■鏡の国■
2008/5/8
十年後雲雀二人で跳ね馬サンド。
「いい天気だな」
空を仰いだディーノの視線の先には、雲ひとつ無い。
「今回はどこまで行くんだ?」
「さあ」
太陽の光が目を射す。眩しいけれど決して嫌な感じはしないそれに鳶色の目を眇めると、ディーノは隣に立つ相手に向かって言った。
「とりあえず、気をつけてな」
黒いスーツに、黒いネクタイ。
細い身体を隙間無く黒色で包んだ雲雀は、両手に何も持ってはいない。どうみても遠出なぞ出来そうな格好ではないのだが、門の前に横付けにされた車に乗り込んでさえしまえば、きっと彼は短くとも一月以上帰ってこないだろう。
余程彼の機嫌が良くなるような出来事――例えば、手応えのある敵に遭遇したとか期待以上の精度のリングを手に入れただとか、そういった出来事が起こらない限りは、数ヶ月間、連絡を寄越して来ないことだって稀ではない。指輪と匣を探し、研究することに没頭しているボンゴレの雲の守護者の行動は、如何にキャバッローネの跳ね馬といえども、意のままにすることは出来ないのだ。……もっとも、意のままにしたいとも、ディーノは思ってはいないのだが。
「じゃあね」
「……っと、待てよ」
ふい、とディーノから目を逸らして、歩を進めようとした雲雀の腕を掴む。
「何……」
問いかけようとした雲雀の唇に、ディーノのそれが軽く重なった。
「良い旅を。……キョウヤ」
唇が離れる間際、髪を甘やかに梳くようにされて、雲雀の黒い目が不機嫌そうに顰められた。
「怖い顔すんなって。おまじないみたいなもんだろ?」
「……馬鹿じゃないの」
つれない言葉を漏らしつつも、けれど相手は、怒っていない。
車の後部座席に身を沈めた雲雀が、扉が閉まる寸前、自分の唇に指で触れるような仕草をしたことに、ディーノは気付いていた。
見送りを終え屋敷の中に戻ったディーノは、そのままサンルームへと足を向けた。今日は、本当に良い天気だ。――きっと“彼”は気に入りの書物を運ばせて、陽光の下での読書を楽しんでいるに違いない。
常緑樹と、四季折々の花が咲くように整えた緑を多く配したサンルームは、ディーノ自身も幼少時によく遊んだ場所であったが、今やそこは、“彼”のための庭と化していた。
ガラス屋根から注ぐ光を和らげる、日避けの薄布の下。
そこに置かれたソファに横たわる人影を見つけて、ディーノは微笑した。 ……思った通り、だ。近付いていって相手を見下ろしたディーノの目が、しかしそのとき、僅かに瞠られた。
閉じられた瞳、緩やかに上下する胸元。
ディーノの考えていた通りの場所にいた“彼”――雲雀はしかし、思いがけず、静かに眠っていたのだ。
「……ん……」
微かな寝息を零して、雲雀が身じろいだ。
身に着けた黒い浴衣の襟元から覗く胸元は、いっそ頼りなげに感じられる位に薄い。そこに置かれた手の指は細く、そして続く手首もまた、細かった。
今のように眠っているところを見ると、彼がボンゴレ最強の守護者であるとは、全ての経緯と事実を知っているディーノであっても、信じられない位だった。――確かに十年前から、ディーノが雲雀と初めて会った頃から、彼はボンゴレの守護者たるに相応しい素質を持っていた。意思の強さ、気位の高さ。何物にも屈しない光を持つ目と、類稀な戦闘能力。
その素質と実力は年齢を重ねるごとに増すばかりで、もし今本気で戦ったとしたら、彼の元・家庭教師であるディーノとて、無事では済まないだろう。
……けれど、それでも。
どれだけ手のかかるじゃじゃ馬だとしても、雲雀がディーノにとって唯一の大切な教え子であり、そして唯一の思い人であるという事実だけは、時間を幾ら重ねても揺らぎようが無いことだった。
「きょうや」
ディーノはソファの空いているところに座ると、ひそやかに囁いた。
伸ばした右掌で雲雀の頬を包み身体を倒して、顔を寄せていく。……ただ起こすだけなら、名を呼んで、肩を少し揺すってやれば済むことだ。けれど敢えて唇を重ねたのは、ディーノなりに思うところがあったからだった。
つい先刻、旅立つ前の、“キョウヤ”と交わした口付け。
それなら、同じものを。
目の前の彼にも、同じだけ甘い、それを。
「――、……」
口付けと、そして囁きに応えるように、薄らと黒色の目が開かれる。
それを確かめたディーノは、触れ合わせていた唇を離した。
「おはよう」
「……“僕”は?」
「出かけた。今さっきな」
「ふぅん」
柔らかな稜線を描く頬を撫ぜられるのが気持ち良いのか、雲雀は再び、目を閉じてしまった。
「お前はどうする? どこか行きたい場所があるなら」
「いい。今日中に、読みたいものが山ほどある」
「そうか」
未だ眠たそうな声は、語尾が僅かに掠れている。
「きょうや。眠るなら、ベッドに戻れ」
「……うる、さい」
あなたの指図は受けない、と。
眠りに落ちながらも反論してきた相手の髪を指先に絡めとリ梳いてやりながら、ディーノは雲雀のことを――先刻見送ったばかりの“キョウヤ”と、今言葉を交わしている“きょうや”の二人のことを、考えていた。
結論を述べると、ボンゴレの雲の守護者は今現在、“二人”いた。
同じ顔、同じ声、同じ力。
炎の属性も戦い方も、身体を形作る組織と成分も何もかも同じ、二人の“雲雀恭弥”が、今このとき同時に存在しているのだ。
――ヒバリさんが、……増えちゃったんです。
『二人に』
そう、冗談としか思えない報告をディーノがボンゴレ十代目から受けたのは一年も前のことだ。原因は不明、解決策は――要するに雲雀をもとの状態に、「一人の雲雀恭弥」に戻すための策については、現在も研究が続けられている。
ディーノは雲雀の、“きょうや”の髪を、愛撫するように撫ぜた。
周囲の混乱を尻目に、雲雀“達”は、自分の身の上に起きた事態を不都合だとは感じていないらしい。ある日、朝目が覚めたら二人になっていたのだ、と雲雀は言った。前兆も無く、予感も無く、変化に伴う痛みも負担もなく、ただ当たり前のように、目覚め視線を交わした瞬間、互いに「自分である」と認識したのだそうだ。
「一人だろうが二人だろうが、“僕たち”は、“僕”だからね」
何かの際に、さらりとそう言っていたのは、確か“キョウヤ”の方だったか。(その隣にいた“きょうや”は口を開きこそしなかったが、異論は無いようだった。)
“キョウヤ”と“きょうや”、何も知らない人間が見たら、一卵性双生児だと勘違いするであろう二人の間には、他の人間には分からない繋がりがあるらしい。それが感覚的なものなのか感情的なものなのかは判断がつかないが、彼らは確かに、別段困った風もなく、戸惑う風もなくお互いに接している。――雲雀が“二人いる”ということに対して何か思うことがあるとしたら、それはむしろ、ディーノの方だった。
“キョウヤ”と、“きょうや”。
そのどちらにも、ディーノは等しく惹かれている。
当たり前だ。二人はそのどちらともが、“雲雀恭弥”なのだから。
二人とも、かけがえが無い位に大切で愛しい。
ディーノがそう感じるのは当たり前で、彼の身の上に起きてしまった変化にも、それに伴ういささかの不都合にも(雲の守護者の片割れがキャバッローネ邸にいることを、ボンゴレは決して快くは思っていないのだ)、思いは少しも揺るがされはしない。……けれど。
ディーノは、ふと自嘲めいた笑みを漏らした。
もしかしたら。
下らない妄想だと自分でも思うがしかし、もしかしたら。
そもそもの、原因。
未だ解明されていない。雲雀が二人になってしまったことの原因は、他でもない、自分にあるのではないだろうか、と。
雲雀のことが愛しすぎて、雲雀のことを思いすぎて。
決して自分のもとに繋ぎとめることが出来ないと分かっている相手を愛しく思い、それを理解しながら、けれど同時に、常に相手を抱き締めていたいという欲望を抑えることは不可能以外の何物でもなく。
自分が抱えている、愛情と執着がないまぜになった思いを受け止めるのに、相手の身体がひとつでは足りなくなって、それで、雲雀は、“二人になってしまった”のではないだろうか。
触れていたい。
抱き締めていたい。
その体温と吐息を腕の中で感じていたい。離したくない。いつも、どんなときでも。……いつまでも。
理性では抑えきれない欲望、雲雀を己だけのものにしたいという願望。
自分が雲雀に与えることが出来るものは酷く少ないというのに、相手のことは全て奪いたいとすら思う、渇望。……もしそれが、酷く我儘な奇跡すら、起こしてしまったのだとしたら。
「……ごめんな、恭弥」
そんなこと、馬鹿な妄想でしかないと分かってはいるのだ。
しかし全ての出来事は、雲雀のことを愛しいと思いすぎた、求め過ぎた自分への“罰”なんだろうと、ディーノは本当は最初から、考えていた。
(だって、そうだろう)
疑うべくもない。
罰を受けるだけの罪を、思いを、今この瞬間にだって自分は抱えている。
二人になってしまった雲雀恭弥。
指輪と匣に執心し、それこそ翼ある鳥の様に気紛れに飛び立っていってしまう“キョウヤ”と。
凶暴なくせに時折無防備で、並盛の町と、己の片割れが持ち帰る指輪と匣の謎解きにしか興味を示さない“きょうや”。
この二人を交互に抱き締めるとき、自分の胸の内に浮かぶものは、困惑でも驚愕でもなく、贖罪の思いですらなく。
得難いものを二つともに手に入れたという、ただひたすらの、歓喜なのだから。
>>fin.
■BACK■