8/11 Sobrado dos Monxes
8/12 Pedrouza
8/13〜15 Santiago

8月11日(金)Sobrado dos Monxes 26km

今日もみんなで一緒に離れないように歩く。
山道はだいぶ減り、村も多くなってきたので、何度もBarに立ち寄りながら進んで行く。
ラウラがグループに入ってからは、Barでのお茶は、しっかり割り勘になっていた。
すぐに彼女が計算をしてくれるのだ。

道はカルテラ(舗装道)になってきた。そんな道を20kmほど歩く。
退屈な道なので、ipodを聞きながら歩いていると、ロベルトがそれを横取りした。
「日本の歌っていいね。帰ったらCDを送ってね。」
ラウラも一緒に聴き始めた。 二人で片耳づつヘッドフォンを分け合って、ニコニコしながら歩いている。 勢いのある曲では足取りも軽快に、スローな曲ではうっとりしながら聴いていた。 EnyaのPilgrimがかかると二人は目を瞑り、ふわふわしながら歩き始めた。

今日のアルベルゲは久しぶりに修道院だった。
Sobrado dos Monxes 美しい修道院だ。
町に出てレストランを探そう。
ラウロ、フェルナンド、アギーも加わった。
ここのところガリシアに入ってからは、魚介類のメニューが増えていた。
今日はパエリアとタラのフライだった。
バレンシアに住んでいるロベルトは囁いた。
「バレンシアに来たら、もっと本物のパエリアが食べられるぞ!」
それでも、お米が食べられるのってうれしい。

広場では、お祭りなのか民族服を着た老若男女が踊っている。 それを見ていたロベルトが、足さばきよろしく、音楽に合わせて踊り始めた。 その横でラウラとビンゲンが、明日のコースについてまじめな顔をして話し合っている。 そのコントラストが可笑しく、ビデオを回した。

今日の修道院アルベルゲはかなりの収容数であった。
見知らぬ人がたくさんいたが、それはすでに La Costa の道と合流したためだった。
ビンゲンが行きたかったのは、この修道院なのだろう。
Primitiboの道から、フランスの道に入るはずが、少し遠回りして、この修道院に辿り着いたには、こうした訳があった。 その甲斐が充分にあるコースだった。
また、巡礼者で混み合う「フランスの道」をなるべく避けたいというのはみんなの共通 の考えであった。

食事から戻ると、修道院の見学が始まった。
回廊の他に、大きな教会があり、付属の古い台所があったり、修道士が泊まる部屋があったり。 中央にはサンティアゴのカテドラルの縮尺モデルが飾ってあった。
ビンゲンが説明してくれる。 何でも知っているから、ガイドブックが要らない。
ビンゲンがある日息子さんに電話をしていることがあった。 とても優しく話をしていたっけ。奥さんとは離婚したということだった。 住まいはバスク地方の、今回私たちが通ってきた町だった。 ロベルトが
「ほら、あそこだよ、みんなでイワシを食べた港のある町。」
「あっ、公園でルルデスと一緒にエンパナーダを食べた所ね。」
へぇ〜っ、あんな素敵な町に住んでいるんだぁ。

ラウラと中庭に出た。 緑の芝生、花の手入れも行き届いていて、すべてが素晴らしい修道院だった。 ラウラは私のスケッチブックを取り上げると、庭をスケッチし始めた。
どこからか、ロベルトの声が聞こえる。 電話をしているようだ。
別のところでは、巡礼者が寝っころがって休んでいる。
天気はさわやか。晴れているが暑くはない。
ラウラにマッサージをしてあげることにした。
彼女はいつも私のために、歩きながら歌を歌ってくれるから、そのお礼だ。
電話が終わったロベルトがやってきた。 ラウラへのマッサージをする私に、ロベルトが背中に回り、マッサージを始めた。昨日のお返しだった。
日だまりの中、平和な気持ちで三人で並んでおしゃべりをした。
「今電話で話していたのは、仕事関係の人なんだ。帰ってからの仕事がうまくいきそうなんで、安心したところだよ。」
ロベルトは三年前まではvo○a phoneのエンジニアをしていた。 毎日パソコンと向き合って仕事をしてきた。(だから彼の携帯はvo○a phoneの最新機種だったんだ!) 三年前にBio Dance と出会って、習い、教え始めたのだと言う。 生徒も集まり順調に教室を営んできたが、ところがこの巡礼に出発する前日に、借りていた場所が閉鎖になることになってしまったと言うのだ。 電話は、そのことについての朗報があったと言うので、ロベルトも嬉しそうだった。

夜になると、修道士の一人が宿代の集金に来た。
その人から Monastereo de Zenarruza に行ったか聞かれた。
そこは私の最も印象的な場所であり、あの四人組と、初めて出会った場所だった。今では、遠い昔のことのような気がする。
そして、ここにいる別の修道士は、兵庫県の教会に居たことがあると教えてくれた。

今日は流星群が見える日である。
スペインでは「星の雨」と言い、響きが良い。
私たちも一度外に出てみた。 さっきの修道士によると、なるべく暗い所まで行った方がいいと言う。
しかし寒さに耐えきれず戻ってくると、アギーとフェルナンドが、美しい回廊の中庭に寝袋を持参して空を見ていた。
四角い空にたくさんの星が輝いていた。
ここは暗さが充分ではないけれど、回廊に囲まれて、それだけで星が美しく見えた。
私もしばらくそれにつきあって星空を見ながら仰向けに横たわった。

8月12日(土)Pedrouza 37km

今日の道も、なかなか厳しかった。
ここからは La Costa の道を歩いているので、ガイドブックがあるのだが、それでも今日もみんなで一緒に寄り添うように歩いた。
ロベルトが来て
「今またバレンシアから電話があってね、地元の知り合いの修道士が、バレンシアにあるホームレスの宿を貸してくれると言うんだ。どんなところだかわからないけど、とりあえずはキープができて安心したよ。」
Bio dance の教室の会場探しについてだった。
「えっ?そのホームレスの宿っていうの、ユリアが働いているところかもよ。」
偶然ユリアとオラヤもバレンシアに住んでいる。以前にユリアからそう聞いた覚えがあった。 「ユリアが働いているの?それは奇遇だなぁ。バレンシアにそういうところがいくつもあるわけじゃないから、もしかしたら同じ所かもしれないね。」
続けて
「でも、本当に不安なんだ。これからどうなるんだろう。」
「だいじょうぶだよ、ロベルトなら頭が良くて教えるのが上手だから、きっと大成功する事間違いないよ!」
単に励ましだけの言葉ではなかった。本当にそう思っていた。 交渉上手っていうのは、単に口が達者なだけではなかった。 説得力のある、それだけの知識を持っていて、それをどう伝えたらいいか、また、相手を敬いながら心をこめて接することが出来る人だからこそ、人を動かすことが出来るのだと思う。

道はいよいよ、ラストスパートの「フランスの道」への道しるべが見えてきた!
この「北の道」を歩く人たちは一様に、「フランスの道」みたいに人がたくさんいる場所には行きたくないと言う。 人が多いことを嫌って「フランスの道」を選ばずにこの「北の道」を歩いている人も多いが、すでに「フランスの道」を過去に歩き、今度は静かな道を目指す人もいる。 後者の私たちのような巡礼者にとっては、そう言いながらも、いよいよなつかしい「フランスの道」に入るのは嬉しかった。 それはもう、サンティアゴが目の前に迫ったことを意味していたから、誰もが「フランスの道」に入ると大はしゃぎだった。
「オラー、カミーノ フランセス !」
飛び跳ねながら、踊りながら歩く。
そして度々歌っていた、巡礼の歌を歌い始めた。
これは、ロベルトとラウラがリードして、みんなで歌った。(歌わされた) ここまで来るあいだに、フランスの道に入ったら、みんなで歌うのだと特訓されてきたのだ。

見覚えのある道に入ると、二年前の思い出が蘇ってきた。
その時は、この「道」で出会ったあけみさんと一緒だった。 歩いていた時のイメージが蘇る。あの日は雨が降ったり止んだりだった。 そして今日は良い天気。 あの時と同じく、サンタ・イレーネのアルベルゲは満員だった。
道を進めてペドロウサ。ここのアルベルゲも満員。
全く二年前と同じだ。
この町の外れには、大きな体育館がある。二年前と同様、今夜はそこに泊まるのだった。
二年前よりは巡礼者の数は少ないようだ。 あの年は数年に一度の聖年だったので、大変な人数で、体育館の向かい側に大規模なテントが二つ並んでいた。 今はそこは更地になっていた。 あの時入ったbarもそのままあった。 体育館の中に入るとなつかしい思いの方が強かった。 あけみさんと一緒に寝た二階席。アレハンドロがいた場所。そこにあった小さなリュックの写 真をこっそり写したっけ。

Barに行くとここにもみんなが居た。 ドロータは一匹狼で、私たちとは仲良しだけど、一緒に歩くことはない。 ここにはドロータと、たまに見かけたイタリア人のマリア、一人で歩いているドイツ人のマリアがいた。 この三人はいつのまにか一つのグループになっていた。
イタリア人のマリアは二十歳くらいだが、スペイン語が上手で、どこへででも一人でいることを楽しみ、個性的な女性だった。
ドイツ人のマリアの方は、まるで反対で、地味で年齢もずっと上、彼女もスペインに三週間ほど語学留学をしたことがある。 大人しくて控えめな彼女とは、たまに町でみかける程度だったが、この時初めてBarのカウンターで、しばらく立ち話をした。

Barのテレビでは山火事のニュース。 新聞には山火事の特集が組まれていた。
毎夏ここ、ガリシア地方を中心とした北部では山火事が発生する。
新聞には地図のイラストがあり、すでに鎮火した場所、今も燃えている場所が地図を埋めるように記されていた。
巡礼路の一部も火事があった。
数日前からこの話題は私たちの間で常に気になるものだった。 なぜなら、サンティアゴからフィニステーレにかけての巡礼路はひどそうだったから。
サンティアゴの後にフィニステーレに行くかどうか。 いつのまにか予定より早くサンティアゴへ着きそうだから、私にもそれは夢ではなかった。 もちろんフェィニステーレには行ったことがあるけれど、みんなと一緒ならもう一度行きたいと考えていた。 しかしこの山火事のニュースを聞くたびに、難しいことがわかった。
今は巡礼のルートが閉鎖されているとも聞いていた。
そこで張り切っていたのはドロータだった。
みんなに止められているのだが、どうしてもフェィニステーレまで歩いて行きたいと言い張ってていた。
彼女は一途で情熱的だった。

8月13日(日)Santiago 20km

朝5時に聞こえてきたのは、毎朝聞いていたロベルトの目覚まし音である、マルボロのテーマ。 たいてい本人よりも回りで寝ている方が目覚めてしまう。 これは一度聞いたら忘れられない。 あの、ベルギー夫妻の奥さんでさえ、たまにこの曲を口笛で吹いていたくらい、みんなの耳に焼き付いていた。
もう、この曲ともお別れが近かった。

いよいよ今日はサンティアゴに着くことは確実だ。
薄暗いユーカリ林の道を進んで行く。
噂よりすごい巡礼者の量だ。二年前よりも多いくらいだ。
最初は調子よく、先頭を歩いていたが、だんだん遅くなって、ラウロとアギーと一緒に歩いた。 ラウロは30歳で、数学の先生をしているが、20歳のアギーと気が合い、二人でふざけてばかりいる。 ラウロとフェルナンドは、去年の「フランスの道」での巡礼で、出会い、気が合って、今回も一緒に歩き出した。 アギーの方が、大人っぽくさえ見えるが、ラウロもやることは子供っぽく茶目っ気があるが、中身はなかなか大人だ。 二人のジョークはおもしろくて、一緒に歩くのは楽しかった。 パターンとしては、どちらかからちょっかいを出して、けんかになる。 時には杖を使っての戦いとなる。 アギーは、
「私は一人で歩いているの。誰もここにはいないはずよ。」
今日でけんかも最後だった。

二人はここいらでコーヒーでも飲もうと提案してきた。
私は気が進まなかった。 ロベルト、ラウラ、ビンゲンと一緒に最後の朝食を食べたかったからだ。
じゃ、軽く一杯だけ。 店を出ようとした頃、ロベルトから電話が入った。 朝食がおいしいBarにいるから、待っていると。
私たち三人は、二度目の朝食を食べに一生懸命歩いた。

みんなが居たのは、新くできた私営アルベルゲの朝食スペースで、オレンジジュースとトースト、コーヒーがセットになっていた。 食べ終わると、全員一緒のペースでサンティアゴまで歩くことにした。
今日はサンティアゴに入場する時に、みんなで歌いながら入るんだよというラウラの提案で、歌の練習をする。 一小節づつ、ラウラとロベルトが歌い、それに習ってみんなが後に続く。(実際サンティアゴに着いた時には、みんなすっかり忘れていたけれど!)
いよいよモンテ・ド・ゴソの丘の上に着いた。
ここからサンティアゴのカテドラルの塔が見えた。 この後は、一気に下っていくだけだった。

いよいよサンティアゴの市街に入ってきた。 みんなは、真剣な顔をして口を閉ざしている。
ラウラに
「サンティアゴに着きたくないわ。」
そういうと、手をつないできた。 もう一方の手をロベルトとつなぎ、三人で並んで歩いた。
とうとうカテドラルへの入場だ。 過去の二回の時と違って、キンターナ広場からまず入って行く。 ビンゲンによると、この入り口こそが、正面玄関なのだそうだ。

まだ夏の陽がまぶしい広場の階段には、たくさんの巡礼者でごった返していた。
その中に、見慣れた顔があった。 ホルヘと、3日前に別れたフランス人の女性だ。
かけより話をしていると、そこへ別の男女が近づいてきた。
「僕のこと、覚えてる?!」
「きゃーっ!!!!!会いたかった!」
あの、La Costa の道を選んだラファの仲間のアルベルトとキャロリーナだった。 あの仲間のうち、最もしゃべったことがなく、触れ合いもなかった二人なのに、なつかしいし、向こうから抱きついてきてくれる。 なんかすごくいい人たちじゃない?!
キャロリーナは、
「カテドラルの中にみんな居るわよ、ラファもいるわ。」
あの仲間たちと二週間ぶりで再会できるなんて。

早速カテドラルの中へ。
ミサが始まるところだった。
一年前、私たちはやはりこの場所に居た。 長く果てしない「銀の道」を歩いて、辿り着いた果 てだった。 去年と同じ場所にリュックを置いて座る。
あれから一年が経ったなんて夢のようだった。
ほんの昨日のことにしか思えない。 イワンやイザベルがここに居てもおかしくないと思えた。 ミサの最後は、回りの人と握手をしたりキスをしたり。 そこへやって来たのは、ラファたちだった。
ラファ、アイツォル、フリアン、アラが次々と現れて、声をかけてくれ、挨拶をしてくれた。 みんな私のことをよく覚えていてくれたことが意外だった。
アラは益々女神のように優しかった。
「よくがんばって歩いたわね。」
ラファは少々深刻な顔をしていた。
「会えて良かったよ。みんなでよく、あなたの事について話をしたよ。」
あれから二週間、私が一番会いたかったグループだった。
コンチータとイゴールは、数日前に帰国しなければならなかったこと、体格の良いサンティアゴは、途中で足を痛め、数日間遅れて歩いていることも聞いた。
このカテドラルで、この面々と再会できたことは最高のプレゼントだった。
そして彼らの『道』も、厳しかったらしい。 コンクリートの道が多く、一日の歩く距離も長かったという。

夜はPrimitiboの仲間たちと、Barをハシゴしてガリシア名物の白ワインを飲みながら、タパスをつまんで大騒ぎだった。
今夜のアルベルゲは、初めて泊まったところだった。
相当数のベッドが並んでいる。ここには一泊しかできないそうで、明日は別のところを探さなくてはならない。
門限の12時にアルベルゲに着く頃、四方八方から、巡礼者が走ってくる。
この「道」は、苦しい日には、必ずご褒美をくれた。
長い道のりの最後も、やはり大きな大きなご褒美をくれた。

8月14日(月)Santiago

ドロータが、私たちのベッドまで、別 れを告げにきた。 これからフィニステーレへ、バスで行くことにしたのだそうだ。 まだ、彼女の旅は終わっていなかった。
サンティアゴにいて辛いのは、こうした別れが続くことである。

荷物をまとめて、別 のアルベルゲへ行くことになった。 アルベルゲに入ると、受付の女性は、ネイルアートが素敵な、巡礼宿にはふさわしくないタイプの女性だった。
私たちに必要なベッドは6つ。ところが3つしかベッドが残っていなかった。 かろうじて、マットレスなら3つあると言う。 私は今までベッドに関しては、いい思いをしてきたので、みんなにベッドを譲ることにした。
ラウラ、ビンゲン、ロベルトがベッドを取り、若いアギーとカルロスも、マットレスになった。 入り口の近くにマットレスを敷き、荷物を置いて朝食を食べにBarへ向かった。
ケーキやサンドウィッチ、そしてコーヒーは二杯。

今日のアルベルゲは、二年前に一日泊まった場所だった。
町の中心から離れた所にあって、あまり好きではなかったが、利点がひとつあった。
バス・ステーションに近いのだ。 明日は私もこの街を出る。今日のうちにバスのチケットも買っておかなくてはならない。
私は一人でチケットを購入しておくため、バス・ステーションに向かうことにした。
道の真ん中で、後でどこで待ち合わせをしようかと、みんなで決めていたら、そこに通 りがかったのは、あの、ベルギーの夫妻だった。
あれほど毎日会っていたのに、数日ぶりの再会だった。 二人はガイドブック通りのPrimitiboの道を歩いて来たため、会えなかったのだ。
再会に歓喜し、全員で一緒に写真を撮った。何しろ、彼らは透明人間と言われていたのだ。
写真に撮っても写らないというウワサさえあった。 何故かというと、二人が歩いている姿を、誰も見たことがなかったから。 彼らは早朝にアルベルゲを出て、模範生のように早めに次のアルベルゲに着く。 だから彼らがベッドを取り損ねることはなかった。 きっと休憩なども短く、効率よく歩いていたのだろう。

私が明日向かうのは、サンティアゴから、約150km地点の小さな小さな村である。 かろうじて、「フランスの道」の上に位置し、そこには2005年にできた新しい巡礼宿がある。 そこの管理を任されているヤスミーナとは、海外の巡礼関係の掲示板で知り合い、メールをやり取りし、半月の予定で巡礼者の世話をするボランティアとして(オスピタレーラ)、住み込みでお世話になるのである。 バスの時刻表を見ると、朝の便と夜の2便しかない。 夜の便だと、目的地のアンバスメスタスに着くのは深夜になってしまうから、早めで残念だったが、10時発のチケットを買った。
かなり焦って歩いた時期もあり、誰よりも早く駒を進めたこともあったが、後半はヤスミーナから、遅れてもいいというお許しが出て、安心をし、皆と足並みを揃えて歩いた。
結果、なんとまさに最初の約束通りの8月15日にちゃんとアンバスメスタスに着くのだ。
すぐにヤスミーナに電話を入れた。
明日はバス停まで迎えに来てくれるということだった。

みんなとの待ち合わせの広場に行くと、そこにはいつかの「ハエのアルベルゲ」で会った美人のフランス人二人組がいた。 袖ふれ合うも他生の縁と言うが、巡礼路で袖をふれ合った人たちとは、必ずまた会えるのが、不思議である。
彼女たちと別れると、なんと今度はオラヤとユリアに出会った。
フィニステーレで三泊して、サンティアゴに戻ってきたところだ。
道中で、黒焦げの山々を見るのは痛々しかったと悲しそうな顔をした。
二人は今夜、バレンシアに帰ると言う。
本屋に行って、今年歩いた「カミーノ・デル・ノルテ」の最新版のガイドブックを買うことにした。 去年同じものを買ったが、そこにはPrimitiboのコースしか出ていなかったが、最新版にはLa Costaも新しく載せているのだった。 何種類かある中で、私にはこの、エル・パイス社のガイドがお気に入りだった。
毎年、次に歩く「道」のガイドを買っていたが、今年は・・・・・・・。
そう、もう一度Gijonから La Costa を歩いてみようと考えていたのだった。

ラウラとロベルトに誘われ、スーパーで食材を買って公園に行き、昼寝をしようということになった。
スーパーに入ると、ロベルトの顔つきはいつも真剣だった。
トマトを選んでいる顔がすごい。 なにかとても大きな仕事をしているような顔で、眉間にしわを寄せて、真剣に吟味して選んでいる。 彼はイワンほど、おもしろいことは言わないけれど、その仕草がすごくおかしくてたまらない。
買い物の内容は、今日もだいたい同じパターンだ。 メインはチーズ(今日はモッツァレラみたいに白い豆腐状の)とマルメリーダ。マルメリーダは何度か食べているが、果 物から出来た羊羹のようなもの。これをチーズの上に乗せて、一緒に食べるのが美味しいのだ。 ヨーグルトドリンクは豆乳のもの。果物とトマト、パンだ。パンにはわかめが入っている。

緑が多いエラドゥーラ公園に行き、日だまりを見つけて座った。
そばで演奏しているアフリカの音楽に合わせて体を揺らしながら食べる。
その後はお昼寝だった。
そこへアギーたち4人もやってきた。
約束なんかしていないのに、行動パターンは一緒だから、こんな大きな街の中でも、何度でも会ってしまう。

今日は、カテドラルの屋根に登るツアーに参加することにした。 七時からのツアーなので、それまでは広場でのパフォーマンスの見学をしよう。
カテドラルの入り口前の階段を客席にし、巡礼者も観光客も、地元の人々も座って、大道芸を見学している。 まるで野外劇場のような賑わいだ。 遠く離れた場所に、イタリア人のマリアが見えた。彼女は一人で階段の外れに座り、大口を開けて大笑いしながらパフォーマンスを見ている。大物だなぁ。

屋根のツアーは、ガイドさんが付いて始まった。 最初に登ったのは、ファサードとカテドラルの間のスペース。 実はここが一番古い部分なのだそうだ。 ここから内部を見渡すことが出来る。 ロベルトが呼んでいるので行ってみると、通 訳をしてくれると言う。 それはありがたい。 その部分は、病院でもあり、ベッドが並んでいて、辿り着いた病気の巡礼者が、ベッドを並べた場所だということは、通 訳を介してわかった。
次の部屋は大食堂。楽器を持った天使たちの像が壁にくっついている。

階段を登っていよいよ屋上へ。
まず、歓声が上がる。 薄茶色の世界の、カテドラルの内部から、青空がまぶしく見えた。
由緒あるカテドラルの上であることを忘れさせるような、まるで大海原へせり出した崖の上にいるような心地良い、別 世界が広がっていた。
こんな景色は、何度も来たカテドラルやその周辺のイメージを、大きく変えるものだった。
とんがり屋根は、階段状になっているから歩き易い。 だから、傾斜の上に立っても、屋根という感覚はない。 片隅に、石の枠で囲ったスペースがあった。 巡礼者が着ていた不潔な服を燃やす場所だった。
いくつかある入り口についても説明をしてくれた。 一番広いオブライド広場に面した入り口は、ビンゲンが言った通 り、メインの入り口ではない。
メインの入り口の向かいには、建物がいくつか並んでいる。 これらは古いもののようで、カテドラルの雰囲気に合わせ風格を出すために建てられたそうだ。 今は土産物屋になっているその建物は、一見、普通の建物に見えるが、実は奥行きが3メートルしかないもので、見かけだけの為に建てられたのだそうだ。 もちろん人が住んだことはほとんどない。
ボタフメイロという大きな香炉を、振り子のように綱をつけて、何人かで引っぱり、前後に大きく揺らし、焚いたお香をカテドラル全体にふりまく行事があるが、カテドラルの歴史で、一度だけ、綱が切れたことがあり、香炉が外まで飛んで行き、一人の人が亡くなったことがあるということだった。
オブロライド広場に面 する屋根の頂上のサンティアゴ像を見ると、サンティアゴ像の顔の部分へ逆光する西日が光って、まるで皆既日食のダイヤモンドリングのよう。
こんな一瞬の景色こそが、ダイヤモンドに勝る宝石だと思えた。

今夜もBarで、ワインとタパス。
ラウラは歌を歌ってくれた。 雨の日の曲で、リズムは明るいが、歌詞は悲しいストーリーなのだと言う。
帰り道は、ラウラとロベルトと三人で肩を組んでアルベルゲまで歩く。

途中の大通りを横切ろうとすると、護衛の車が何台も通 り過ぎる。
真っ暗闇の中に、ヘッドライトが浮かび上がる。それは光の川のようにどこまでも続いている。
誰か要人でも来ているのかと思ったら、今度は消防車が数十台も連なってやってきた。
ラウラとロベルトが手を振りだした。 私も習って手を振った。
次々と現れる消防車の運転手も、助手席の消防士も、みんな私たちに手を振っている。
やがて視界は消防車で埋め尽くされた。
ラウラは
「見て、みんなにこやかに手を振ってくれる。すごく感じいいじゃない?!」
何かと思ったら、ポルトガルからの消防車の応援部隊だった。 山火事の鎮火のために国境を越えてやってきたのだ。 何台もの消防車を見送りながら、とても感動して、目が潤んでくる。 私たちは
「ありがとう!」
と言いながら、さらに彼らに声援を送った。

アルベルゲに着いたのは、12時15分だった。
このアルベルゲの門限て、12時って聞いていたけど、これって目安なのかもしれない。 室内はもう真っ暗だから、静かに入っていく。
私は少し移動していたマットレスを元の位置に戻して、寝る準備をした。
そこへ携帯の充電をするために通りがかったロベルトが聞いてきた。
「もしベッドで寝たいなら、代わってあげるよ。」
もちろんそんな必要はなかったが、気遣ってくれるやさしさが嬉しかった。
サンティアゴに一緒に来れた感動をロベルトと分かち合うことが出来て良かったと、しみじみ思うのであった。

8月15日(火)Santiagoから〜〜〜出発!

朝10時のバスで、いよいよサンティアゴを発つ。
私に合わせて、みんなも早く起きてくれた。
バス ステーションまで見送ってくれるらしい。
すっかり支度を整えて、リビングルームにいると、ロベルトが一冊の本を持ってやってきた。 「これ、プレゼント」
見た事のない「北の道」のLa Costaのルートブックだった。 地図が大好きな私にはうれしいプレゼントだった。 私からは、ずっとリュックに付けていた、神社のお守りをあげた。

ビンゲンがシャワーを浴びているあいだに、外で話をしようとアルベルゲの前の石垣に座った。 私はロベルトにお礼を言いたかった。
長い道の過程で、どれだけお世話になったことか。
言いたいだけ言って、ロベルトをどんなにか悩ませてきただろう。

巡礼初日に山の上で出会って、四人組たちと一緒になって、ルルデスが参加して、ビンゲン、ウシ、マリアと一緒に歩き、最後はアギーたちと一緒にサンティアゴまでやって来た。
自分のいいところも、悪いところもさらけ出し、それを受け止めてくれたロベルトは偉大な存在だった。
「私はこの『道』でたくさんの涙を流したわ。今までのカミーノでも、旅行でも、そんなことはなかったのに・・・・・・・。」
するとロベルトは
「涙はスマイルと同じなんだよ。」
話はそこから始まった。

「今の気分はどお?」
ロベルトが聞く。
「フクザツ。うれしさと別れの寂しさと。」
「それが人生だよ。人生とは momentだよ。その瞬間にどれだけ輝くことができるか。」
「僕はたくさん悩んでいることがあって・・・・・・・・」 (ジロリと疑いの目でロベルトを見ると・・・・)
「何でそう思うの?」
私には、ロベルトが悩むということが想像できない。
「僕は人間関係で悩んでいた頃があって、でも、今はその対処のしかたが、なんとかわかるようになったんだ。」
生まれついて、社交上手なのかと思っていたが、ロベルトもそんな時期があり、きっとその部分を直視し、真剣に解決の道を探したに違いない。
「この『道』で、たくさんのいい人と出会ったけど、私がこの「北の道」を歩いた理由は、あなたに出会うため、あなたの存在を知るためだったと思うの。」
「僕も同じだよ、いい経験だった。一緒にいて、いろいろ学んだよ。」
「ありがとう、人として、I love you だよ!」
ロベルトも、
「僕も人として、I love you だよ。」
「前に前世の話をしたことがあったよね。あなたは・・・・・・・・・・」
「ああ、そうそう、友達か兄弟だよね、きっと。」
「違うよ、パドレ(お父さん)だよ!」

そのうち、支度が整ったラウラとビンゲン、アギーが出てきた。
ラウラは一枚の紙をたずさえていた。
それは、私が頼んでおいた、Visaのための嘆願書だった。
巡礼仲間の推薦状も、Visaを延長するためにあった方が良いと考えたからだ。 しかし実際は、そんな時間もなかったので、あきらめていたのに、いつの間にか書いてくれていたのだ。
ラウラはスクリプトを書くくらいの文章力があり、ビンゲンは大いなる常識の持ち主であったので、この一枚の紙はとても貴重だった。
そこへロベルトのサインも書き加えられた。 素晴らしいプレゼントだった。

みんなでバス ステーションに向かい、短い時間しかなかったけど、最後の朝食を急いで食べた。
いつもは見送ることが多かったサンティアゴで、こうやって見送ってもらうのは慣れていない。

バスが動き出した。

あっけなくサンティアゴを出て、フランスの道を逆行してバスはひた走る。
歩いて来た、なつかしい景色を見ながら、ラウラが袋に詰めてくれたリンゴをかじった。
甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がっていく・・・・・・・・・・・・・・・・。

あとがき


三年連続で三つの道を巡礼できたらいいなぁ〜、と思っておりましたが・・・・・・・・・・
とうとう三つの道を歩いてしまいました。

一歩、歩き始めたら、止まらなかった・・・・というのが実情なんですけれど、その原動力となったのは、寝食を共にし、苦楽を共にした仲間との出会い、地元の人々の応援の笑顔、道に咲いている花や草、景色でした。
三つの道を歩くということは、そんなに深い意味のあることではなかったんです。 ただ、歩くなら『違ったスペイン』を歩いてみたいと思うだけで。
道を歩く事は、制覇でもなんでもない。

結果的には、どれもサンティアゴを目指す道でありながら、それぞれの「道」の顔が、全く異なったものであったことは、私にとっては幸運でした。
思い出すと、ウキウキするような「フランスの道」。ここでは今も続く大切な仲間と巡り会うことが出来、新鮮な感動の連続でした。愛と優しさに満ちた幸せな道でした。
どの道よりも暑さと距離の長さで苦労した「銀の道」では、数少ない出会いの全てが魂を揺さぶられるような、熱い経験であり、肉体的にも、精神的にも自信を持つことができました。
一番景色が良かった「北の道」では、自分の弱さと向き合い、もがいていた「道」でしたが、救ってくれたのは、地元の人々の優しさと、どんな時も見放さないでいてくれた仲間たちの存在でした。

「旅は人生の縮図」なんて言いますが、この一ヶ月に及ぶ巡礼は、まさにそのもの。
期待と絶望の繰り返しでした。
三年前に、初めての巡礼の「あとがき」に書いた言葉、
『 この先も自由な気持ちで、生きていけそうである。 そして、何かに行き詰まっても、先には道が開けているのだ。 一歩足を踏み出す勇気があれば、誰だって扉を次々と開いていくことが できるのだ。』
三回の道を通して感じたことは、進歩がないようですが、「同じ」なのです。
でも、この言葉に込められた意味の深さが違います。
その言葉が、半信半疑から、本物の確信となって、私の背中を押し続けてくれると思うのです。

巡礼は生まれ変わるためのもの・・・・・今年の「道」で出会ったラウラは、「脱皮」だと言っていましたが、今は、新しい希望の扉を開けたような、そんな新鮮な気持ちでいっぱいです。 巡礼中に、アギーはこう言ってくれました。 「あなたは人を輝かすことが出来る人。」
オラヤとユリアは 「あなたは私たちの太陽よ。」 どちらの言葉も、今回の私の「道」では、ほど遠いものでしたが・・・・・・・。
輝かせてくれる人がいて、自分も輝く。 自分も自ら輝いて、誰かを輝かす。 そんな切磋琢磨をして成長し合った仲間たちは、今は小さな妖精となって、私の回りにいつも寄り添ってくれています。

長きにわたり、日記を読んでくださった皆様、また、三年前から読んで下さった皆様、ありがとうございました! 紙上で一緒に歩いて下さった皆様にも、きっと妖精たちが肩の上あたりに何人か乗っかっているはず!!! 見回してみてください。

ラウロとアギーです
ここが目指す修道院です
修道院です
ロベルトとラウラ。修道院のお庭でのんびりしました
この町でもお祭りでした。
修道院の内部です
ここが今日のベッドです
休憩です
このパン、おいしかった
今日は体育館の宿。二年前にもここに泊まりました
二年前にはここに大きなテントがあったけど・・・
いよいよ最後の出発の朝です
相当な数の巡礼者の行列でした
ラウロとアギーのお馴染みのケンカ風景。本当は仲良しなんです
いよいよモンテ・ド・ゴソ、サンティアゴまであと一歩
いよいよカミーノ・デ・フランシス(フランスの道)へ入ります
サンティアゴの街へ入ってきました
そして、カテドラル入場です
カテドラルです
ホルヘもフランス人の女性もここにいました
巨大なアルベルゲでした
大道芸を見ています
ラファの仲間のキャロリーナとアルベルト(ビンゲンとロベルト)
左はイタリア人のマリアとアギー
偶然に、ベルギーのご夫妻に会いました
公園で、風で袋が飛んで追いかけるラウラ
アギー(ハンガリー)
ラウロ(マドリード)
フェルナンド(マドリード)
オラヤとユリア
名前忘れちゃったど、最後はいつも一緒でした
カテドラル内部
カテドラルの屋根の上ツアー
ツアーのガイドさん
ここの中で、古い衣類を燃やしたそうです
大道芸です
バス・ステーションでの最後の朝食です
ラウラ、ビンゲン、ロベルトともいよいよお別 れです
バスからの車窓風景です
ラウラが入れてくれたりんごです
2004年のフランスの道
2005年の銀の道
2006年の北の道