇に向かって伸ばされた。
その、解けてしまった口付けを追うような、無意識の甘えが滲んだ仕草が気に入ったのだろう。ディーノの目に満足げな笑みが浮かぶが、けれど目を閉じてしまっている雲雀には、それを見ることは出来ない。
ディーノの着ている黒色のコートの胸元を、雲雀の指はいつの間にか掴んでしまっていた。……『これ』は、本当なら、する必要がない筈の行為だった。いつもなら、雲雀の身体を支える役目は、彼自身の指ではなく、ディーノの腕が果たすことだからだ。なのに、今日は。
――背に回され、そこを支えてくれる腕の感触が、無い。
ただそれだけの変化。けれどその一つきりの欠落が酷くもどかしく感じられて、雲雀が目を開こうしたそのとき、まるでそれを遮るかのように、ディーノの唇が雲雀の瞼に触れた。
「このまま。……な?」
吐息を交わしていた余韻で、耳に注がれた声の語尾は僅かに掠れている。
「……どうして?」
聞き返しながら、けれど雲雀は、自分が欲しいのは疑問の答えそれ自体ではないということに気付いていた。
「どうしても」
返されたディーノの声は楽しげで、鼓膜を揺らすその感触は、怖いくらいに心地良い。否、少しだけ違う。「心地良いから、怖い」のだ。……『これ』も、本当は雲雀にとって、不必要な筈の感覚だった。十年前、ディーノに触れられるまでは、ディーノに触れるまでは、知らなかった、感覚。
「口、開けろよ」
「くち?」
「ああ。早く」
促され、雲雀はゆっくりと唇を開いた。
たった今までディーノの好きにされていたそこは、唾液で濡れそぼっている。
ひとつ言葉を零すたびに感じる、気化熱が奪われていく冷たさを雲雀が自覚した瞬間、それよりも遥かに冷たいものが、唇に宛がわれた。
「――ッ……!」
その突然の行為に、雲雀の黒い目が見開かれた。
口腔を、犯されたのだ。ディーノの指に。間近に見上げた鳶色の目には、けれど悪びれた色は少しもない。
「……、ン、んッ!」
ぐ、と突き込まれた指。……反射的にそれに歯を立ててしまった雲雀の舌の上に、そのとき、「何か」が、落とされた。
――つめたい。
刹那の感覚は、浮かんだ直後に、すぐに消えて無くなった。
「ッ……」
引き抜かれた指と雲雀の唇との間を繋いだ唾液の糸が光る。それを手の甲で拭うと、雲雀はディーノのことを睨み据えた。
「怖い顔すんなよ。……ごめんな」
苦笑し、宥めるように指先で頬に触れてきたディーノの右手首を、雲雀は掴み返した。
「冷たい」
先刻舌に触れた「何か」も、そして口腔に含まされたディーノの指も、そのどちらともが。
「そりゃそうだろうな」
手首を掴まれたまま、けれど広げた掌で雲雀の頬を包んだディーノは、雲雀が本気で怒っているなどとは思っていないのだろう。言葉を続けながら、空いている左手も使って雲雀の両頬を包み上向かせ、再び唇を寄せていく。
「冷たくて、美味かっただろ? 雪」
悪戯をした代わりにとでも言うように、柔らかく細やかに繰り返される口付けを、雲雀は拒まなかった。ディーノの右掌に包まれた左の頬と、左掌に包まれた右の頬。同じ人間の掌だというのに、伝わってくる熱さは、否、冷たさは、全く違う。
ディーノの左右の掌のうち、より冷たい右掌に、雲雀は頬を寄せた。
「……子供みたいなことをするね、あなたは」
雪のひとかたまりを、そこに隠し持っていたのだろう。
ディーノの右の掌と指は、溶けた雪の雫で、冷たく濡れてしまっていた。
「お前に、喜んで貰いたかった」
本気なのか冗談なのか、どちらともつかないことを言うディーノの声は笑っていて、更に判断を難しくさせる。
「嬉しい、なんて、僕が言うとでも?」
「……聞きたいんだ、オレが」
言葉の合間に交わされる口付けが、段々と深いものに変わっていく。
酷く、甘い。自分に注がれるディーノの声も、重ね合わせたままの視線も。そのどちらともがどうしようもなく甘いと、雲雀はそう思った。
「……会いたかった」
ディーノの右掌は、未だ冷たいまま、で。
けれどその雪の名残りの冷たさを宿した指が頬を離れ、自分の身体を包む黒い浴衣の襟元に掛けられても、雲雀はそれを避けようとはしなかった。相手に流されるのとは違う、ただ、身を溶かすような甘さも、冷たさも、同時に味わってみたい。それだけだった。
「――ッ……、ゃ」
黒い布の合間から覗く肌に触れる指の冷たさに、雲雀の身体が、ふるりと震えた。
「……嫌か?」
嫌な訳がない。こんなもの、ただの肉体の反射だ。そんなこと、解っているくせに。
「! ……ッ……ぁ」
ぐ、と大きく肌蹴られた胸元に添わされた、掌。
腕の中に捉えた獲物の身体の温かさと肌の質感を確かめるように動き始めたそれが、心臓の真上を通った刹那。どくりと、まるでその冷たさに応えるように大きく脈打った雲雀の心音が、引き金になった。
「恭弥……、」
間近に見詰め合った鳶色の目に透けて見える情欲の色を受け、指先が、じん、と細かな痺れを訴える。このまま抱きたいと、今すぐに欲しいと。雲雀の名を呼ぶ声に篭められているのは、要求の響きだ。……これは最近時折にだけ、ディーノが雲雀に見せるようになった我儘の内のひとつだった。
……どくりと、また心臓が鳴った。
ディーノのこの声を聞くたびに、心臓がひとつ鼓動を刻むたびに、雲雀の身体には、甘く重い、痺れにも似た痛みが走る。
じわりと、皮膚から胎内へと浸透していくような、そんな痛み。
ゆっくりと、雲雀の腕が動いた。
ディーノの背に触れた指先に力が篭り、自分から相手を引き寄せるようにして、雲雀は自分の唇を、ディーノのそれに重ねた。……ずきりと心臓が痛み、けれどそこから正体の知れない熱が生まれ、身体の深い場所で凝り、ひとつの塊になっていく。
「――、ン……ッ」
背を抱くだけでは足りず、ディーノの金色の髪を指に絡めるようにして、雲雀は口付けに没頭した。
いつの間にか乱されてしまっていた浴衣の裾の合間から入り込んだ冷たい指に身体の中心を握り締められ、ディーノの腕の中で、雲雀の身体が撓った。胎内に有る熱の塊と、そして相反する、冷たい指。両極に位置するそれに、何かが壊されてしまいそうな気配すら感じるというのに、けれど相手から離れてしまいたくはなく、そして離したいとも思えないのが、不思議だった。
ディーノの口腔の中に進めた舌先で、雲雀はそこを掻き回すように愛撫した。クチュ、と音が鳴るたびに、その源を掬い取り飲み下す。
「は……っ、ん、ぁ」
雲雀が嚥下するタイミングに合わせるように、ディーノの指が下肢を弄り始めた。先刻確かに感じた筈の冷たさが、今は何故か、消えている。その理由は明白で、けれどそんなこと認めたくはなくて、無意識の内に緩く雲雀が首を振ると、耳に唇が押し当てられた。
「なあ。……もう、冷たくないだろ?」
……昔から、これだけは変わらない。
ディーノは、まるで雲雀の心の中を見透かしたようなこと言う。
「や、――ッ、……っ」
「聞けって……、」
今度の「嫌」は、反射などでなく本当の「嫌」なのに、こういうときにばかり、ディーノはそれが解らないふりをする。
「恭弥の、……コレ、が、」
「……、……んんッ!」
肉塊の付け根から先端まで搾るように撫ぜられ、生温く、ヌルついた音が立った。
「――ッ、ぅ、ん、ッ」
固く芯を持った場所が、蠢く五指によって塗り広げられた液体にまみれていく。噛み締めた唇の合間から零れた声に、もっと先をねだる響きが滲み始めてしまっていることに自ら気付いた雲雀が身体を固くすると、逆にそれは、ディーノの気に入るところとなったようだった。
「声……、出せよ」
「ッ……!」
耳朶を歯列に挟まれ、きち、と甘く噛まれたと同時に、肉塊の先端を擦られる。
「ぅ、あ……っ」
弄られた場所から這い上がった快感が、そのまま声帯を震わせた。幾月ぶりに会った相手から幾月ぶりに与えられる愛撫は、雲雀の身体を簡単に溶かしていく。――雲雀の私室近くのこの場所を訪れる人間は、確かに数えられる程にもいない。けれど、いくら人の気配が無いとはいえ、ここは、こんな行為をすべき場所では有り得なかった。
「ん、ン……っ!」
ディーノの胸元に額を擦り付けるようにして、雲雀は声を堪えた。
肌に感じる、柔らかで温かな布地の存在。ディーノは未だ、コートを脱ぎ落としてすらいない。ろくに言葉を交わす暇すら無い内に、引き返すのが難しいところまで高められてしまった体温を持て余して、細い肢体の漏らす息が、堪えきれず乱れていく。
「恭弥」
「……っ」
顎を掴まれ、上向かされた。
雲雀の肌を汚す、ぬるつくもの。汗でもなく唾液でもない体液の感触を厭う間も無く、ディーノの声に応えるように、閉じられていた目が開いていく。
視界に満ちる、オレンジ色のひかり。
――本当なら温度を持つ筈がない人工のそれが、けれど今の雲雀にとっては、ひどく熱いものに感じられた。
>>後編
■BACK■