おわりに
ここまでの旅を終え、私の頭の中はすっかり空っぽになって白紙の状態に戻った。
夢中になって小さな冒険をしていくうちに、霧が次第に晴れて遠くの方にもうっすらと視界が開けてきた。
次から次へと追い立てられるように課題をこなした5年間。陰謀と戦略が渦巻く(!?)ロイヤルカレッジでの勉強。
すっかり人間の本質、自己の本質を見失いそうになっていた私は、むらやんと、この支離滅裂な旅を続けるうちになんとか糸口が見つかりそうな感触があった。
この五年間で学んだ勉強のことはもちろん、それ以外のことまですべてを噛み砕き整理して、これから先は本当の意味で生かしていかなければならない。
こうして頭の中を空っぽにした後の作業は考えること。
幸いこの作業は、この後に続くリスボンの滞在で、世界中のアーティストの作品を見たり、複数の地元のアーティストとの交流のなかで、少しづつそれを進める作業が始まった。
そして日本やロンドンを離れてリスボンという場所で考えたことは良いチャンスだった。
それと言うのは、ロンドンに住んでいると、どうしてもロンドンやイギリスがいつの間にか世界の中心に思えてしまう。そういう目を通
して物を見たり、批評したりしはじめる。
確かにロンドンは大都会の一つだし、ヨーロッパの中では多方面の文化を集積しているし、活気もある。住むにはなかなか刺激的な面
もある。
だからと言って、ここが世界の中心ではない。
もちろん、ニューヨークだってパリだって東京だって中心にはなりえない。中心とか頂点は一箇所にあるものではなく、あちこちにあるうようなのだ。インドにもあれば、中国にもあり、アフリカにももちろんある。
リスボンは今回で4回目だが、初めてじっくり美術館やギャラリーを見学する機会を得た。どこの都市でも美術館、博物館の類は他の観光を削ってでも必ず足を伸ばしてきたが、ポルトガルにおいては、実は何も見るべきものはないだろうと決め込み、後回しにしていた。
国立古代美術館、グルベンキャン美術館は内容、展示の方法館内の装飾 の豪華さは他国のものにひけをとらないし、新しく建設されたベレンの文化センターは外壁に美しいピンクがかった石を用い、新しいのに周囲の風景、ジェロニモス修道院やテージョ河、ベレンの塔と調和している。
館内では様々な文化の催しものがあるが、彫刻や絵画、建築などの企画展は常時五〜六種類あり、今回私が見たものは、
《DEPOIS DE AMANHA》(THE DAY AFTER TOMORROW) という、ファインアート展は、国内外二十三名の出品者の作品で構成されていて、一人の作家の作品を置くスペースがとびきり大きい。天井も、普通
の二〜三倍ある部分もあるし、作品の内容により、活かせるスペースをうまくふりわけている。
これだけの空間があれば、作者も表現が自由に膨らむに違いない。
こんな空間は今世界にどれだけあるのか。
大都市でこれだけのスペースを確保するのはちょっと不可能なことではないだろうか。
また、私が出会ったジュエリーデザイナー達はジュエリーを哲学的にとらえ、体に身に付けることに留まらず、その空間までも考えていた。
こんなふうに、今世界中各地で動きつつある現象は、無視できないものとなっている。
17thMarch,1995






