「宇宙カー」(ニューヨーカーさん提供) まだメーカーのマークが赤マルイだった時代のもの。 |
現在国内最大のエアソフトガンメーカーとしてハイレベルな可動モデルガンを販売している東京マルイは、1965年にマルイ玩具として設立され、翌年の1966年に初めて同社模型部から出た一つの商品でプラモデル業界に参入しました。
その時の記念すべきキットが、この宇宙カーでした。
そのスタイルは前年1965年の1月に放映されて人気を博したテレビマンガ「スーパージェッター」の人気メカ「流星号」にインスパイアされたデザインでした。
因みに宇宙カー発売の前年11月には今井科学から本家流星号が発売されています。これはゴム動力の水陸両用キットでしたが価格は150円で、年少者向けキットの中でも若干高めのグレードで発売されたのに対し、マルイの宇宙カーはキャラメルボックスの50円売り。動力も簡易なフリクション走行で、今井のキットより更に小さな子供市場を狙った無版権チープキットでした。
こう書くととんでもないマルイの黒歴史のように思われるかもしれませんが、当時ミドリのSFキットを模した駄菓子屋プラモデル(キングモグラス、ジュニアモグラス、バンガード、エコーセブン、スペースアローなどが確認済み)や、ミドリのアストロボート(小)とほぼ同じ大きさのソフトビニールのスクリュー走行モナカ玩具が何と20円で普通に流通していたなど、まだ敗戦の痛手から20年しか経っていなかった当時の日本では、模型店の店頭でも零細企業の背に腹は替えられない必死の試行錯誤の真っ只中で、ましてや更に玉石混交の駄菓子屋レベルの店頭では、もっと混沌とした商品展開が繰り広げられていた…と、そういう時代だったのです。
もっと言うなら、宇宙カーのスタイルは流星号に酷似しているといえるものの、その元となった流星号自体のデザインはといえば、シンプルなバブルキャノピー型デザインのスポーツカーに当時のアメ車のテールフィンを組み合わせ、全体をロケットフォルムにモディファイしただけとも言えます。例えばミドリのSFシリーズのようにドリルがあるとか、キャタピラが四本あるといった突出したデザインに比べて非常にオーソドックスなこのスタイルは、当時の空想科学玩具の中でもそれ程珍奇ではありません。むしろ宇宙SFビークルの中ではスタンダードなものとも言えます。
つまり「子供には似ていると思って欲しいけど、版権元が目くじらを立てない程度にはアレンジしたい。」という微妙な立ち位置が感じられます。
版権意識が社会通念上の厳しいルールとなった現在と違い、まだ世の中全体が全てに模索していた時代の商品である事を意識してみると、まだまだ零細企業だった同社が、駄玩具レベルの商品で何とか活路を見出そうとした涙ぐましい努力の産物であったといえるかもしれません。
タミヤのキットや精密なガレージキットをそのままコピーして商品化する今の中国の模型メーカーの戦略とは根本的に違うのです。
そして、その時代を象徴するパーツがこの宇宙カーにあります。
まだ貧乏だった終戦直後の日本で、数少ない主力輸出商品だったものの一つに動くティントーイがあります。今では高額で取引されるアンティークトイの一つ、占領下日本(オキュペイドジャパン)の日本製玩具がそれです。
しかし、原材料にするブリキすら満足に入手できなかった当時の零細玩具メーカーは、米軍基地から放出される缶詰の空き缶を回収して切り開き、叩き延ばし、裏返して再整形して玩具の原材料として使っていたのです。
流石に1960年も中頃になると原材料にも余裕が見え始めましたが、それでも安価な商品を作る下町の零細企業では、廃品の空き缶を材料に玩具部品を作っているところがまだまだ少なくなくありませんでした。年配モデラーの方であれば、当時のブリキオモチャの裏側に、スパム缶だとか、鯨の大和煮だとかの印刷がそのまま残っていた事を思い起こされるでしょう。
この宇宙カーのフリクションは簡便なブリキ細工で構成されていますが、それが将にその空き缶再利用のパーツで作られているのです。
当時の模型メーカーは木製艦船模型や模型飛行機、あるいはそもそも先に述べたティントーイなどなど、元々模型や玩具関連メーカーだった会社がプラモデルに参入してきた事は良く知られていますが、一方で駄菓子屋向けにメンコや甘納豆を作っていた会社がプラモデル業界に参入するケースも多く、この宇宙カーのメカにも、そういった試行錯誤の時代の逞しさのようなものを感じます。
こういう生みの苦しみの時代を経て、マルイは一つの「時代の潮流」を敏感に感じ取る事になります。
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宇宙カーと同じ1966年の11月には、マルイ完全オリジナルの二つのJOSFキットがリリースされました。それがゼンマイで走行する3輪メカ、バトル3とビーム9です。
宇宙カーで野暮ったいレトロフューチャーな感じを漂わせていたイラストは、一気に梶田達二画伯の垢抜けたものに一変し、当時の何の原作モノメカにも似ていない、純粋なマルイメカがデビューしました。
これは当時の最先端テイストと言え、マルイのオリジナルデザインプラモデルが、空想科学模型からSFプラモデルへ劇的な飛躍を遂げた瞬間でした。
ここから始まるマルイの本格SFシリーズは、ラインナップを増やしながらシリーズ名を変えて何度も再版される事になります。このページの最後にその系譜をまとめてありますので、これからはそれも参考にしながら、解説を読んでみて下さい。
バトル3とビーム9の雑誌広告。(資料提供:テルスター中尉さん) |
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バトル3とビーム9は基本的にはゼンマイ三輪走行のキットでしたが、ボンネット部分と垂直尾翼に付けた滑車に糸を通し、勾配をつけて空中滑走遊びができるという驚くべきアイディア商品でもありました。
実はこれらのキットの発売時期を特定する為に、当時の日本模型新聞、雑誌広告、昭和プラモデル全リスト(日本プラモデル工業協同組合編)などを参考にしていますが、その昭和プラモデル全リストでは前述の宇宙カーもバトル3、ビーム9も同じ1966年11月発売となっています。ここでいう発売とは、メーカー告知情報で確認できた時期であって必ずしも実際のリリース時期ではない事がエクスキューズされていますが、それでもこの三者が同時発売とは思えず、先の宇宙カーの解説では、発売「月」は曖昧にして発売年だけを記したのはこういう理由です。
私事で恐縮ですが、1966年に小学校2年生だった筆者は、宇宙カーを購入したという内容の日記を当時の担当教師に提出した記憶があり、この年には発売されていた事が裏付けられていますが、その後購入したバトル3はそれと若干遅れての購入だったように記憶しています。発売の時期と田舎町での購入時期には、流通の関係で自ずからズレは出てしかるべきですが、商品の完成度からいっても宇宙カーと後の二者が同時発売だったとは考えにくく、1966年の同社の業界カタログで同居はしていながら、両者の発売時期は半年ほど違いがある…宇宙カーが最低数ヶ月は先行して発売されているのではないか…と考えています。
マルイの出自に関しては筆者不勉強につきはっきりした事はいえませんが、当初玩具店や駄菓子屋向けの低価格玩具、あるいは他社の下請けとしてフリクションなどの完成ユニットを手掛けていて、新規開拓路線の一つとして当時右肩上がりの勢いだったプラモデル業界に参入を決意した、という経緯ではないかと筆者は想像しています。
例えばプラモデルメーカーそのものではなく、当時プラモデルの箱の印刷と組立を生業としていた会社が「プラモデルって売れるらしい。」と判断して自らがプラモデルメーカになった会社に、ゼンマイカーで一世を風靡したセントラルモケイがありますが、マルイもそういったプラモデル業界の傍流で企業活動を始めながら、手始めにアンテナ商品として宇宙カーを出してみたら思いのほか当ったので、あらためてきちんとした商品を開発した…というのが、このバトル3とビーム9だったと考えると、辻褄が合うように思われます。
1966年といえば、ミドリがエコーセブン、キングモグラスを発売した年でもあり、時は将に「奇跡の三年間」と呼ばれる昭和41年からのJOSF爆発的ブームの時代に突入していたのです。
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1967年5月の少年キングに載ったスペースバードの雑誌広告。 |
スペースバード初版パッケージ。(資料提供:へんりーさん) |
上で紹介したバトル3とビーム9は、その後名を変えてシリーズ化され、後続キットを加えながら20年以上も発売され続けたマルイのSFシリーズの中核となります。
1967年にはこの二つがニューバトル3、ニュービーム9と名前をマイナーチェンジして再版されたのを中継ぎとして、そこに一回り大きな対宇宙船重攻撃機スペースバードと、SF水陸両用戦闘艇マリンコマンドが加わります。
右はそのスペースバードの雑誌広告です。
ボックストップには「空中をゼンマイでつっぱしる」とありますが、先のバトル3とビーム9が糸と滑車だけの自由滑走だったのに比べ、このスペースバードは、垂直”尾翼”というよりは、ロケット実験機X−15の垂直”安定板”と同類の分厚い尾翼に仕込んだゼンマイ動力ホイールを有し、そこに糸を通して文字通りの空中動力機動を実現したのです。
モーター駆動のプロペラや滑車を使ったSFメカやロープウェイのようなキットは他にもありますが、ゼンマイ動力で空中に張った糸を伝って動くプラモデルは、このスペースバードと、後にサニーから発売された、セルボなどの水陸空ゼンマイ走行のデフォルメ実車「バンバンシリーズ」しかありません。
舟艇型ボディにキャノピーと尾翼をセットしたあの宇宙カーは、バトル3とビーム9を経て、ここに唯一無二のマルイオリジナル陸上&空中メカの頂点を極めたといえるでしょう。
下の画像はへんりーさんから送って頂いた貴重なスペースバードの初版パッケージ。
雑誌広告ではパッケージイラストを原画として使うことはあっても、イラストに被せるロゴや謳い文句は雑誌広告専用に編集し直されたものが多ようですが、このスペースバード初版時の広告は「>新発売<」の文字以外はパッケージをそのまま流用しているのが分ります。
マルイが拘った箱の中タグだけでなく、ゼンマイ専用の中箱や本体の収容方法など、それ以前の100円クラスのシリーズ以上に高級感を出した差別化が分ります。
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SF水陸両用戦闘艇マリンコマンドの雑誌広告。 | 宇宙戦車スパイダーの雑誌広告。 | 同じ年マルイは更にゴム動力水陸両用戦闘艇マリンコマンドと、ゼンマイ動力でキャタピラ走行するスパイダーを発売して着実にSFキットのラインナップを増やしていきます。 そして時代は、遂に1968年に移ります。 |
1人乗り超小型潜水艇マイティアローと、小型潜水戦闘艇マリンジャックの雑誌広告。 |
1967年にマルイは同社初の水ものSFプラモデルであるマリンコマンドを発売しますが、これがクリーンヒットだったらしく、翌年の1968年には一気に2つの水ものSFプラモデルをリリースします。それが1人乗り超小型潜水艇マイティアローと、小型潜水戦闘艇マリンジャックです。
マイティアローは多分マンガの電人アローと、1965年に上映されてイマイがシリーズ化した007サンダーボール作戦の水中スクーター+フロッグメンのエキスを掛け合わせてオリジナルキットに仕立てたものではないかと想像できますが、しかしそのどちらにも似ていない強烈なマルイSFテイストで仕上げられています。
また、今回の俺SFメカコンテストのテーマでもあるマリンジャックは、これもスピンナースクリュー(スパイクローター)や突出型キャノピーを持った小型潜水艇というコンセプトがジュニア707のメカニックデザインコンセプトからインスパイアされた要素を持ちながら、ドリル型スピンナーや胴体左右の動力ポッドをエッジの立ったデザインで纏め上げた、ハイセンスなマルイオリジナルメカに昇華しています。
良くも悪くも宇宙カーという微妙なスタンスを持ったキットでプラモデル界デビューを果たしたマルイは、以後そういったギリギリの一線から敢然と身を翻し、襟を正した自社オリジナルの秀逸なデザインで勝負をかける一方、しかしメカの面白さといった要素には敏感に反応しながら子供達に商品をアピールしていくのです。
最前の宇宙カーのところで「こういう生みの苦しみの時代を経て、マルイは一つの「時代の潮流」を敏感に感じ取る事になります。」と書きましたが、それは将にこういった点…何かのメカの真似ではなく、メカニカルな要素を機能美として取り込みながら、他ならぬマルイテイストに昇華して発信する姿勢に他なりません。
そういった目線でマリンジャックを見た時、実在の深海潜水艇アルビン号のような突出型キャノピーと相俟って、スピンナースクリューさえも「あるいはこういう推進器も実在するのかも?」と思わせるマルイマジックとなります。そして事実、当時の多くの少年達が707の影から開放された、純粋なマルイSFファンとなっていったのです。
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1973年発売のウルトラマリン。 |
ここでようやく(?)本題のマリンジャックについて紹介してまいりましょう。
但し残念ながら初版のキットそのものは手元に無い為、再販のウルトラマリンでお話を始めます。
マリンジャックは1968年の初版以来、海底探検艇VO3、ウルトラ科学シリーズ_ウルトラマリン、科学シリーズ_ウルトラマリン、0ファイターシリーズ_0ファイター5号と名前を変えながら7年間に亘ってリリースされたキットで、左のパッケージはその4代目、1973年に科学シリーズとして発売されたものです。
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ウルトラマリンのパッケージング。本体の成型色はマルイ独特のメタリックブルー。 |
マルイのSFシリーズは、最晩年の宇宙アニメーションシリーズに至るまで、律儀に部品押さえの中タグをホチキス留めしていました。
キットのシリーズ名はウルトラ科学シリーズから「ウルトラ」が消えて単なる科学シリーズになっていますが、中タグは「NEWウルトラ科学シリーズとなっています。
本体下に見える黄色いパーツはボックストップにも堂々と謳われたオマケのウルトラウォッチ。
ちょっと見落としがちですが、驚異的なのは尾翼。厚みが根元で約1.7mm、先端部で0.5mm、高さが15mm程の垂直尾翼3枚が、別部品ではなく最初からこの状態でモールディングされている事。
と言う事は、このウルトラマリン(マリンジャック)の金型にはこの薄い部分が15mm掘り込んだ状態でスリット状に開口しているとういう事でしょうか。
こんな状態で金型を彫れるの?と驚いてしまいます。
実際は金型を一発で掘り込むのではなく、部分部分をブロック状に分割し、垂直尾翼部分はあらかじめ厚み方向に浅く掘り込んだ2つのブロックを左右張り合わせて本体部分の全体ブロックに「縦に」はめ込む…とかの技があるのかもしれませんが、これは一見の価値アリです。
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ウルトラマリンとゼロファイター5号のインスト。 |
丁寧なイラストによる分りやすい解説で定評のあったマルイの組み立て説明書。初版のマリンジャックから数えて4版目のウルトラマリン(1973年)と最後の5版目の0(ゼロ)ファイター5号(1974年)となりますが、商品タイトルを除いて全て同じ内容です。
ちょっと分かりにくくて申し訳ありませんが、最初のコマにある本体裏側に付ける物はお約束通り浮力確保の部品ですが、これは「空気室のフタ」ではなく、薄いスチレンボードを二枚重ねにしたもの。逆にナンバー9のコマには艇体下部に着くバランサーに鉄の棒を仕込む説明がありますが、これは二組作ります。下部のオモリと艇体上部のキャノピー(空気室)+スチレンボードでしっかりと正立した姿勢を保ち、直径の大きなスピンナースクリューの反動を受け止める堅実な設計です。 |
0ファイターシリーズに付いていたオマケの銃。銃口に一発弾丸が装填されている。 |
ちょっとキット本体の話から脱線しますが、マルイのSFシリーズには、1972年のウルトラ科学シリーズの時期から本体以外のオマケキットが同梱されているのが特徴です。 まず1972年のウルトラ科学シリーズでは箱絵の全てに怪獣が描かれており、オマケはスプリングで弾丸を発射するウルトラピストルと標的になる書き割りの怪獣イラストだったり、坂道を重力でトコトコ歩いて下る怪獣だったりしますが、いずれもこのシリーズが対怪獣メカであるコンセプトを現しています。 ウルトラピストルのモトネタが何だったか現在不明ですが、歩く怪獣の方は、同社が1966年に宇宙カーと同じ50円シリーズで出していた「歩く恐竜(2頭入り)」の一体ではないかと思われます。
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ウルトラウォッチの組み立て説明書。 |
次に1973年発売の科学シリーズには、右の組み立て説明書が示すようなウルトラウォッチが同梱されています。これは前年に同社が発売していたスパイ兵器シリーズ「ウォッチガンとペン爆弾セット」のウォッチガンでしょうか。
単に弾丸が発射されるだけでなく、ガラス部分のふたが開いて円盤を発射します。リストバンドはビニールレザーのものが付いていて、全体の機構も中々凝っており、オマケというには結構豪華なものでした。
また、1974年の0ファイターシリーズでは、再度ウルトラガンが付きますが、こちらはスペースガンと名前が変っています。
更に1978年の宇宙アニメーションシリーズの中の宇宙戦隊4種類にもコスモガンという銃がオマケで付きますが、これも名前が変っただけで内容はウルトラガンと同じものです。
時期は前後しますが、ちょっと変っているのが1974年発売のメカニックマシンシリーズで、これに付くオマケはSF銃や怪獣ではなく、何と車体内部構造パーツでした。
機会があれば紹介する事もあると思いますが、これはボディーの成型色をカラーの透明パーツとし、本来ゼンマイだけでガランドウの車内に一発成型の車内構造を再現したパーツを追加したもので、メッキ仕上げの高級感と共にマルイ独特のSFチックなテイストを醸し出していました。
当時これを筆者も買いましたが、既に高校生だった私はスペースガンよりもこの内部構造再現パーツのほうが何倍も嬉しかったのを覚えています。
因みに「高校生になってマルイのSFプラモかよ。」と思ったアナタ、私は55歳になっても同じ事をしているんですから、全ッ然恥ずかしくありません。(きっぱり)
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マリンジャックの最終版0ファイター5号 |
今度はマリンジャックの5版目にして最終版となった0(ゼロ)ファイター5号です。
マルイのオリジナルSFシリーズのメカには、この他ガンダムブームにあやかったガンガルなどの50円クラスの廉価キットもありましたが、主力であった科学シリーズは、その後キングダイバーのような水陸両用の大型宇宙艦船シリーズを加えながら1978年まで販売を続けます。
しかしマリンジャックの系譜を伝える潜水艇はこの0ファイター5号を最後に幕を下ろしたのです。
新造人間キャシャーン風の
科学救助隊のお兄さんが持っているのが、例のスペースガンですね。 |
0ファイター5号。 |
パッケージやキットの周辺情報ばかりでは、キット自体の実像が分らないでしょうから、急遽その0ファイター5号を組み立ててみました。これで全体の雰囲気がつかめると思います。
成型色はスッキリしたスカイブルーとなり、重厚なメタリックブルーの初版よりスマートになった感じがします。
これで無塗装の状態ですが、実はこの作品はキットオリジナルのゴム動力ではなく、モーターライズに改造してあります。その為電池交換の為に艇体後部の噴射口は流用パーツに変って居るので他の部分とは違った色になっています。また、本来内部は動力のゴムしか入っていないので軽量でしたが、モーターと電池を内蔵した事で重くなり、浮力を稼ぐ為に船体は完全に防水して内部全体を空気室にしています。
しかし今度は浮力が付き過ぎたので、バランスを取る為に船体左右の動力ポッド先端に付くショックコーン風のメッキパーツを紡錘形の鉛のオモリに変えているので、その部分の形と色もオリジナルのものとは違っている点を御了承下さい。
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0ファイター5号のトップビュー。 |
最後は0ファイター5号のトップビューです。
スピンナースクリューと突出型キャノピーという特徴あるメカニカル要素の為に、ジュニア707のパクリ?ぐらいに思っていた人はあらためてこの0ファイター5号…マリンジャックのスマートなスタイルに驚く事と思います。
コイツぁカッコイイぜ!
因みに先端のスピンナー部分はドリル型に見えますが、厳密にはこれはラセンドリルではなく「同心円の段差の付いた円錐」というのが正解です。
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さて、ここまで長々とマルイのSFシリーズを俯瞰しながらマリンジャックの系譜を辿って来ましたが、皆さんはこの独特のスタイルに何を感じましたか。もしピピッと感じるものがありましたら、是非あなたのオリジナルマリンジャックを作って「俺マリンジャックコンテスト」に参加してみませんか。
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